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SABAKI 第一部 勃焉  作者: 吉幸 晶
6/18

葬(はぶり)

       

       (はぶり)



 萩本の電話を切ってから三十分程で、渋谷中央署の警察車両の駐車スペースに、黒塗りのクラウンが一台やってきた。入口で立哨の警察官に停められたが、運転手が、本庁から新宿南署の多治見警部補を迎えに来た。と告げると、入署を許された。車は多治見が待っていた、警察官の出入り口に一番近い場所に停まった。

「多治見警部補ですか?」

 黒塗りの車から降りてきた男は、警察官通路の横にある、休憩所に一人座っていた多治見の前に立ち、躊躇無く訊いた。

「はい。多治見です。」

「ご家族を亡くされて、沈痛のところ恐縮でありますが、本庁総務課課長の指示でお迎えにあがりました。」

「ご苦労様です。連絡をいただければこちらから伺ったのですが……」

「それには及びません。これが私の仕事ですので、お気にされる事はございません。少し急いでおりますので、車の方へお願いいたします。」

 言葉は丁寧だが、強制的で威圧的な物言いをする男であった。多治見はゆっくりと立ち上がり、男が指した車へ無言で歩いて行き、後部座席へ乗り込んだ。

 本庁までは多少の渋滞に会い、小一時間を要した。しかし車中の二人は、話しを交わすことは一度も無かった。多治見は両手で握り拳を作り、終始目を閉じ、家族の基へ行けないもどかしさを我慢していた。運転している男は、ただ黙ってハンドルを握っていた。


 本庁の地下駐車場へ黒塗りの車が入り、MPと思われる男が立っている前で停まった。

「多治見警部補、お疲れ様でした。後は、あの者がご案内いたします。」

「ありがとう。」

 多治見は車を降りその男が導く方へ歩きだした。通常では乗ることもできないVIP用のエレベータに乗り込み、男は十八階のボタンを押した。その階に何があるのか知りたかったが、話しができるような雰囲気ではなく、多治見は黙ってエレベータの中央に立ち、目標の階に着くのを待った。

 十八階に到着しエレベータのドアが開くと、二人が横並びで歩いても、余裕があるほど幅の広い、長い真直ぐな廊下が見えた。その廊下には窓も無く、数本の蛍光灯が規則的に並んでいた。しかし両側が壁になっているためか、暗く感じる。床は厚いカーペットが敷いてあり、革靴で歩いても靴音が立つことも無い。廊下を黙ったまま歩いているので、二人の服の擦れる音だけが、廊下を移動して行く。幾つかのドアを過ぎて一番奥の、突き当たりの部屋の前で、案内の男は立ち止まった。

「ここが終点か……」

 ドアの前に立ち、ひと呼吸置いてから重厚な大きな木製のドアをノックした。返事は聞こえては来ないが、多治見をここまで案内してきた無表情の男は、ドアの(かたわ)らに立ちノブを回しドアを少し開けた。多治見へ中に入るよう手で促した。

「この部屋に入って良いのかい?」

 多治見は自分が呼ばれた理由を、やっと聞けるとドアを大きく開けて部屋の中へ入った。ドアの向こうは、廊下の暗さとは対照的に陽が満ちていた。男はその眩しさに戸惑っている多治見の背中を押し、静かにドアを閉めた。


「失礼いたします。新宿南署生活安全課の多治見翔一警部補でありす。」

 正面の明るい大きな窓の真ん中に、細身で長身な人影を確認し、自分を呼んだ誰ともわからない影の主へ、ドアの所で名乗り、脱帽の敬礼を送った。

 影の主は閉められたドアに、例の男が外側から鍵をかけるのを確認してから、ゆっくりと振り向き多治見に声を掛けた。

「すまないね。心痛のところ呼びつけて」

「……」

 刹那であった。逆光の中だが、多治見が影の主が誰かを理解するまで、ほんの一瞬であった。しかし、脳が理解した瞬間に、肉体が驚きのせいで硬直した。息だけではなく心臓までが止まったかのように、影に見入ったまま、身動きが出来なかった。

