予期せぬ事態
予期せぬ事態
菅谷は取調室の中で、弁護士の白木が来るのを待っていた。
白木とは、以前、仲間内で飲んでいた居酒屋で、偶然席が隣同士になり知り合った。
白木は「法律に関しては、良い事も悪い事も熟知しているので、困った時には遠慮せずに頼って欲しい」と、名詞を渡し携帯番号まで教えた。当時、菅谷は法律のプロと知り合いになることを望んでいた事も有り、菅谷の信頼を短い時間で得ることができた。
その菅谷から白木の携帯に電話が入ったのは、午後六時を少し過ぎた頃であった。
「俺だ、菅谷だ。今、女を二人殺してしまった。助けて欲しい。」
「何?何と言った!」
「女を二人殺しちまった。」
「君一人の犯行か?」
「そうだ。」
「強姦したのか?」
「いいや。両方とも、首を絞めて殺した。」
話しを聞き白木は焦った。今まさに、『裁きの時』の采配を三役と詰めている最中で、菅谷からの殺人犯行の電話など、青天の霹靂であった。白木の脳細胞の唸り音が、回りに聞こえて来そうな程に、急激且つ活発に働き始めた。
当初『奉行』からの『沙汰』は、単純に菅谷を呼び出し『島流し』にするだけのはずであった。しかし、殺人を犯したと自供しては簡単な『流罪』ではすまないだろう。それに采配をしている最中に、『下手人』の菅谷へ、『目明し』を置き漏らした自分の責任も有る。まず『奉行』へこの大事を伝え、『沙汰』を出してもらう事が先決である。白木は数秒で全てに答えを導き出して、菅谷へはこう告げた。
「犯行現場に指紋や遺留品を残してはいないな?」
「恐らく。」
「そんないい加減ではだめだ。」
「手袋はしていたが、家の中で動いたんだ。何か落としているかも知れない。」
「まずいな。他には?」
「ひょっとすると、娘が父親へ俺の名前を教えたかも知れない。」
「最悪だな。では、その近くで父親の帰りを待って、父親へ自首しろ。」
「おい!俺は捕まらないで済む方法をお前に聞いてんだ。それを!」
「ちょっと待て!冷静になれ!」
「俺は――。冷静だ。」
「いいか。今から話す事を全部頭に入れることが、君を無罪にする唯一の方法だ。」
「本当か!」
「私を信じられなければこれで終わりだ。電話を切らさせて貰う。」
「判った。早く教えろ!」
「まず、父親へは複数の人間での犯行だったと言う。そして、皆で二人を犯したとも言う事。被害者の体内から、複数の男の体液が出るからわかる筈だと言えば、父親を怒らせることができる。そうしたら君は数発殴られろ。」
「ふざけるな!どうして俺が殴られんだよ!」
「だから、私の言う通りにできないのであれば、君一人で切り抜けることだ。その時は、私は君から聞いた事を警察に教え、君が犯人に一番近い人間だ。と言うだけだ。」
「わかったよ!殴られれば良いんだろ。我慢してやるよ。」
「それと、父親からその場で警察へ電話させて、父親を自宅には絶対に帰らせないこと。父親に犯行現場を見せないことが大事だ。そして警察へは、父親の君へ対する暴力に怯え、目撃した事を、自分がした事に摩り替わったと話しをする。」
「警察に話しをするって、じゃ俺は捕まるってことじゃないのか!」
「最悪、裁判が終わるまでは我慢しろ。下手に逃げれば、怪しまれ、いずれ捕まり、有罪になることは避けられない。であれば、あくまでも君は目撃者という事で通して、君が『その家に居た』という証拠が何も出なければ、冤罪で逆控訴も無理では無い。」
「あんたと知り合えて光栄だぜ。期待しいるからな。上手く頼むぜ。」
「ところで、そこは何処だ。」
「代官山だ。猿楽町の多治見って言う、新宿南署の刑事の家だ。」
「何だって!警察の家族を殺したと言うのか!君は何て事をしたんだ!」
菅谷、自らの殺人は想定外の出来事だったが、警察官の家族と聞き、白木は『死罪』が確定したと判断した。
