衛主の勲・一
いざ聞け、衛主の勲を
翠天の彼方より来たりし勇者の詩を
破局を打ち破る戦士の最も新しき伝説を
生ぬるい風が吹き抜ける。
見上げた空は、緑だ。ここカサルミアにおいてはおかしな色ではない。地球の空が青いように、カサルミアの空は薄い緑なのだ。
見下ろした草原も緑だ。あと少しの間だけは緑のままであるだろう。時が来たならば赤く血に染まるか、あるいは黒く焼き尽くされるか。
「あと少し、ですね」
後ろから、声。
この一年をずっと一緒に戦い続けて来た少女の声だ。
振り返れば、赤い神官衣が風にたなびいていた。
「私たちは勝てるのでしょうか、マモル様?」
不安げな響きは無理もない。魔王軍との最終決戦なのだ。ついにここまで追い詰めたとはいえ、それでも容易く勝てるはずなどない、むしろ敗れる可能性の方が高いくらいなのだ。
だが本音は漏らさない。マモルは笑った。
「勝てるさ。勝って終わらせるんだ」
この世界に来て一年と少し、過ごして来た日々のことを思い出す。そしてそれよりも前、日本で暮らしていた頃のことも。
笑みが苦笑になった。
それに気付いたのか、少女がもの問いたげに顔を覗き込んで来る。
「マモル様……?」
「いや、何でもないよ、ステイシア」
マモルはかぶりを振り、彼女の懸念を否定した。
ステイシア=ペンタシャルム=ミンストレルは、マモルが元いた世界に帰りたがっているものだとばかり思い込んでいる。だからことあるごとに確かめようとしてくる。
しかしその心配は的外れなのだ。こちらに来たばかりの頃から、帰りたいと思ったことなど一度もない。それが先ほどの苦笑の理由でもある。
元の世界には碌な思い出がない。学校の成績は悪く、運動も出来ず、異性には相手にされず、両親はそのことに対する愚痴ばかり。高校生になる頃にはすっかり何もかもに嫌気がさしていた。
だから、この世界に来て初めて必要だと言われて、とても嬉しかった。このカサルミアにどうして自分がやって来たのかまったく覚えがないものの、例えば事故だったとしても帰りたいとは思えない。欠片の未練もないとまで言ってしまえば嘘になるが、他愛のない揺らぎ程度のものでしかない。
「それより、援護はしっかり頼むぞ」
「はい、お任せください」
緊張の面持ちで頷くステイシア。その胸元で聖印が揺れる。小さな竪琴の形をしたそれは、今では邪神として扱われるようになってしまった古き神に仕える者の証なのだと聞いている。
彼女は異端だ。出会ったときも人々に迫害されていた。今でも決して受け入れられ切ってはいない。
それでも人々のために魔王軍と戦い続ける姿を、マモルは美しいと思った。彼女が傍にいたからこそ、自分も戦い続けることが出来たのだ。
不意に胸が高鳴る。気がつけば、彼女の名を呼んでいた。
「ステイシア……」
「はい、マモル様」
白い肌、剥き出しの肩に栗色の髪が触れる様が艶めかしい。信頼しきったように見上げて来る瞳もどこか潤んでいるように思える。瑞々しい苺のようなくちびるに視線が吸い込まれる。
ごくりと唾を飲み込んだ。そして恐る恐る手を伸ばそうとして。
『来るぞ!』
誰かの声。
見れば確かに、黒い絨毯のような魔王軍が草原の緑を侵食し始めていた。
「……ステイシア」
こうなっては是非もない。
マモルは剣を抜き放つ。クラウンアームズ『護り手の王』が陽光を照り返した。
そして人類の混成軍に号令をかける。
「行くぞみんな、最後の戦いだ!」
ステイシアが風の術法で拡大したその声は丘に響き渡り、すぐさま喊声が応えた。
総力と総力の激突は混戦を生んだ。
人と魔とが入り乱れ、大地を朱に染めてゆく。
その只中でマモルは駆ける。その速度は音を凌駕する。魔族たちは反応すら許されず、細切れにされてゆく。
この速度、そしてそれに耐えうる異常な肉体強度はこちらに来たときに持っていたものを更に磨き上げて得た。
理由についての何もかもにマモルは心当たりがない。ステイシアは、この人を遥かに越えた力と『ロード・オブ・ガーディアン』こそ世界を救う聖戦士の証だと言った。
聖戦士、死を撒く閃光と化したマモルは戦場を縦横無尽に暴れ回る。目的は二つ、なるたけ敵の数を減らして味方の負担を減らすこと、そして魔王を引っ張り出すことだ。
魔王とは個体にして機構だ。聖戦士が人類の最終兵器であるのに対して、魔王は魔族の母体にして最終守護者なのだ。