「立っていないで、そこへ掛けなさい。」

 影は向かいのソファを勧めた。

「はっ。しっ、失礼いたします。」

 多治見はやっとの思いで声を絞り出し応答した。左右の手と足が同じ出方でぎこちなく歩き、ソファの前に寄ると、そこで力が尽きたかのように『ドスン』と音をたててソファに崩れ落ちた。影は多治見の一挙手一投足をじっと見ていたが、ソファに落ち着いたのを確認し、自分も向かいのソファへ深く腰を下ろした。

 テーブルにはすでにコーヒーが二つ用意されていた。

「君を呼んだのが私で、さぞかし驚いていると察してはいるがね、さぁ、冷めないうちに――、と言っても、もう充分冷めてしまったか。」

 影はコーヒーと一緒に用意されていた、砂糖やミルクを入れず、カップを口元へ運びひとくち飲んでみせた。

「はっ、頂戴いたします。」

「そんなに硬くなることはない――。と言いたいがそうもいかんか、相手が警視総監という肩書きを持っていると」

 影は少し悪戯な目で多治見を見ながら『警視総監』の岩本と名乗り話しを続けた。

「君のご家族のことは、本当に残念でならない。心からお悔やみを申し上げる。」

「ありがとうございます。」

 礼の後に言葉を継ぎ足そうと考えていた多治見を、岩本は左手で制して切り出した。

「犯人に対しては、怒りや憤りを通り越して、殺意の念でいっぱいだろう?」

「殺意……」

 警視総監からは、とても聞けないような言葉を耳にして、多治見はつぶやいた。そんな多治見へまた左手を軽く挙げ言葉を制し「警視総監とて人間だ。もし私の家族の身に、君と同じことが起きたら……。間違いなくこの手で始末を付けている。」

 岩本は多治見の目の動きを細かに観察しているが、緊張の中にいる多治見に、その視線の真意をどこまで感じ取れるのか。警察官のトップと現役刑事の、腹の探り相が始まった。


「これが時代劇であれば、金で憎い犯人を殺して貰えるのだろうが、現代社会では――。特に警察官の警部補ともなると、たとえ裏社会が存在し、その中で殺し屋がいたとしても、頼むことなどできやしない。第一、我々警察は『人の命と財産を守る事が使命』なのだからな。君のように家族が殺されようとも、犯人を逮捕し裁判所へ送り、刑が決まるのを待っているしかあるまい。」


 岩本は「家内からコーヒーを控えるように言われている」と言いながらも、冷めたコーヒーを、またひとくち飲んだ。

 多治見は岩本の真意を確かめるよう、聞き込みと同じ気構えで、岩本の言葉を慎重に聴く。

「しかし……だ。建前上はそうあるべきだが、現実はそうはいかない。」

 多治見は眉を(ひそ)めた。岩本も多治見のその仕草を見逃してはいなかった。

「警視総監が可笑しなことを言っている。まさか自分が密かに殺し屋を雇って、犯人の菅谷を葬ろうとしているのでは――と疑っているのでは、な・い・か」

 右手の人差し指を立て、多治見の顔の前で左右に振り、鼻先で止めた。

「そんなことを考える人間じゃないことは知っておる。だから、君をここへ呼んだのだよ。」

 鼻先で止まった指が宙を舞い、自分の上着の内ポケットに吸い込まれたが、岩本の目は真直ぐ、多治見の目から離れずにいる。

「科学が進んだこの世の中にも、時代劇のような人の恨みをはらす人間が――。組織が実在するのだよ。とは言っても、あんなに格好の良いものでは到底ないがね。」

 右手は上着の内ポケットから、ダンヒルの箱と金のライターを抱えて卓上に戻った。多治見は言葉を失っていた。


「その組織は(ほうむ)ると言う一文字で『(はぶり)』と呼ばれている。私がその『(おさ)』の一人なのだよ……。」

 岩本が放った一言を、理解するのに時間が掛かった。最初は意味が判らず、頭の中で反芻した。内容を理解し始めると、騙されているという答えがでてきた。しかし岩本の目は真実を語っていると、長い刑事生活で鍛え上げた『感』が確信させ、遅蒔きながら全てを理解した。

