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SABAKI 第一部 勃焉  作者: 吉幸 晶
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再犯


再犯



 相良は明け方に、夜勤の同僚から多治見家の事件を聞かされた。多治見の所在を聞くと、まだ渋谷中央署で調書を取っているとの回答であった。

「何と理不尽な!何が有ろうと、奥さんと奈美ちゃんの所へ行かすのが先ではないのか!」

 電話口の同僚を責めたが、菅谷の弁護士が、多治見の暴力を問題視して、かなり揉めている様だと返答した。

「とにかく、すぐに行く!」と電話を切って、急ぎ出掛ける支度を整え自宅を飛び出した。


 相良は署へ着くと、休憩場所のベンチに、ひとりぼんやりと腰掛けている多治見を見付けた。

「多治見――。まだ行けないのか?」

「相良――か。悪いな、寝ていないだろう。」

「俺の事は心配するな。まだ、美佐江さんと奈美ちゃんに会っていないのか?」

「あぁ。まだ、刑事課長と菅谷の弁護士が話しをしていて、とても俺一人で帰る訳には行かなくてな。」

「何が有ったんだ?」

 暫く多治見は黙り込んだ。相良はそんな多治見を連れて、署の屋上へ出た。

 十一月中旬の朝六時前の空気は、大都会と(いえど)も冷たく肌を刺激する。ビル群が邪魔をして望む事は出来ないが、遠く富士山が見えそうな程に空気は澄んでいた。

 澱んだ空気から、澄んで冷えた外気を吸って、多治見の心が落ち着きを取り戻したのか、屋上のベンチに腰を下ろした時、多治見が、自分が知る全てを、順を追って相良へ話し始めた。

 相良は下の自販機で買った暖かい缶コーヒーを多治見に渡し、黙って多治見の話しに聞き入った。


「そう言う事か。お前が手を出すからには、何か有ると思っていたが、しかし菅谷って奴は何を企んでいるんだ?」

「正直、判らん。交通費を貸した事が、家族を殺すほどの恨みになるなど到底思えないし、そんな理由が殺しに繋がるなんて――。俺にはどう考えても納得できん。」

「若者だけではなく、昨今の老若男女は、誰が何時(いつ)、何の理由で傷害や殺人を犯すかなど、まったくわからない。昔は問題を起こすのは、チンピラか不良と決まっていたが、今は虫も殺せない様な人間が、平気で猟奇的な殺人を犯す。だが菅谷は前者の極悪非道な男だ。今ウチの課が追いかけている、二人の行方不明者の件にも、菅谷はマークされる寸前だった。ひょっとすると加賀谷の件にも関係しているかも知れん。」

「そんなに有名人だったのか。しかし今日の安全課の会合には出てこなかったな。」

「あぁ。菅谷は少年課と言うよりは、刑事課が目を付けていたからな。安全課では単なる不良程度扱いだっただろう。――多治見も、とんだ化け物に目を付けられていたものだ。」

「渋谷と新宿なんか、隣同士なのにな。連携の無さが問題だな」

「今後は、一杯やりながら、情報交換をするか」

「そうだな。」

「そろそろ菅谷の事は課長に任せて、警らからパトカーを出させるよ、お前は美佐江さんと奈美ちゃんの所へ行ってやれ。」

「ありがとう。ただ、正直今はまだ、家内や娘の事が現実のような気がしないと言うのが本音だ。それに、菅谷が自首したことで、真実が分かれば、相良達、渋谷中央署の刑事課にも迷惑を掛けずに済む。」

「だったら良いがな。」

 相良は沈んだ声で答えた。

「どう言う意味だい?」

「俺は、正直少年犯罪に関しては疑問を持ち続けている方でな。」

「少年犯罪?」

 相良は、多治見に話す言葉を頭の中で整理していた。少しの沈黙のあと缶コーヒーを一気に飲み、相良はゆっくりと話し始めた。


「二十歳に満たない若者を一括りにして、少年少女と呼んでいる。でもな、その線引き事態に問題があると俺は思う。」

「確かに、小学生と大学生では大きな開きはあるが……」

「以前、中学生が小学生を殺害する、惨い事件があったのを覚えているか?」

「あぁ。覚えている。生活安全課としては、やるせない気持ちで心が張り裂けるような事件だった。」

「例えばだ、多治見が中学生の時に、人の物を取ったり、人を傷つけたりと言う事を、善と悪で分別がつかなかったか?」

「そんなことはないさ。細かい法律は別として、良い事と悪い事ぐらいは判断できていた。」

「では小学生を殺した中学生には、そう言った分別が付かないと思うか?」

「メンタルな話だから簡単には――」

「そう言った形式的なことを聞いている訳じゃない。多治見の本音を聞いてんだ。」

「そうか。本音で言えば――出来ていたと思う。」

「そうだろ、簡単な物事への良し悪しの分別は、幼稚園児にだってできることだ。俺なんか、悪戯して家に有った物を壊したりした時なんか、その物を隠したり、捨てたり、あるいは知らない素振りでそのまま放置したりして、何とか親にばれて叱られないように繕ったもんだ。」