「始めはちょっと脅してやろうと思ってたんだけどよ。多治見って奴の顔を思い出したら、目の前の女房と娘を無生に殺したくなってさ、気が付いたら二人とも死んでた。」
「そんな事が言い訳になると思わないことだ。君が未成年でなければ死刑か無期は間逃れない程の、大罪を犯したのだ。」
「今更、あんたに説教させる気はさらさら無いぜ。あんたは、俺を無事に警察から解放してくれれば良い。あまり、余計な事を俺に言うなよ。」
「では、私は降りるよ。」
「あんたも馬鹿な大人だな。携帯の履歴は残んだぜ、俺があんたからの指示だと垂れ込めば、あんただって無事じゃ済まないだろう。」
「君って奴は――。履歴だけなら何とでも言い訳はできる。自分の身を危険に晒してまで、君を救う義理は無い。」
「携帯って便利でよ。通話を録音できるの知ってっか?もう一蓮托生って仲だろ。お互いの為に頼むぜ、センセ様。」
「――わかった。一番良い方法を考えて置く。渋谷中央署で尋問が始まる前に、以前私が渡した名詞を出して、私を呼ぶように言う事。今から、渋谷中央署へ向かうが、私が今いる所は大阪だ、最終の新幹線に乗れれば、二十三時頃にはそちらへ行けるだろう。」
「なんだと!こんな時に何でそんな所にいんだよ。」
「冗談じゃない。私にもちゃんとした仕事はあるのだ。君にいちいち文句を言われる筋合いは無い!」
「クソが!」
「私が行くまで、心象を良くするように。精々反省しているところを演じていなさい。」
「分かったよ!とにかく待ってんよ。先生。」
後味の悪い電話であった。白木自身『仕置き』の心得として、相手を恨んでの仕置きは禁止だと言う節があり、それを忠実に守ってきた積りであった。しかし今回の菅谷だけは、心底殺意を持った『仕置き』になると感じた。
菅谷へ指示を出し、白木は空かさず『奉行』へ連絡を取り一部始終を告げ、自分の菅谷への監視が甘かったと付け加えた。
「それは私のミスだと言わざるを得まい。」
「いいえ。私が『目明し』を置き漏らしたのが最大のミスですので、責任を負う覚悟はできております。しかし菅谷の……。この一件だけは最後まで自分に采配をさせていただきたいのです。」
「この件の采配を、誰かに代える気などは無いが、『沙汰』は『流罪』から『死罪』に変更されるだろう。これから緊急に評定を開いて、『上様』へその報告を兼ねて『お庭番衆』を頼むつもりだ。緊急時なので【ZANN】へ、助人で出るよう連絡しておく。そのつもりで段取りを組んで欲しい。」
「畏まりました。『死罪』に変更して段取りし直します。」
「時間は大丈夫かね?」
「菅谷には大阪にいると伝えましたので、急げば段取りの変更も可能かと」
「さすが【NAGARE】だな。『お庭番衆』と【ZANN】からの連絡が入ったら、指示を頼む。皆無事で仕置きを終えるように祈っている。」
『奉行』からの電話は切れた。
「【ZANN】か――。私が菅谷を仕留めたいところだが、『奉行』からも、全員無事にと言われているので、私情が入り込んでいる今の私より、【ZANN】に頼んだ方が、無事に仕置きができるだろう。」
五十を過ぎた、長身だが小太りで神経質そうな白木が『目明し組頭』と『先手組頭』の二人へ話した。
「そうですね。確かに、今の【NAGARE】は冷静さに欠けている。【ZANN】に任せた方が良さそうですね。」
『目明し組頭』の細身で長髪の三十代後半の男が静かに言った。
「私も【JITTE】の意見に賛成だわ。でも、『お庭番衆』と【NAGARE】と【ZANN】をそれぞれ逃がすとなると、今からでは短時間過ぎて、こちらの用意が間に合わないかも。」
「私は『裁きの時』には、渋谷中央署の刑事の前にいる積りだから、今回の私への逃げ道は不要で結構。『お庭番衆』にも、『先手』が絡んだ事は無いと記憶しているので、【ZANN】だけを守っていただきたい。」