 多治見は『自分の家族の敵を取ってくれると言うのか』と声に出しそうになったが、騙されている可能性も皆無ではないと思い留まり、岩本の次の言葉を待った。

「生憎だが。この場は、君の家族の敵討ちを相談するために設けた訳では無い。」

 岩本は多治見の気持ちを察したのか、先に断りを入れ「端的に言えば『勧誘』だ。君が私達の組織の存在に賛同して、参加してもらうための。」

 ダンヒルのセロファンの帯を解きながら続けた。

「じっ、自分に殺し屋になれと言われるのですか?」

「その通り、『仏の多治見』の二の名が、私にそうしろとヒントをくれた。」

「な――。おふざけが過ぎます!」

「ふざけてなどおらん。どんな時も、『罪を憎んで人を憎まず』の君の姿勢を、今回のように、君自身の 家族が、あのような殺され方をされたにもかかわらず貫き通し、犯人を逮捕して裁判にかけて、刑に服させると言い切った君だから、頼めることなのだよ。」

「自分には理解できません……。」

「いいかね。最初から人を(あや)めることへ抵抗の無い人間など、この世には存在しない。だが、初めて人を手にかけた瞬間から、人としての理性を失い、その人は人であっても、人では無くなる。また別の角度から言えば、愛する人を奪われた側の人間もまた、憎しみに囚われて、人では無くなることさえ――ある。」


 ダンヒルの蓋は開けられ引き出された中紙は、左手で一握りされて卓上へ転がり落ちた。転がる中紙を気にせずに、左手の指先は一本の煙草を掴み箱から抜き取った。

「しかし君は、殺しても殺しきれない犯人を、自分の手で確保し、刑に任せると自首をさせた。」

 右手の中で遊んでいた金のライターの蓋が、高い金属音を立てて開けられた。

「君には悪いが、菅谷は無期だ死刑だと言う極刑にはまずならないだろう。」

「それは少年法が……」

 岩本は無言で多治見を黙らせた。

「君だって良く知っているはずだ。猟奇的な殺人の時には、弁護士が心神喪失か心神耗弱を理由にして数年、長くても十年未満の病院送りってところで落ち着く事ぐらい。」

 咥えた煙草に火が点けられた瞬間、悲壮感漂う岩本の顔が照らされた。

「菅谷は初犯ではない。が、前回、まだ十三歳の時の父親と姉への傷害事件は、父親と姉の異常な体罰により起きた事件だと言うことで、初等少年院送りで収まった。が、今回は少年時代に受けた、精神的苦痛が起こした惨劇として、弁護士は心神喪失か心神耗弱で押してくるだろう。そうなれば、未成年の受ける刑でもっとも重い刑とされる十五年の懲役だ。つまりいくら遅くても、十五年後には三十四歳と言う、脂ののった犯罪者が自由を得るのだよ。」



 この事件の発端は菅谷が十二歳の冬、今から七年前に、母親の妙子が、全裸死体で発見されたことから始まる。

 当時菅谷一家が住んでいた団地内にあるゴミ集積場で、毛布に包まれた全裸の女性死体が見付った。管轄の警察の調べによると、菅谷妙子は遺体で発見される前日の夕方、団地内のスーパーで買い物をしているところを、隣人が見かけたのを最後に、消息を絶っていた。

 捜査の結果、同じ団地に住む浪人中の十九歳の少年が、妙子と一緒にいたという証言が多く取れた。警察はその少年と両親から聴取をして、少年の逮捕に踏み切った。死体発見から犯人逮捕まで、僅か二日間と言う記録的に短い事件であった。

