02_ジルの能力①
広大な裏庭を一望できる、人気のない放課後の教室。傾きかけた陽光が差し込む窓辺で、エリアスは隣に立つ人物へ呆れたような視線を向けた。
「それで。どうしてジルに言わないわけ?」
問いかけられたのは、艶やかな黒髪をなびかせた美女――に変装したノアだ。本来なら滑稽に見えるはずの女装姿ですら、堂々と着こなしているのがどこか癪に障る。
「従前通りだよ。ジルには学院生活を優先してほしい。それに、お前に鍛えてもらうっていう重要な仕事もあるしな」
「まったく……チームなんてよく言ったものだね」
エリアスが鼻を鳴らすと、ノアは前を見据えたまま静かに言葉を返した。
「やることが多すぎてな。人手も足りていない。それぞれが持ち場に集中した方がいいと判断したんだ」
「学院内に例の組織の連中が紛れ込んでいるのは確かだろうけど。だとしても、我が国の豹王陛下が、こんなところで時間を費やしているのはあまり感心しないな」
「安心してくれ。オリビアにも話は通してある。色々と融通を利かせてくれるさ」
「ジルの力のことも話したの?」
「いや……それは伝えていない」
わずかな沈黙。エリアスは探るようにノアの横顔を覗き込んだ。
「なのに、どうして僕には教えたのさ」
「お前はジルに近い。それに、その頭脳に関しては、この国の文官を全員集めたって敵わないだろう。移動遊園地の件を含め、いずれバレるのは時間の問題だと思ったんだ」
ノアはそこで言葉を切り、少しだけ表情を和らげた。
「それに、ジルに言ったことは嘘じゃない。そろそろ仲間が欲しかったんだ。ロズリーもオリビアも情勢は認識しているが、それでも『浄化の魔法』のことは可能な限り伏せておいた方がいい。……そうだろう?」
「そうだね。ヘルナも情報をよこさないし……ったく、あの婆さんには呆れるよ!」
吐き捨てるように言ったエリアスだったが、その瞳には確かな光が宿っていた。ヘルナは飲んだくれの毛むくじゃらだが、大魔法使いなのは間違いない。エリアスのように向学心と溢れる人間には挑戦しがいがあるのだろう。彼はまっすぐにノアを見つめ、請け合うように告げる。
「いいよ。その信頼は裏切らない」
ノアはその言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。人を寄せ付けない孤高の少年。彼に忠義などという言葉は似合わないと考えたが、それは間違いかもしれない。一度友や仲間と認めた存在に対し、エリアスは誰よりも強い誠実さを見せる。
「エリアス。ジルの件とは別に、調べてほしいことがある。ジョルノ・ジェラトーという人物のことだ」
「ジョルノ・ジェラトー……聞いたことがない名だね」
「ヘルナの話では、ジェラトーは『it』の研究者で、奴と同じ時代を生きた人物らしい。その研究書は禁書として処分されたそうだ」
なるほど、とエリアスは思考を巡らせる。もしその研究書がどこかに現存しているなら、闇に包まれた存在の正体に肉薄できるかもしれない。エリアスが持つ「it」に関する知識は、現存する資料と同じくお粗末なものだった。史実はその存在を伝説的な悪として記し、恐怖の時代があったことを伝えてはいるが、肝心の詳細は意図的に削り取られたかのように不明なのだ。
「ヘルナの婆さんも、多少は役に立つ情報をくれていたということだね。いいよ、僕が調べておく」
「助かる。元々はジルに教えた話だろうから彼女も調べたがるだろうが、今はあれもこれもというわけにはいかないからな」
「確かに。でも、黙って勝手に動いて何かに巻き込まれるよりは、一緒に調べたほうが安心だよ。それも含めて、僕に任せておいて」
およそ十歳とは思えぬ的確な判断。ノアは苦笑しながら頷いた。豹王の後継者として育てられた自分自身ですら、十歳の頃にこれほどエリアスと対等に渡り合えたかは疑わしい。
「でも、学院内で一人で動いてどうするつもり? そっちも僕が協力した方が……」
「いや、大丈夫だ。実は、協力者がいるんだ」