「確かにそうね。では、今回は【ZANN】だけを逃がす手筈で、逃走経路を確保するわ。」
「お庭番衆には私から連絡します。」
「ところで、『刑場』の場所は何処なの?」
『先手組頭』で、四十代半ばのボブカットが良く似合う、色白の女が、配置と道具の用意の為に、【NAGARE】へ問うた。
コードネーム【ZANN】とは本来は(斬首)と書いて『ざん』と読む。【NAGARE】は(流罪)と書き『ながれ』と読み、『目明し組頭』のコードネームは【JITTE】で(十手)と書いて『じって』。『先手組頭』のコードネームは【TEGATA】で(手形)と書いて『てがた』と読む。
【葬】では古より、コードネームはひらがな読みをしていた。また文章や文字を残す事はご法度であったが、携帯電話という連絡ツールを導入した際に、『上様』が現代風にと、ローマ字表記を基準と定めた。
「刑場は菅谷の最後に相応しい場所を考えている。人知れず死んでもらっては、何時までも、菅谷の影に脅え続ける人の為にはならない。そう考えると、大衆の面前で、一度に大勢の人へ、彼の死を知って貰えることが、彼に合っている死に方だと思う。」
「賛成に一票」【JITTE】が答えた。
「大衆の面前での仕置きは難しいと思うけど、我々『先手』の仕事はもっと難しくなるわ。本来なら反対するところだけど、今回は『先手組』全員参加してでも【ZANN】を逃がして、証拠も全て消してみせるわ。」
【TEGATA】も賛同した。よって、評定所から『死罪』の連絡が来た時点で【NAGARE】の立てた采配で、菅谷の仕置きが始まる。
「しかし【SABAKI】の件以来、【ZANN】の様子が心配だ。」
【JITTE】が二人へ言う。
「そうね。【ZANN】は【SABAKI】の死が、自分の責任だと思いつづけて、自分を責めているみたい。」
心配を隠せずに話しを受けた。
「『裁きの時』に【ZANN】の側に居られないので気掛かりですが、『仕置き』自体の失敗は無いと思っています。当面【ZANN】一人の時の仕置きに関しては、『目明し』と『先手』の両組のサポートをお願いします。」
「それは心得ているさ。」
「私もそのつもりよ。」
「ありがとうございます。では『奉行』からの沙汰が入り次第、下知を下します。」
五分と経たずに奉行から連絡が入った。奉行が言った通り、流罪から死罪への変更指示が出された。【NAGARE】は両組頭に仕置きの変更を告げ、準備を急がせた。
白木が渋谷中央署に着いたのは、当日の二十三時を過ぎていた。刑事課を訊ねると、刑事課長の泉が対応に出た。
「弁護士の白木健一です。」そう言いながら、名刺を差し出し、菅谷への面会を申し出た。
泉は来客用の小部屋へ白木を通し、寝ている菅谷を連れてきて、白木と面会をさせた。その旨を多治見に伝え、もう暫く署内に留まるよう指示した。多治見は仕方なく、一階に有る署員通用口の脇にある、休憩所で待機する事にした。
「菅谷君、大変愚かな事をしてくれたな。」
開口一番、白木は周りに聞こえないよう、遠慮がちに菅谷を叱責した。
「散々待たせた挙句、その言い方はなんだ!」
菅谷は長い取調べで、精神的に参り苛立ち、白木へ喰って掛かった。
「警察の家族を、意味も無く殺すなど言語道断。いくら少年法が適用されても、無期は間逃れないかも知れんのだぞ!」
「そうならない様にあんたを呼んだ。俺が無罪にならなければ、お前もたたでは済まないんだよ!御託を並べる前に、俺を早くここから出せ!」
「その為にも頭を冷やせ。少しは冷静になれ!」
「冷静にだと。ずっと刑事の質問攻めで、しかも同じ事を何度も、何度も聞かれてんだ!それも全て、貴様の来るのが遅いからだろうが!」
「菅谷。そんなに刑務所へ行きたいのか?この件で入所したら、恐らく良くて二十年は出られない。下手をすれば、そのまま無期だ。それで良いのか?」
「何で、未成年の俺が刑務所なんだ?」
