葬の正体
葬の正体
長い沈黙が有った。多治見は殺し屋になり生きて帰るか、断り死んで帰るかの二択に長考した。岩本は多治見の返事を待つ訳でもなく、三本目のタバコに火を点け、ゆっくりと話しを続けた。
「古くは戦国時代に作られたと言う説もあるが、正確にはわからない。しかし四百年近い、長い年月の中で、縦割りで分業制の組織が確立された。創立時は、天下人の暗殺部隊だったとも、テレビドラマの様な、金で恨みを晴らしていたとも。全てが憶測に過ぎないが、少なくとも、先程話した再犯防止型になったのは、昭和中期になってからで、少年犯罪に絡み出したのは、平成に入ってからとなる。」
「時代背景により変化していると?」
「仕来りや約束事なども、その時代に合わせ変化してきた。昔ながらの職制やルールなどに固執しても、組織の存続の危機を呼びかねないからな。」
「だから柔軟に変化する。」
「そうだ。警察や国の悪いところを知っているからこそ、私は変革に力を入れている。」
「なるほど。総監のお立場もお有りかと思いますが」
「公私は別だ。公では国の法律を守る。だが私では柔軟に対応する。そうやって公私の組織を守ってきた。」
岩本の表と裏。明と暗の心労が篭った、そして決して揺らぐ事の無い、強い心の内側を表した言葉だと感じた。
「先にも少し触れたが、組織と呼ばれる以上、職制がある。」
多治見の思いを余所に、岩本が『葬』の構成を語りだした。
「我々の頂点には、『上様』又は『将軍』と呼ばれる方がおり、その下に私の様な『奉行』という幹部が、全国を五つに分け、自分の地域を守っている。総称を『五奉行』と言う。そして各奉行の下に、それぞれ『目明し組』『仕置き組』『先手組』という組が付いている。」
木枯らしに舞い上げられた街路樹の葉が、岩本の背中越しに見えた気がした。十八階の窓に、多数の葉が舞い上がってきたように感じた。
「『目明し』は調査を主体とし、多方面から情報を収集して、精査した上で奉行へ報告する。『仕置き』はまさに刑罰を下すことだけをする。『先手』は仕置きを済ませた者を、無事に現場から逃すのが仕事だ。現代風に言えばアリバイ工作や逃走経路の確保が専門になる。各組の責任者を『三役』又は『組頭』と呼び、その組の人数や仕事の内容決めなどは、全て組頭に任せている。言わば完全分業制と言うことだ。だから、『先手』の中に乳飲み子を抱えた人がいれば、赤ん坊本人の意思とは別に、私達の仲間となってしまう。」
多治見は知らない内に、本題を聞いている自分に気が付いた。
「各々は、私もそうだが『奉行』職が任命するのが仕来りで、メンバー全員の全てを知っているのは『奉行』だけになる。」
「それでは、誰とも知らない者と組んで、殺めることになるのでは」
「信じられないかい?まぁ、仕置きを長くやっていれば『目明し組』や『先手組』の面子を知ることになるが……。一度に大勢を裁く事はほとんど無いがゆえ、『仕置き組』が刑場に全員揃う事はまず無い。強いて言うのであれば、仕置きの時に、仕置き人とは別に、補佐役を一人選び刑場の近くに配置する約束がある。その時に会う程度か。」
「失敗した時の用心ですか……」
「そうだ。刑場や仕置きの日時、方法などを決める――『采配』と言うのだが。全ては仕置きをする本人の責任下で行われる。だから仕損じる事は無いと思うが、緊急時の為の保険は、必要不可欠なのだよ。」
「それだけ、確実に殺さなければ成らない。」
「何故か?その仕置きの為に、目明しや先手がどれだけ繊細に準備をしているのか、仕損じれば、それに関った者達にまで危害が及ぶかもしれん。それに次の準備が必要になる。何より、自分達のミスで、次の仕置きまでに、新しい被害者が出ることが有っては決してならない。」
「気苦労が絶えませんね。」
「そうだな。『仕置き』の者達は、精神的に言っても年に二人から三人程度で、五、六年が人として戻れる限界だと、私は思っている。」