その言葉にエリアスは片眉を跳ね上げた。初耳だ。生徒だろうか、あるいは教師か。興味が湧いたが、その時、放課後の終わりを告げる予令の鐘が響いた。結局、その正体を聞き出すことはできず、二人はその場で別れた。
それにしても協力者とはまた……気になる情報が現れたものだ。
※
昼間、ノアと共に眺めていた裏庭のさらに奥。人目を完全に遮る鬱蒼とした木立ちの中で、エリアスは足を止めた。
「ここでやろう」
振り返ってジルに告げる。今日はまず彼女の能力を把握するだけ、とエリアスが念を押したのは、彼女が過度な期待を抱かないようにした配慮だった。だが、ジルが落胆した様子はない。彼女は冷静で、自分自身を客観的に見つめる強さを持っていた。
「これまで聞いた話を整理すると、まず、一見して君に魔力はほぼない」
エリアスは土を踏みしめ、ジルを取り囲むようにゆっくりと歩きながら思考を口にする。ジルはそれを邪魔することなく、静かに耳を傾けていた。
「でも、君は浄化の魔法使いだ。モーガンという元側近……ふん、あんな敵を側に置いていたなんて情けないね! まあいい、その側近を最終的に土に還したのは、間違いなく浄化の力によるものだ」
ジルの頷きを確認し、エリアスは続ける。
「現状、その力を自在に操ることはできないし、効果範囲も不明。何せ協力してくれる『泥人形』どもがいないから、試すこともできないしね」
エリアスは一度言葉を切った。先日の移動遊園地で、敵を一人でも捕らえられていれば。あの日、転移魔法でテントの外へ脱出した際、エリアスは再び襲撃を受けたが、ノアの介入により事なきを得た。しかし敵の逃走は素早く、一人の身柄も確保できなかったのだ。ジルを助けることを最優先させた結果とはいえ、エリアスの中には苦い後悔が残っている。
「一方で、ジルには封印がかけられている。浄化の魔法に制限がないのだとしたら、あの時暴走した魔力は何だったのか」ひた、とエリアスは足を止め、ジルを射抜くように見据えた。
「疑問だったんだ。ヘルナの話では、大魔女オルガナは浄化の魔女でありながら魔法が使えなかったという。だとしたら、浄化の力は僕たちが認識している『魔法』という概念とは根本的に異なるんじゃないかな」
異質な二つの力。その言葉は、なぜかジルの胸にすとんと落ちた。彼女がこれまでに発揮した力は、確かにノアやエリアスの使う魔法とは違った。そもそも、それを浄化の力は魔法と呼んでいいものなのかーー
「だから、僕はこう考えた。ジルは元々、僕のように膨大な魔法力を持って生まれたんじゃないかって」
「私に……魔法の力が?」
「そうだ。でも……あまり良い方向に捉えない方がいい。あえて封印が施されているのは、おそらく浄化の力と相容れないからかもしれない。二つの力が混ざり合うと、良くないことが起きる可能性がある。互いの力を相殺するか、あるいは……君の肉体に深刻な影響を及ぼすか」
「だから、封印を施した、ということ?」
「あくまで可能性だよ。でも、これから敵に対抗しようとするなら、最悪の場合を想定しておかなければならない」
ジルは深く頷いた。ヘルナが封印の解除に頑なに反対していたことを思えば、エリアスの懸念はもっともだ。
「僕は、あえて危険を冒して封印を解く危険性を犯す必要はないと思う。魔法なら、ノアや僕、他にも優秀な使い手はいくらでもいる。だから、ジルは浄化の力を活かす道を考えた方がいい」
「わかったわ。私も同じ意見よ」
そう答えながらも、ジルの表情にどこか陰りがあるのをエリアスは見逃さなかった。彼はジルの過去を本人から聞いていた。三歳の頃、物心がつく前に孤独になった少女。
いずれ、すべてを明らかにしなければならないだろう。
ジリアン・ノウルズという少女の出生が、歴史の闇に触れるほど大きな謎を秘めていることは、もはや疑いようがないのだから。
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