5、女王は憂う
灯した火で軽くチーズを炙る。
パンに乗せて、一口齧った。
(……うん、悪くないわ)
地下の研究室で、フランチェスカは食事を堪能していた。
幾つか食料品を確保して裏庭の倉庫に隠しておいたのだ。
後は、頃合いを見て井戸に落とすだけ。
エリザベスが言う所の『親切なサラ』の体は、地下で暮らすには問題ない。
「本当に助かっちゃったわ。ありがとうね」
感謝を込めて、天井に吊るした人形を見上げる。
サラの魂が入った人形は、まだ手足を虫のように動かしていた。
(……そろそろ、来る頃かしら?)
屋敷に自分の味方は誰もいない――あの愚かなエリザベスは、そんな感傷に浸っているのだ。
絶えず、誰かに慰めを要求していないと気が済まないらしい。
サラがいない今、その対象はフランチェスカに代わった。
フランチェスカは来る日に備えて、人形の体に戻ることにした。
予想通り、エリザベスは次の晩に地下を訪れた。
屋敷の生活や明日の茶会がいかに苦痛かという嘆きを聞き飽きた頃に、フランチェスカは入れ替わりを提案する。
案の定、彼女はすぐに了承した。
エリザベスの体を得て、急いで別館に入る。
手燭を灯して衣装棚の中を覗いてみれば、一着だけ丁寧に覆いを掛けられたドレスがあった。
首元を全て覆う意匠の、紫がかった深い青色のドレス。
(……いつもと変わらないじゃない)
エリザベスが普段着る服は黒や紺色、どれも肌の露出を極限まで抑えている。
並べれば、全てほぼ同じに見えるだろう。
(昼の正装だからって、もっとやりようがあるでしょうに)
エリザベス・グラナートという娘がよほど慎み深い性格なのか、はたまた父親か婚約者がよほど心配性なのか……まあ、フランチェスカには、どうでも良かった。
問題は、ただ一つ。
(こんなつまらない服を着てつまらない男に会いに行くなんて……私の人生は、もっと有意義な事に使うべきなの)
食事とか、お茶とか、お昼寝とか――女王は多忙だった。
フランチェスカは化粧台にあった髪の香油を取り、衣装棚の中身に浴びせた。
ついでに、今着ている服にも。
「いい仕事したわぁ」
自らの成果に満足すると、夜着に着替えて眠りに就くのであった。
翌朝、困り果てる侍女の後ろで、フランチェスカは笑みを噛み殺していた。
「どうして……」
茶会の準備をしようと取り出した服は油まみれ、他の服も似たような汚れ具合。
「茶会には出られそうにもないわね……」
頬に手を当てて呟けば、侍女は今にも泣きそうだ。
「準備はどう?」
「何か手伝うことはあるかしら?」
他の使用人達が部屋に入って来るが、衣装棚の惨状を見て、口々に騒ぎ出す。
「どうしてこんな事を……」
「知らないわ、私じゃない」
「とにかく、エリス様に報告を」
使用人達が方々に駆けて行き、暫しして部屋に来たのは年配の女だった。
フランチェスカが屋敷に来て最初に出会ったエリスという女、彼女が家政婦長の職に就いているらしい。
エリスは衣装棚を確認すると溜め息を吐く。
「今度こそはしっかりした娘を雇い入れたと思ったのに……」
そう呟くと、フランチェスカに対して深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。私共の手落ちです」
「そんな事を言わないで……これは、きっと天の采配よ。私みたいな不出来な娘は、スマラクト公爵家にはふさわしくないと、皆様が思っているから……」
(私にスマラクトが相応しくないだけよ。あいつ如きが公爵だなんて、本当におこがましい)
フランチェスカが言い募る度に、侍女の顔が青ざめていく。
「とんでもございません! ヘンリー・スマラクト様は、幼少のみぎりから、お嬢様の事を……だからこそ、旦那様も渋々認めたのですよ?」
エリスが直ちに反論した。
(……あら、そうなのね?)
エリスは逡巡した後、部屋を出る。
そして、数名の使用人を引き連れて戻って来た。
彼女達は、ドレスを持って一列に並ぶ。
全て、エリザベスの私物よりは明るい色目であった。
(あら、今風の物ではない気がするけど……誰かの御下がりかしら)
義母の好みではなさそう、とフランチェスカが考えていると。
「亡き奥様の……アネット様のドレスです」
「まあ……」
フランチェスカは驚いたように口元を覆って見せた。
(私にお古を着せようだなんて……ま、さっきの服より遙かにましだわ)
フランチェスカは淡い橙色のドレスを選ぶと、エリスに支度を頼む。
化粧をして髪を纏めると、いつもの辛気臭いエリザベスの面影は見当たらなくなった。
ふと鏡越しにエリスを見れば、彼女は涙ぐんでいる。
「本当に……アネット様に生き写しで……」
「そうかしら? 私、あまり覚えてなくて……」
「ええ、ええ……お嬢様はあの時まだ幼くて……」
(……昔からエリザベスを知る相手は厄介ね)
適当にエリスを宥めながら、フランチェスカは次の算段を立てていた。