 菅谷の父親は真面目を絵に描いたようなサラリーマンで、姉も明るく優しい性格で、学校でも人気のある中学生であった。しかし、その事件の真相がおおやけになり、二人は変貌し菅谷家は崩壊した。

 それは少年がスーパーへ買い物に行った際、菅谷の母親の妙子から声を掛けてきた。という証言からであった。

 少年は妙子に『貴方の部屋に連れて行ってくれれば、良い事をしてあげる』と言われ、受験勉強でたまっていたストレスを発散するため、自分の部屋へ連れて行き、そこで肉体関係を持った。行為が終わってから、お金を要求され、持ち合わせが無いと言うと、妙子は全裸のまま、家の中を物色しはじめた。少年は止めるよう頼んだが、『ただで女が抱けると思うな!』と怒鳴られ(ひる)んだ。その隙に妙子はタンスの引き出しから、少年の親の通帳と印鑑を見付け、妙子は少年に、銀行へ行って下ろしてくるよう強要した。しかし少年が断ると、妙子は大声を出して助けを呼ぶと少年を脅した。少年が迷っているところへ『罵声』や『脅迫』の追い討ちを掛けられて、少年は一層追い込まれ、錯乱状態に陥り、我に返った時、妙子が床に倒れていた。

 その後相次いで帰宅した両親に相談して、売春婦ごときに人生を棒に振ることは無いという、自分勝手な両親の言い分を聞き、夜中を待って隣の棟のゴミ集積場へ死体を遺棄した。

 こういった少年の自供から、殺害当時は心身喪失の上、少年の話しが本当であれば、妙子の売春行為と恐喝が基と言うことも考えられた。家庭裁判所は、少年を中等少年院への送致五年と言う判決を下した。 妙子の売春と恐喝に関しての真偽の程は、少年以外、誰にも分からないままであった。

 その噂が広がり菅谷一家は、被害者の家族でありながら、加害者然の生活を余儀なくされた。玄関のドアに『主婦売春宿』と書かれた一枚の紙が貼られたことから、菅谷家の精神的に追い詰められる苦悩の生活が始まった。

 その後菅谷の家族を中傷した張り紙や、いたずら電話などが毎日続き、その頃から菅谷は、父親と姉から暴力を受け始める。しかし幼い菅谷は生きるために、二人のストレス解消の人形となるしかなかった。誰にも相談できず耐え続け翌年の初冬、十三歳になった自分の誕生日の早朝。父親と姉がまだ目覚める前に、父親を包丁で刺したあと、姉の首を紐で絞めた。

 後の取り調べで菅谷は『殺さなければ、殺される』と思ったと供述した。閉鎖的な家庭内暴力を受け続けていた事が、菅谷の体に残った火傷や(あざ)、鞭を打たれた痕など多くの傷が証拠となり、また十三歳と言う歳から初等少年院へ送致された。



 多治見は今朝、相良が言っていた話を思い出した。三十才半ばの殺人鬼の菅谷が、獲物を狙って町を物色して回っているところが、頭に浮かんだ。それでも多治見は、相良へ言った通りに岩本へ答えた。

「納得はしませんが。刑を受けて出所するのですから、それで良いのでは。」

 岩本は火を点けたばかりの煙草を灰皿でもみ消すと、ソファから立ち上がり、窓へ行き窓外を見下ろし静かに言った。

「私の手の者が調べた結果なのだが、菅谷の周りに居た人間で、この一年間に行方不明になっているのが二人ほどいる。しかも、菅谷に逆らい口論した直後に消えている。ミンチにして海へ捨てたと聞いた奴もいれば、お台場のビルの支柱に、埋められたと言う奴もいるが、死体が見付らない上に、証拠が無いので立証ができない。」