「それでも在籍の期間で、十五人もの命を絶つことになります。」
「多ければのことだが。しかし心に重荷を背負って生きていくのは、『仕置き』の者だけじゃない。我々『五奉行』とて同じ事……いや、自分の手は汚さずに、殺めることを他人に強要しているって事じゃ。『奉行』が、世の中一番の極悪人かもしれんな。」
岩本は顔を拉げて切なく呟いた。
「『奉行』とは総監のような、お立場な方だけなのですか?」
気落ちした岩本を無視して、多治見は無表情に聞いた。
「いいや、全員が私みたいな国に仕える人間ってわけではない。詳しくは話せないが、少し前には、小さな酒屋の店主っていうのもいた。五人の奉行には、識別のために『寺社』『町』『勘定』『作事』『普請』と付けて呼ばれるが、位は誰も同じだ。誰もが上下無く平等に無くては、利害を生む元になる。利害が生じれば組織が崩れ始める。崩れれば明るみに出て、組織全員が処罰を受ける。故に絶対に平等で必ず白黒が出せる様に、奇数の人数になっている。ちなみにだが、私の正式なコードネームは『寺社奉行』だ。」
岩本はソファへ深く座りなおし、多治見をしっかりと見ながら続けた。
「裁きが必要とされる犯罪者が見付った時は、地理的に一番近い『奉行所』が管轄となり、『奉行』が『目明し』を使い情報を集め、罪状がはっきりした後、他の『奉行』を召集して『評定所』を開き、正式な『沙汰』が出る。現在は文化が進んで評定所専用ネットがあってな。一つの場所に介することはなくなった。」
「近代的な殺し屋集団ですか……」
多治見が厭味混じりに茶化した。
「その通りだ……。否定はしない。人の命を犠牲に、他の人を守るなど、警察官として、これ以上滑稽で屈辱的な話はあるまい。しかも、警視総監自ら指揮を取って、最悪なケースでは『殺せ』と指示を出し、部下達が、誰にも知られること無く『抹殺』するのだ。」
岩本は多治見の言葉を真正面から受け、悲壮感を漂わせているが、多治見の目から視線をそらすことも、語気を荒くしたり、陰に落としたりする事も無く言った。
「総監はどのくらい『奉行』を務められているのですか?」
岩本の目を見ながら多治見は聞いた。
「私がこの組織に入ってからは、十五年……いや十六年といったところか。私がまだ刑事部長をしていたときに、『前寺社奉行』に声を掛けられ『仕置き』を六年勤めた後、『奉行』が病に倒れ、私が奉行職を引き継いだ。『寺社奉行』としては丁度十年になるな。」
岩本は感慨深げに当時を思い、自分に言い聞かせるかのように答えた。
「『仕置き』をしていたと言われましたが、刑事部長という職制の時に、人を殺していたと言うことですか?」
「その通りだ。奉行職は一子相伝と言う唯一の決め事がある。さっきも少し話したが奉行は『仕置き』の気持ちが分からなければ、到底勤めることなど出来ない。なぜなら、他人が罪状を決め『沙汰』を出し、『仕置き』へその裁きを遂行しろと『下知』を出す。裁く相手は、テレビや新聞を賑わした輩もいれば、小市民のように、普通に生活をしている者もいる。そう言った者を、人知れず葬るのだから、『仕置き』の心理状態は並では勤まらない。だから、『奉行』は『仕置き』を経験した上で無ければならないのだ。」
「少なくとも、人を殺す気持ちを理解している人からの命令だから、気が紛れるとでも言われるのですか?」
「悲しいがそう言うことだ……おっと。」
岩本は右の胸辺りに手を入れて携帯を取り出した。マナーモードのそれからは微かに唸り音が聞こえる。
「ちょっと失礼するよ。」
多治見に一声かけ、携帯のカメラ用レンズを覗き込み、それから二つ折りの携帯を開き幾つかの番号を押した。
「私だ。――分かった。ご苦労だったな。ゆっくりと休んでくれたまえ。」
そう言って携帯を切ってから、同じ型の携帯を左の内ポケットから取り出した。
「これを君に渡しておこう。開けると君のコードネームが画面にでる。」