「そうだな。僕も似たような事をしたのを覚えている。」

「親の手伝いをすれば誉められる事も知っていた。犯罪と比べること自体、全然違うと思うが、幼稚園児にも分かるような事を、どうして二十歳間近な者が理解できないのか……。俺にはどうしても合点が行かない。」

「あぁ、僕も何度となく考えさせられた。年齢は大きな壁だ。確かに、年齢別で刑の内容を変えているが、それでも十九歳と二十歳の差で、家裁の判断が刑事裁判の可否を決める。そういった件に当たると美佐江に……。相談したよ。」

 妻と娘の死に対して実感が湧いてきたのか、妻へ相談していた時の事を思い出したのか、多治見の声が上ずり目から涙が零れた。

「菅谷にしたってそうだろ、奴はまだ十九歳(みせいねん)だ。警察官の家族を殺した事で起訴され、裁判の上で刑が確定して、その刑を勤め上げれば社会へ開放される。十年か十五年か分からないが、少年犯罪とすれば長くても十五年ってところだろ。そうなると僅か三十半ばで社会へ復帰する。」

「刑に服して出てくるのだから、無念だが仕方無い。」

「お前は自分のカミさんと娘を殺されても、まだそんな甘っちょろい事を言うのか!」

 相良は自分自身にこみ上げてくる憤りが、多治見に通じなく苛立ち少し大きな声になった。その言葉と気持ちが多治見の心に届いた。心の中の思いが、堰を切って溢れてきた。

「俺だって……。俺だって菅谷を殺したいほどに憎んでいるさ。でも警察が、警察官が自首してきた奴を、どうしても許せないから仕返しの為に殺すなんて事や、服役して刑期を真っ当に勤めて出所して来た奴を、やっぱり納得がいかないからと言って、報復などできないじゃないか!」

「確かにそうだな。悪かった。誰よりもお前が一番辛い事を、理解しているつもりだったのに、責めちまったな。」


 多治見の本音を聞いても、どうすることも出来ない自分が情けなかった。相良に背を向けて、嗚咽を漏らしている多治見の背中に話し続けた。

「たとえば菅谷が成人だったら、本名と現住所や生い立ち、家族構成も含んで、菅谷自信の顔写真と共に、マスコミが競って報道するだろう。しかし、未成年の今の菅谷は、少年法に守られて、顔写真や本名を出すことができない。近い将来、世の中の人は社会に放たれる犯罪者の顔や名前を知る事すらできないんだ。」

「それは、子供達が大人になった時に、社会からの負い目を背負わなくて済むように、と言う配慮からだと僕は解釈している。」

「それは俺も同意見だ。でも実は俺が思う問題はそこにある。例えば、菅谷が出所しても世の中の多くの人達は、奴のことを知らされていない。百歩譲って、警察官の家族を殺した事件や犯人が、未成年だったと覚えている人がいたとしても、それが菅谷だということを知らないし、知ることも出来ない。」

「確かにそうなるな。そのための保護だから仕方が無いことだ。」

「たとえば菅谷が出所後に住み着いた町のマンションやアパートで、同じ屋根の下で生活をしていても、誰も気が付かないだろう。菅谷が再犯に走り、自分が殺される間際で、十数年前に警察官の家族を殺した少年だったと、知らないままに殺される。」

「そう決め付けるのは早計だよ。確かに菅谷は俺の家族を殺した殺人犯だ。犯した犯罪は万死に値する事だと思うが、しかし俺の帰宅を待って、俺へ自首してきた事を考えると、菅谷自身、迷っているのかも知れん。」

「迷う?何をだ?」

「恨しみの勢いで殺してしまったが、後悔した本心で、俺に自首を言ってきた可能性も有る。」

「俺には菅谷が、そんな殊勝な人間には思えんがな。」

「しかし人生をリセットする為に与えられた刑を勤め、出所したら真面目に、残りの人生を歩もうと、少しでもそういう気持ちがあるから、自首をしたと俺は思いたい。」

 そう言いながら、多治見は相良へ背中を向け、屋上から見える首都高速を流れて行く、乗用車やトラックを漠然と観ていた。


「多治見、敬服だ。お前の警察官としての信念には脱帽だ。だってそうだろ?本来であれば、お前が俺の立場で、俺がお前を冷静になるように説得する役だぜ。それなのに、菅谷が何かを企てていると察知しながらも、庇うことばかり。」

 多治見は微動だにせず、相良の話に肯定も否定もしない。相良は多治見の動かない背中へ話し続けた。

「もし俺の家族が殺されたのなら、警察のデータや機器を使い、見付けて追い掛け回しながら、恐怖心を煽り苦しませてから、じわじわと甚振(いたぶ)って殺してやる。まず手足の爪を剥ぎ取ってから指を一本ずつ潰し、次は耳や鼻、目は自分の変わって行く姿を見せる為に残す。それから腕と足を切り刻んで、恐怖を十分に味合わせてから殺してやる。」