「それでしたら、証拠を挙げて立件して追起訴を」

 岩本は振り向かずに左手を上げ、多治見の言葉を遮った。

「私の言いたいのはそこじゃ無い。」

 珍しく岩本の語気が強かった。

「警察がいくら躍起になって捜査をしても、立件は恐らく無理だろう。しかし、警察の捜査でも到底掴めない証拠だろうと、元々が違法な我々の組織からすれば、手段を選ぶ必要がないのだから、証言は取れる。証言は取れるが違法ゆえその証言は証拠にはならない。証拠にしようと無理に外へ出せば、我々の組織も外へ出る。それは我々組織の根幹を揺るがす大事だ。それだけは絶対にできない。」

 多治見は岩本の影を真直ぐに見ている。

「そうこうしている内に、菅谷は君の家族の件だけの罪で、十五年ほどすれば出てくるだろう。無期や死刑ならまだしも、世の中の大勢の人間が、あいつの存在を忘れた頃に、あいつは自由を得る。男盛りのうちに放免されれば、当然奴は獲物を探す。そして――。」

 岩本は、窓外を見たまま二本目の煙草に火を点けた。

「また『殺し』を楽しむのだ。自分がどう言う人間かなど知る由もない周りの人達を、人知れず今と同じように闇に紛れて、弱き命と体を弄び、恐怖と絶望を与えて『殺す』のだよ。」


 多治見は、妻や娘の事を思った。二人は、今岩本が言ったように死んでいったのかと思うと、涙が溢れてきた。感情が昂ぶり体中の血が熱くなり、二人の無情な叫びを、聞いたような錯覚に陥った。

 岩本はソファへ戻り、座り直すと多治見と対峙した。

「我々の使命は、今の法律ではどうする事もできない『完全犯罪』の摘発と排除。そして『再犯防止』にある。どのような形であっても、完全にこの世から消えてもらい、犯罪や再犯を阻止して犯罪者から一般の人を守ることが、我々が存在する『意義』なのだ。」

 街頭では初冬を向かえ、紅葉の終わった街路樹の葉が、木枯らしに吹かれて散って、舞い上がっている。この部屋で話している世界とは、ガラス一枚で分けられているだけなのに、手の届かない遠い世界の様にさえ感じる。

「完全犯罪の排除と再犯防止が意義。」

「刑を終えて出所してまともになる人間なんて、ひと握りがやっとだ。大半の犯罪者は自分の事を知られていない所へ移り、性犯罪者であれば回りの女性や子供を物色し犯行に及ぶ。詐欺や殺しの犯罪者とて同じようなものだ。たとえ、越してきた隣人が、大事件の犯人だったとしても、十数年も経っていれば、忘れてしまうのが現代人の特徴のひとつでもある。もっというのであれば、隣に誰が越して来ようが『我関せず』だ。自分の隣近所に元犯罪者が越して来たなどとは気にしない。違うかね?」

「確かに……しかし」

「ん?まだ弁護するか。」

「弁護するわけでは無いのですが、だからと言って『殺す』ことは」

「『無い』と言い切るか。」

 岩本は目を見開き、仁王の顔さながら多治見を睨んだ。多治見は岩本の眼光に押されながらも踏ん張り、岩本の目を見て肯定した。

「君の云わんとすることは、至極当たり前の事。殺人などで誤魔化したところで、何の解決にも成らない事だと、私だって判っている。だがね。まだ年端もいかない子供を強姦したうえ、殺して遺棄されることを、未然に防ぐ手立ても。少ない貯金と僅かな年金で暮らしている、幾多の年寄りから、貴重な金を騙し取る輩を取り締まる手段さえ、今の警察や法律では、たとえ犯人の面が割れていても、証拠が無ければどうすることも出来ない。それに君が言うように、与えられた刑を全うすれば、全て許されるなどと思っている輩がいる限り、『再犯』は無くなる事はない。」