魔族は魔王の在る限り無尽蔵に溢れ出して来る。今は互角に戦えていたとしても五年後、十年後は分からない。魔王を葬らない限り、人類の敗北はいつか来る。
大量の魔族の死により、この世界の何処かに在るはずの魔王がこの地へと顕現する。マモルはその時を引き寄せる。
大地がぬかるむほどに血を吸うに至って、光の柱が吹き上がった。そしてその中に一つの影。
その時だけ、戦場が止まった。
巨躯の異形。四本の腕にそれぞれ剣と鉾、斧と鎚を把持し、咆哮を上げる。
男女の別など推測も及ばない。在るだけで周囲に破壊の意をばらまくそれこそは、魔王。
『気をつけてください』
風がステイシアの声を運んで来る。
『剣です。あれこそは『護り手の王』と対になる『破局の主』……あれに傷つけられるようなことがあれば、いかに聖戦士であるマモル様であっても……』
「分かってる」
マモルは強く頷き、剣を構え直した。震えそうになる己を叱咤する。
いない。かつての自分はもういない。弱かった自分は捨て去ったのだ。今の自分はこの世界の人々を守るための剣なのだ。
思いの全てを込め、力の限りに地を蹴った。
夕暮れの街に浪原守は帰還した。
まずは日付を確認する。道行く誰かを呼び止めて尋ねたものの、気味悪がられて逃げられた。とはいえ地方都市の駅前と思しい賑わう区画であったため、周囲を見回せば年も月日も見つけ出すことは可能であった。
この基幹世界を去った時より一年と少し。幸いなことに浦島太郎とはならなかったようだ。できれば去ったその瞬間に帰って来ていたのだったなら更に素晴らしかったのだが。
情報を集めなければならない。果たして何がどうなっているのか。自分と同様の力を持つ者はいるのか、いるならばどれほどの数、いかほどの強さであるのか。
異世界での経験が案を一つ、自分にもたらす。噂を探し、噂を作る。同種が存在していたとして、それが社会の表に出ているとは思えない。人々の様子にかつてとの違いはないと見えるからだ。既に魔神という存在に慣れた社会とはいえ、自分たちもまた人外の力を得られるのだと公に広まっていれば様々な価値観が塗り替えられてしまうことだろう。
しかし、密やかに何かいるならば一般社会からは下らない噂として捨て置かれている情報はあるだろう。そしてこちらからも噂を流せば食いつく者もいるはずだ。
先立つものとして確保しておきたかった現金も威勢のいい少年たちが自分から持ってきてくれた。どうやら自分を見た目だけで組みし易しと判断して恐喝に来たのだ。ついでに噂も持っていた。
人間ではあり得ぬほどの身体能力と頑強さを持ち合わせた少年少女、というものがいるらしい。漠然として、そうでありながら日本全国に根付いているそうだ。ただの噂に過ぎないと予防線を張ろうとした彼らは、目の前にいるのがまさにそれであるのかもしれないことに気付いて絶句したものだ。
実際に<魔人>――――そのような呼称であるのを知ったのは後のことだが――――に出会うには苦労した。自分の噂を流させてはみたものの、何の反応も得られなかったからである。
二週間後に見つけ出せたのも偶然でしかなかった。
戦闘に気付いたのだ。真夜中、大学病院の屋上に交錯する二つの影があった。人為的に緑が配され、普段は入院患者や見舞客の気晴らしの場として使われているのだろう。その緑を踏みにじり、散らし、命を奪い合っていた。
一方は秩序を維持する側、もう一方は自由に生きてゆきたい側。この二人をまとめて下し、守は<魔人>という存在と現状について把握した。
そして、己もまたその<魔人>とやらであるのだろうとも理解した。
とんだ道化だ、と嘆息を禁じ得ない。
自由側の話にはさしたる価値はなかった。さすがにただの人間だった頃にこんな派手なことができる者はいなかったが、異世界でならばよく見た、ありふれた輩だ。
一方で秩序側には一つだけ胸に差し込まれた名があった。
世界最大規模を誇る<魔人>集団、<竪琴>。その六派の一つである神官派の代表にして<竪琴>全体の統率役も兼ねる<神官>ステイシア。
話を聞き終えた後、二人の息の根は止めた。報告などされてはかなわない。幸い今いるあたりは財団派の管轄領域であり、つい先日まで混迷を極めていたらしい。まだ動きやすいだろう。
自分の目的は、内側から溢れ出る感情が教えてくれた。
浮かんだ笑みが皮肉げであることは鏡を見るまでもなく自覚できた。
「魔王殺しの力、味わうがいいさ」