「私のコードネーム?ですか。」
「今の時代は、私生活でも、文明の進化が目まぐるしく、大変便利になっているが、それは『葬』も同じだ。連絡を取るのも、指示を出すのも、これ一つあれば事が足りる。と言ってもこれは普通の携帯ではなく、私達『葬』専用なのだがね。」
「自分はまだ殺し屋に加担するなどと、了承した覚えはありません。」
「おいおい、ここまで話しを聞いておいて、いまさら『断る』などと言わないでおくれよ。」
「そう言われましても、私は人殺しの集団の一員になる気はありません。」
「いいかね、さっきから言っているように、我々の目的は『殺人』よりも『再犯防止』だ。すべてのターゲットを殺す訳ではない。随時『死罪』ばかり出していたら、『仕置き』は本当に殺人鬼になってしまう。」
「しかし、最高値となりますと、毎月一人は『殺している』という計算になります。」
「良いから最後まで聞きなさい。」
岩本は、授業中に屁理屈を言って、教師の話の腰を折る生徒を、注意するような口調で、多治見の言葉を制し、一呼吸置いて続けた。
「裁きのほとんどは、『流罪』と言って、ある施設へ人知れず隔離し、長い時間を掛けて『洗脳』する。それが、十年なのか五十年なのかは『下手人』次第だが――。『下手人』とは、沙汰が出た、仕置きをするターゲットを指す隠語だ。沙汰が出る前の者を『咎人』と呼ぶ。つまり今回の下手人の、あの菅谷ですら、一昨日までは『流罪』と沙汰がでていた。」
「それが、私の妻と娘への容疑で『死刑』へ変わったのですね。」
「その通りだ、今年三人目の『死刑』だ。あいつは過去の事を理由に悪びれることも無く、遊び感覚で人の命と体を弄ぶ。」
多治見には岩本の憤りを今の言葉に感じた。
「性的犯罪者は昨年だけで六百七十人ほど出所しているが、その殆どの姓名や顔などは、被害者が希望しない限り、公表されることは無い。その上、警察庁へ知らされてくる出所後の住所は、出所者の自己申告な為に、出所した一割程の行方が分からないのが現状だ。その一割の中の半数は我々が『裁いた』が、残りの半数は、文字通り行方不明だ。所在不明の約三十数名、全員が更正してくれれば良いのだが、今こうして君と話しをしているこの時にも、誰かが被害を受けているかも知れんのだよ。」
そこまで話し、岩本は腕時計に目をやった。
「話しが逸れたが、菅谷に変わろうとする意思があれば、数日で変わることもできる。しかし菅谷には、その辺の気持ちが欠如していると『目明し』や、担当の『仕置き』も断定した。」
「――。」
「丁度いい時間か。君に見せたいものがある。」
岩本はテレビのリモコンを取り、テレビを点けた。画面には情報番組が映し出され、殺人をしたと渋谷中央署へ自首してきた少年が、取り調べ中に逃亡した事を、司会者と出演者が話している。よく観ていると、テレビ画面の右上に『警察官の家族を殺した犯人が、警察署から逃亡!』と書かれていた。多治見はまさかと思い岩本の顔を見た。
「これが、我々の仕事の始まりなのだ。」
岩本は多治見の目を見たまま、無表情で答えた。
「菅谷を――本当に」
多治見は驚きを隠すことができなかった。漏れた言葉の次も出てこないほどに、ただ呆然と画面を見ている多治見へ、岩本は静かに語った。
「菅谷は君に言った、奥さんと娘さんへの性的暴行はしていない。これは、司法解剖で昨夜判明した事実だ。」
「していない……?どういうことですか?」テレビに釘付けの目が岩本へ向けられた。
「君は菅谷に嵌められたのだ。」
「……」
「それから君の家からは、鑑識が細部に渡って指紋を取ったが、菅谷どころか君の家族と、恐らく君や家族の友人や知人と言った、生活で着いた指紋以外、不自然な指紋は発見されてはいない。」
「つまり、菅谷が言っていた共犯者もいないと……」
「共犯者どころか、菅谷自身の指紋すら出ていない。」
「手袋をしていた。であれば、計画性は有ると判断できます。」