「君は知らないのか?」
「何を?」
「十六歳を過ぎると少年法でも、家裁の判断では実刑の無期懲役が十九歳の君には該当する事を。」
「――。」菅谷は呆然と立ち竦んだ。
「昨今、少年犯罪の多発と悪質化により、少年法の一部が変わった。このままだと君は、間違いなく無期は確実だよ。」
「貴様!それを知っていて、俺を自首させたのか!」
「そうではない!君を無罪放免にする為だと、何度も言っているだろ!」
「どうやって」
「まずは何をどの様に刑事へ話したのか、正確に話してくれ」
菅谷に『無期確定』の一言が効いた。これ以降、菅谷の苛立ちは恐怖へと代わり、白木の言葉に大人しく従い始めた。
「まず多治見には。あんたに言われた通り、仲間と強姦した後で殺した。そう言ったら殴られた。そしてタクシーに乗って、多治見とここへ自首した。」
「その後は?」都合よく、白木のペースに嵌り始めた。
「渋谷の109近くで笑われたのが許せずに、尾行して脅かすつもりだったが、最終的に自宅へ行き着き、母親に騒がれたので、口を覆っている内に動かなくなった。我に戻ったら娘の首も絞めていた。と何度も同じ事を言ったよ。」
「何?」
白木は大袈裟に大きな溜息を吐いて、両肘をテーブルに付け頭を抱えた。その白木を見ながら、菅谷はおずおずと続ける。
「自宅近くで、多治見の帰りを待って、殺す気は無かった。と詫びて、自首したいと言ったら殴られた。って事と、公園から警察へ通報した事も伝えた。」
「なるほど、それで担当刑事は何と言っていた?」
「理由はどうあれ、殺しは殺しだと――。」
「反省していると伝えたのか?」
「あぁ。だけど信用されなくてよ。」
白木は考え込んでいる風を装い、暫く言葉を発しなかった。心配になった菅谷は白木の顔を覗きこんだ。
「君は大事な事を忘れている。」
「何をだよ」
「証拠が出なければ、君は目撃者で通すと言ったはずだ。それを、殺しの自供をするなど。正直、手の施しようが無い。」
「そんな――。俺はお前が電話で言った通り、刑事への心象を良くするために――」
「私は、殺人を自供しろなどとは、一言も言ってはいない!君が殺したのは警察官――。それも新宿南署生活安全課の係長の家族だぞ!まずかった――。君には悪いが、どう考えてもこの状況で、殺人を自供しては、もう打つ手は無さそうだ。」
「そんな――。俺は無期になんかなりたくねぇよ。何とかしろよ!」
考え込む振りをする白木は、小声で「逃がし屋へ頼んでみるか」と呟いた。
「なんだよそれ?」
「世の中、色々と裏の商売が有ってな。夜逃げを専門に、当事者を逃がす商いをしている輩がいる。彼等に頼めば、安全な所へ逃がしてくれる。数年は逃げた先でおとなしくしている事だな」
「逃げられるなら、俺は構わない。」
「そうか。ここを出たらすぐに連絡する。早ければ明朝には来るはずだ。僕が刑事達と話しをしている内に奪還してもらうから、あとは逃がし屋の指示に従えば良い。金は僕が払っておく。でも無料じゃない。その内、利子を付けて返してもらう。」
「助かるぜ。でもどうして、あんたは刑事達と一緒なんだよ。」
「僕にも守るべき自分の生活が有る。自分のアリバイは自分で作るのが、保身では一番大事だ。それに隙を見て、君の所持品を盗む必要もある。」
「俺の所持品?」
「君が私との会話を、携帯に録音しただろ。」
「あれは嘘だよ。そうでも言わなきゃ、お前は来なかったろ。」
「まったく君は――。一応処分させて貰う。では幸運を。」
「あぁ。あんたもな。落ち着いたら連絡するぜ」
白木は答えずに部屋を出た。時間は午前零時を回ったところであった。泉へ挨拶をして、担当刑事も揃ってから、今後の話しをしたいと申し出た。
「それでは明朝九時半から、先程の応接室で行いましょうか?」と泉が提案し、承諾して白木は出直すと言い、渋谷中央署を後にした。