 相良が物騒な事を言っても、多治見は反応しないまま数分の沈黙の後、多治見が口を開いた。

「せめてな――。せめて菅谷が逃げていてくれたら……。相良が言うように、警察のあらゆる力を駆使して探し出し、追い詰めて、家内と娘の仇を――。俺のこの手で取ることもできた。でも、俺は警察官だ。法と秩序。人の生命や財産を守るべき警察官なんだよ!くそぉ!俺の家族を返せ!俺の家族を……。貴様の命と引き換えにして、返せ!返してくれ――。」

 多治見は今まで抑えていた気持ちが爆発した。両手で金網を掴み揺すりながら大声を出し泣き崩れた。

 相良は警察官だって人間だ。家族や身内の仇を取ろうとしても不思議ではない。むしろ今の多治見の言葉や感情が自然な気持ちだと思えた。

「多治見……」

 相良は「お前にも犯人を恨む気持ちが有ったんだな。」と続けるつもりであったが、多治見の目が、憎しみよりも、悲しみの色が濃く出ていると気付き、言葉にはできなかった。


 どのくらいの時間が流れたのだろうか、早朝の澄んでいた空気が、街の喧騒と車の振動や騒音で淀み始めた頃、二人の刑事は隣同士に屋上に座り込み、多治見は冷め切った缶コーヒーを飲んでいた。相良は腕時計を見た。

「もう八時半か――、悪いが俺は、昨日の加賀谷のヤマがあって、お前のヤマには付き合えないが、ウチの刑事課だって優秀なのが揃っているから、安心して美佐江さんと奈美ちゃんが寝ている病院へ行ってくれ。」

「ありがとう……相良。」

 相良が立ち上がり尻に付いた埃を払った。多治見もそれに習い尻を叩いた。

「悪いが俺はこれから、加賀谷の捜査に入るわ。」

「相良――。本当にありがとう。君だって昨日の今日でほとんど寝ていないのに、朝早くに来て貰って。正直、本音を吐いたら少し楽になった。まだ信じられないが、これから署へ報告して、家内と娘の所へ行ことにする。」

「あぁ。そうしてやれ。二人もお前が来るのを待っている。俺も行ってやりたいが、今は加賀谷の件を片付ける方が先だからな。」

「分かっている。それじゃ気を付けて。くれぐれも、無茶だけはしないでくれよ。君にだって家族がいるのだから。」

 相良へそう言った時、多治見の携帯が鳴った。

 胸の内ポケットから取り出して表示を見ると、『課長』と出ていた。「面倒だな」と内心思ったが、無視する訳にもいかない。家族と菅谷の件も報告をしなくてはならない。仕方無しに電話に出た。

「はい。多治見です。」

 相良は「じゃぁ」と言って手を上げた。多治見も手を上げてそれに応えた。相良は多治見を一人残して、屋上の出入り口へ向かって歩き始めた。


「萩本です。今回は何と言って良いのか、言葉が見付りません。本当にご愁傷様でした。多治見さんは大丈夫ですか?私に手伝えることがあったら遠慮せずに言ってください。絶対ですよ。」

「ありがとうございます。まだ、家内と娘に会っていないので、気持ちの整理が付かないままです。」

「そうですか……。早くご家族の元へ行って欲しいのです。本来であればこのまま休暇に入っていただいてと思っていたのですが、先程、ほんの数分前なのですが、本庁から指示がきまして――」

「本庁からですか?」

「そうです。多治見さんに本庁の総務部へ、至急来るようにと言われまして、私も今日は勘弁して欲しいと言ったのですが、聞き入れて貰えなくて……。本当に申し訳無いのですが、本庁から迎えの車が署に来ている、との吉田君からの連絡もあるので、申し訳無いが。なんとかそれに乗って、本庁へ行って貰えないかと……。思っておりまして。」

「わかりました。でも自分は今、渋谷中央署におりますので、署に戻るまで、少し時間がかかるかと思います。」

「それでは、吉田君から運転手にそちらへ回ってもらうよう伝えてもらいますので、そのまま渋谷中央署で待っていて下さい。」

「わかりました。待機しております。」

 電話が切れた時には、相良の姿は屋上には無かった。狭い屋上に一人いるだけで、改めて最愛なる家族を奪われ、自分一人が残された現実に身を置いた。怒りと悲しみと、寂しさに多治見は包まれていた。昂ぶる気持ちを抑えきれずに、渋谷の街全体に聞こえるのでは無いかと思える程の大声で泣いた。

 普段はただ(うるさ)いだけの街の喧騒が、多治見の泣き声を消す役割を今は持っていた。朝陽が昇り、不夜城の部分が眠りに入り、相反する昼間の渋谷の街全体が目覚め始めた。多治見と多治見の家族を、孤独と寂しさと悲しみの中に置き去りにして。


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