「この時期、外出時に手袋を嵌めていても不思議は無い。」
岩本は即座に多治見の意見を打ち消した。
「菅谷は警察の先の先を読んで動いている。犯罪に関しては、とても頭が切れる小僧だと『目明し』から連絡がきていた。逮捕後に弁護士へは、君からそう言うように強要されたといえば、菅谷が君へ自首した時の自供だけで逮捕した今では、殺害どころか不法侵入の立証すら大変難しい。それにだ、菅谷にしてみれば、君から受けた拳が、ウソの供述をしなければ、もっと暴力を受けると、昔の――。子供のときの、あの恐怖が蘇り、夢中で言ってしまったと、弁護士へ言うつもりではなかったのか。私はそう思っている。つまり言い方は悪いが、君も渋谷中央署の刑事課連中も、まんまと菅谷に踊らされたと言うのが、本当のところだろう。」
「では強姦や強盗が目的ではないと言われるのでしたら、一体何の為に、私の家内と娘は、菅谷に殺されたのですか?」
「その辺りも菅谷を葬るまでに、彼等がはっきりさせてくれると思っている。」
「彼等とは、菅谷を逃がした者達ですか?」
「そうだ。菅谷を渋谷中央署内から逃がした、我々の仲間がだ。」
「しかしどうやって逃がしたのですか――。まさか、署内に仲間がいた。」
相良の角張った独特な顔が浮かんだ。
「いいや。そんな都合よく警察内部には仲間はいない。」
岩本は少し笑みを浮かべ「警察内部にはいない」と繰り返した。
「ではどうやって、菅谷が逮捕されてから会った人間は――。まさか。」
多治見は岩本の眼を見入ったまま息が止まった。
「わかったかな。」
「弁護士……ですね。でも弁護士だってそんな都合良く」
「菅谷のマークを始めたのは、一人目の少年が行方不明になり、菅谷の犯行説が流れ始めた半年前の事だ。『目明し』が菅谷の取り巻きから、情報を取り始めた。しばらくして二人目の少年が姿を消した。その後の『目明し』の捜査で、二人の行方不明者は、菅谷の手によって葬られたと確信できた。私は、菅谷を五奉行の『評定所』へ掛けた。結果、『五奉行』全員と『上様』の同意を得て『仕置き』を送った。犯罪そのものを楽しむ菅谷には、弁護士と言う肩書きが利いた。自分に有利になると思い込み、意外と簡単に距離を埋めた。そして『仕置き』自身も、菅谷が少年二人を殺害し、遺棄したと犯行を確信したので、一昨日の晩、『目明し』『仕置き』『先手』の『組頭』が集まり『三役会』を開き『裁き』の最終確認をした。まさか、その間に君の奥さんとお嬢さんの命を取られてしまうなどとは、微塵も思っていなかった。」
岩本はソファから降りて、床に両手をついて深々と頭を下げた。
「私のミスだ。友人宅へ連泊すると言う情報を得て、友人宅へは注意を怠る事無く対処していた。今更だが菅谷当人へも、『目明し』を付けて置くべきだったと後悔している。それよりも、もっと早くに裁いていれば、君の家族を守ることができた。本当に申し訳無い。」
「別に総監のせいだとは思っておりませんので、その様な事はなさらないでください。」
多治見は慌てて岩本を起き上がらせた。
「しかしあの菅谷が、弁護士の言う通りに逃亡をするなんて考えられません。美味くすれば、無実を勝ち取れた可能性が残っていたのに、どうして逃亡なんかする気になったのか、検討も付きません。」
多治見はソファに腰掛け直した岩本へ聞いた。
「たとえば、君の家族への殺人又は不法侵入などでの裁判でも、結果がでるまでに時間がかかる。その上、万が一有罪などになった時、菅谷は自由を失う。自由を失うことを前提に、弁護士は接見で話しかけた。何気なく、刑に服する事になるかもしれないと、何度か話して不安を駆り立ててしまえば、菅谷の心の何処かに隙が生まれる。そこを『仕置き(やつ)』が突く。」
「菅谷が動揺したと?」
「法律のプロが、犯罪者の心の中で一番弱い所を突いたのだから、恐らく数時間で落とせただろう。」