「それは良くわかっております。家内や娘の事を思うと、この手で菅谷を殺したいと――。」

 多治見は心が痛んだ。冷めた感情が再び込み上げ、涙が自然と溢れ膝の上に落ちて、ズボンに幾つか痕を残した。

「菅谷が出所して、もし、同じ事を繰り返すようなら警察を辞め、あいつを――」

「『殺す』か?しかし、それでは君の奥さんとお嬢さんは『無駄死に』だ。」

「……」

「『再犯癖』が認められている菅谷と言う、生きた凶器を十五年の後に、自由にするのがどれだけ危険なことか――。しかし、法律上の刑期を勤めれば放免され自由を得る。その間に更正すれば良いが、奴はそうは行かない。断言しても良い、奴は必ず罪を――。同じ罪を犯す。」


 妻の美佐江や娘の奈美への非情な仕打ちに対して、本当に刑に任せて良いのか、万が一、同じ再犯を防げずに被害者が出たとき、自分はどうやって被害者や遺族へ謝ればいいのか、美佐江や奈美になんと報告すれば良いのか、頭の中で忙しく疑問が浮かぶが、どれ一つとして答えを導き出せなかった。


「世の中には、運が良いいのか悪いのかわらないが、捕まりもせずに、ほんの軽い気持ちで、何度と無くスリルを味わうため、陰で犯罪を楽しむ輩はごまんといる。そういう輩は、捕まえて裁きを受けさせても、自分の犯した罪を改めはしない。ただ『運が悪かった』と思うのが落ちだ。それは何故か――。罪を罪と思っていないからだ。だから、奴等は『再犯』だと言う認識を持っていない。特に、菅谷の様な、犯罪と遊びの区別が出来ない人種は、刑で更生する様な良心を持った人間ではない。」

 岩本の瞳は悲しみの中に沈んだような、深く暗い色に多治見には見えた。しかし、岩本はその目に気力を甦らせて話しを続けた。

「人を(あや)めると言う事は、理由はどうであれ、決して行ってはいけない行為だと、葬の者達全員が承知している。しかし私たちはあえてそれを……『人を殺す』ことを繰り返してきた。君も実際にその場に立ち会い、下手人の声を聞けばわかるだろうが――。」

 二本目の煙草を静かに灰皿で揉み消し、冷め切ったコーヒーを口まで運んだ。が、今度は飲まずにテーブルへ戻した。エアコンが利いた高層のこの部屋からでは、窓外の気温が下がりだしていることなど感じ取れない。

「私達の仲間は全国各地に大勢いる。老若男女問わずに下は0歳の赤ん坊から上は百歳近いご老人まで、いろいろとだ。」

「赤ん坊って。どうやって人を殺めることができるのですか?」

「我々は『組織』だ。従って職制が有る。情報を取る者、人を殺める者、そして証拠を消し仲間を逃がす者。全てが職制によって分けられ、各自が職務を全うしている。」

「殺し専門の集団――。」

「その通り。時代劇の様なヒーロー然とした、格好の良いものとはまったく違う。時間と金を掛けて、多勢で囲って罠に連れ込み、一人を確実に殺すのだ。極悪非道な犯罪そのものだ。」

 吐き捨てる様な語気に、岩本の心の奥底での、警察官のトップとしての葛藤が垣間見えた。

 少し間が有った。その間で岩本は、昂ぶった気持ちを平常に戻した。

「まずは、組織の編成を説明しよう。」

「ちょっと待ってください。自分はまだ――」

「もう遅いのだよ。君みたいな有能な後継者を失いたくは無いのだ。」

「有無を言わせず、断ったら『死』があるのみだと?」

「その通りだ。君が通ってきたルートは、私と案内をした者の二人意外は、誰も知らないルートだ。それに、君のダミーを作って、今は警視総監室で、私と君は話しをしている事になっている。」

「何て!」

「そこまでしても守らなければならない、組織なのだ。『葬』とは。」


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