2、慈悲深き女王
偶には外の様子でも覗いてみようか――
そんな事を思い立ったのは、新月の晩であった。
研究室の扉を開けて通路を作り、古井戸に梯子を立て掛ける。
それからフランチェスカは、片手で持てる程度の小さな人形に魂を移した。
小さな体では外に出るのも苦労するが、これはこれで利点がある。
(此処は確か、グラナートの土地だけど……随分立派な屋敷を建てちゃって)
井戸の蓋を少し開けて周囲を窺うと。
「……まいっちゃうわね」
舌打ちと共に、荒々しい足音が聞こえた。
(あらあら、どうしたのかしら)
暗がりの中を歩くのは、若い女性のようだった。
大きな鞄を持った彼女は、何かから隠れるように井戸の影に身を潜めた。
(随分お困りのようだけど……)
フランチェスカは女性の姿を見て、昔を思い出す。
自分もよく皆に追われたものだ――少し、感慨に耽ってから。
(私が助けてあげるわ)
フランチェスカは井戸から身を乗り出して、女性の近くに転がり落ちる。
彼女が驚く間もなく、手に触れれば、もう出来上がり。
あっという間に、フランチェスカと女性の魂は入れ替わった。
もがく人形と鞄を井戸の中に落とすと、フランチェスカも中に入る。
手早く降りて、梯子を片付けて、隠し扉の中へ――
扉を閉める瞬間、「流石に、こんな所にはいないか」「森の方を探すぞ」という遣り取りが聞こえた。
篭った空気の匂いや、足が地面を踏みしめる感触――
研究室に戻ったフランチェスカは、久し振りに得た体に満足していた。
「まあ、悪くないわね」
喜びを表すように、くるりと一回り。
結んだ赤毛が尻尾のように揺れた。
その間も、女性の魂を宿した人形は、必死に手足を動かしていた。
「……鬱陶しいわねぇ」
紐で胴を縛り、天井に吊るしておく。
そうしてみると、趣のある飾りと言えなくもない。
体を奪う時の為に、フランチェスカは小さな人形を幾つか作っていた。
見た目が美しければ皆が思わず手に取るし、魂を交換してしまえば相手に抵抗する術は無い。
「さて……」
新しい体を確認すべく、フランチェスカは姿見の前に立った。
赤毛の、取り立てて特徴の無い顔つき。
極端に痩せているわけでなし、目立つ所に傷も無い。
来ていた服は、地味だが質は良い。
持っていた鞄は傷だらけで、片方だけ履いている靴も古かった。
(屋敷の使用人かしら? あまり品は無さそうだったけど……)
庶民か孤児が、お情けで雇われていたのか――そう推察したフランチェスカが鞄を開けると、中には煌びやかな宝飾品。
一際上等そうな銀細工の小箱には、真珠の首飾りまで。
「……あらあら」
天井の人形を見上げ、フランチェスカは肩を竦める。
この体の見た目にそぐわない高価な品――おそらく、盗品なのだろう。
彼女は勤め先でとんだ粗相をしでかして逃亡中だったらしい。
(盗みだなんて、なんて恐ろしいのでしょう)
この体では、堂々と外を歩けない――その事実は残念であるが。
(まあ、いいわ。久しぶりの体ですもの……何か食べたいわね)
食料をどこから調達するかと悩んでいる時、微かに、悲鳴が聞こえた。
誰かが井戸に落ちたらしい。
(また盗人じゃないわよね? もう少し、まともな体なら大歓迎だけど……)
ふと思いつくことがあり、赤毛の女性は隠しておくことにした。
フランチェスカは、昔から用いていた大きな人形と入れ替わる。
魂を抜かれた女性の体は、浅く弱く呼吸を続けており、まるで昏睡したかのよう。
適当な箱に体と鞄を詰め込むと、鍵を掛けた。
落ちてきた娘は、エリザベス・グラナートと名乗った。
若くて美しく、それなりに高貴な身分。
そして、自分が誰よりも不幸だと主張しているような顔つき――フランチェスカが一番好きな性質だ。
この類の小娘は、誘いに乗りやすい。
案の定、優しい言葉を掛けてやれば、すぐに伯爵家の内情を話してくれた。
(あら、随分な扱いね……丁度良いわ)
家族にも、婚約者にも、使用人にも蔑ろにされている娘――それなら、魂が入れ替わっても気付かれないだろう。
先程の、後ろ暗そうな使用人より、よっぽどいい。
見た所、肌艶は良く、衣食住の保証はされているようだ。
いらない娘、或いはお飾りの妻として、悠々自適に暮らせばいい。
そう判断したフランチェスカは、エリザベスに入れ替わりを提案した。
素直に受け入れた彼女を研究室に残し、フランチェスカは急いで外へ出る。
井戸の隠し扉には石を添え、中から開かないようにした。
(今日は二人も助けてあげるなんて、私ったらなんて優しいのかしら)
フランチェスカは、自分の行いに満足した。