「でしたら自供させる事も、可能だったのではないですか?」
「外へ出るという、自由を得るためだから可能だったわけでな。殺人や死体遺棄などの、犯罪に対しては金輪際吐くわけが無かろう。」
「それはそうですね。しかし、弁護士だけで逃がせるものでしょうか?」
「それは到底できない話しだ。それを可能にする為に、『お庭番衆』が手を貸して、菅谷を渋谷中央署から拉致した。」
「『お庭番衆』ですか?」
「『上様』直轄で特別機動隊みたいな猛者達だ。拉致や鎮圧、凶悪犯の拘束などを、我々『奉行』が必要に応じて、『上様』へお願いして手を貸してもらう。めったにお目に掛れない存在だ。君をここへ案内したのも、そのお庭番衆の一人だよ。」
「そこまでして、菅谷を死刑にするのですか?自分には出所してから、犯罪に関しての考えが変わったかの可否をみてからでも、遅くは無いと思いますが。」
「確かに君の言う通りだ。だから、殆どの死罪は実際の刑期が明けてから行われる。」
「出所後にですか?」
「何度も言うが、我々の目的の重きは『再犯防止』にある。凶悪な犯罪者を仕置きする事も、稀に有るがね。だが基本は、犯罪者が刑期を勤め出所してから、観察が付くのと同時に、数ヶ月に渡って密かに『目明し』も付く。その期間に再犯の兆しが見えたとき、初めて我々の『沙汰』が出るのだよ。よって、出所後の生活に馴染めずに自殺したと報道されたり、どこかの山や海から身元不明の死体が発見されたりしても、マスコミに騒がれる事無く、静かに幕を下ろせる。」
「だったら、菅谷も」
岩本は多治見の言葉を遮った。
「彼は別格だ。私が『葬』に入って以来、出所前の下手人に、死刑が確定したのは四度目だ。」
「四人目ですか」
「そう十六年の中で、たったの四人だ。しかも、未成年者を手掛けるのは今回が初めてになる。」
「では尚更のこと、裁判に委ねたら良いのではないですか。」
「君は、自分の奥さんと娘さんを殺された恨みを、菅谷には持っていないのか。」
「そんなことはありません!菅谷が目の前に現れたら、この手で殺してやりたい衝動に、今の自分は負けると思います。しかし『葬』の仲間に、未成年者を殺害させると言う、重荷が伴うのであれば、十五年待っても良いと思うのです。」
「ほぅ、我々を気遣っているのか?やっぱり君を『葬』に推薦して間違いは無かった。」
岩本がそこまで話したとき、渋谷中央署の署長の会見が始まった。署長は四人掛けの長テーブルの中央に座り、その左隣には副署長が、右隣には刑事課の泉課長が連なっていた。
署長は十一月に入り、底冷えのする時期だと言うのに、絶えずハンカチで汗を拭っていた。用意された水を口に含んだとき咽て、口に残っていた水が、テーブルの上の原稿と報道陣が用意したマイクにかかり、報道陣が慌ててマイクを拭く一幕があった。
「あんなに上がって可愛そうに見えるが、署長は地元の風俗店から接待を受けていた。彼もあと少しで定年を迎えるので、風俗店との癒着をもみ消す代わりに、今回の責任を取る形で奥多摩辺りへ行って貰うつもりだ。」
「署長も『葬』の駒ってことですね。」
「大事の前の小事だ、それに菅谷逃亡の件が無ければ、彼は警察官として有るまじき行為をしたことで、解雇か辞職かの選択を余儀なく迫られる事になる。彼や彼の家族の事を思うのであれば、残りの数年を奥多摩で過ごせば、円満退職という勲章まで付くのだから、決して悪い条件とは思わないがな。」
「では、総監はいかがなのですか?」
「私かね。私は天罰がくだるのを待っている。それまでは私がやっていることを『正義』と受け止めて、下手人を社会から葬り続けるだけだ。」きっぱりと言い切った。
準備をし直し、やっと会見が始まった。汗を拭き拭き、何度も言葉に詰まっての会見は、およそ二十分で終わった。会見内容を纏めると次の通りであった。
午前九時四十五分頃、取り調べの最中に菅谷がトイレへ行きたいと申し出たため、手錠を填め、警察官二人が同行した。
トイレの入口が狭かったので、二人の警察官が菅谷を前後で挟んだ形で一列になり、中へ入った時、個室から帽子とマスクにサングラスで顔を隠した三人の暴漢が現れ、前の警察官一人を殴り付け、後ろ側の警察官を突き飛ばした。二人の警察官は声を出す間も無く、暴漢に縛り上げられ、個室へ押し込まれた。その後、暴漢三人が菅谷を連れ出したと思われた。
菅谷と警察官がトイレから戻らない事から、取調べの刑事が異変に気付き、署内を捜索したが、菅谷と暴漢はすでに署内から消えていた。
急ぎ管轄内に検問を敷いたが、菅谷と犯人はいまだ網にはかかっていなかった。また署内においては、暴漢が署内の防犯用カメラの位置を知っていた節があり、数箇所のカメラが壊され、撮影可能なカメラには、菅谷と暴漢のうしろ姿さえ映ってはいなかった。寄って、暴漢の手がかりになる様な物や、正確な人数や体形、性別すらも、現状では不明のままとの事であった。
また、今後の捜査方法として、菅谷が仕切っている、渋谷の繁華街を根城としている不良グループ『離是流』の仲間が、リーダーの菅谷を奪還した可能性もあるので、渋谷中央署を総動で捜査にあたる。と結んだ。
当然なことだが、菅谷は未成年であるために、顔写真や名前が公になる事も、報道されることも無かった。しかしNテレビでは、昨日の朝に代々木公園で見付った、瀕死の青年との繋がりも疑うべきだ。とワイドショー番組で付け加えていた。
「菅谷は既に殺されたのですか?」
「いいや、まだだ。今は拉致し『刑場』へ向かっている最中だな。」
「『刑場』ですか?」
「仕置きをする場所のことだ。菅谷の死に場所に適した所へ向かっている。我々が掴んでいる限りで四人の命を奪ったのだ、それに報いる場所を用意しているはずだ。」
「総監も場所と方法は知らないのですか?」
「『葬』も警察と同じ縦割りの組織だ。計画は聞いてはいるが、実際に行動するのは、『仕置き』の指示で『目明し』と『先手』が動く。私は、彼らを信じて『裁き』が終わった知らせを待つだけだ。」
多治見はふと相良の事が頭を過ぎった。今朝、渋谷中央署の屋上で相良が言っていた、殺し屋グループが実在して、しかも自分がその仲間になろうと心が動きかけている。相良が追いかけている加賀谷の件にも、関与している可能性がある。万一そうだった時は、相良と真っ向勝負になるだろう。勝算は極めて低いが、相良の追及から逃げなければ多治見だけではなく、新しい仲間を危険に晒すことになる。黙ったままで長考している多治見の目の前に、例の携帯が突然現れ我に帰った。
「先月末の話しだ。千葉県袖ヶ浦で、四十二歳の男が死んだ。」
唐突に切り出された話しに、当惑を隠せなかった。
「その男の名は桂木勇と言う。桂木は十歳の女児が怪しげな男に、茂みの中に連れ込まれるのを見た。男は女児の上に跨り、衣服を引き千切り乱暴しかけていた。桂木は夢中で女児を助けに入った。おかげで女児は衣服を剥がされていたが、乱暴は間逃れた。桂木は自分の上着を被せて、女児を歩道へ出した。そこに通り掛かった女性に女児は助けられた。しかし桂木は背後から、ナイフで三度刺されて死んだ。」
「それも再犯――。なのですか?」
「そうだ。少年院から出て、僅かひと月後の事だった。」
多治見はテーブルの上に有る灰皿へ落とした視線を、岩本へ向けた。
「決心が付いたかね。私としては必要以上に説明をしてしまった都合、『葬』に尽力をいただけないと、私と君の命の保証ができないので困ってしまうのだが。」
「脅しですか?」
「脅す?本当の事を言っているのに過ぎない。」
岩本はソファに深々と座り、指を腹の前で組み、目を閉じて多治見の返事を待っている。
「私の仕事始めは何時ですか。」
岩本は目を大きく開き、顔全体に安堵の色を灯らせて、右手を多治見の方へ伸ばし、硬い握手を交わしながら多治見へ言った。
「ようこそ『葬』へ」