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白虎の宝玉  作者: 西都涼
記憶の章
201/201

201

 黒と銀の髪の娘たちが並んで歩く。

 ただ歩いているだけであるというのに、まるで視線が吸い寄せられるかのようにそこから目が放せない。

 真逆のようで相似する美を持つ娘たちの表情は穏やかで柔らかい。

 だが、その内は異なっている。

 それは、青藍の報告によるものだ。

 参謀室に籍を置く者ほど、表情と感情が一致しないものだというのはどの国においても同じだろう。

 まもなく開戦を控えた軍の陣営とは思えないほど長閑な風景の中、違和感なく彼女たちは笑顔を湛えて歩いている。

「申し訳ございません、翡翠様」

「いいえ。ちょうど良い機会でしたので、お気になさらず、青藍殿」

 当たり障りのない会話をしながら、二人は軍師の天幕へと向かう。

「私では、判断しようもなく……」

「それは、かなり困ったことですね」

 副将である藍衛と同格に扱っている青藍がこれほどまでに困惑する事態が起こるとは考えにくい。

 それを承知しているからこそ、翡翠の表情にもわずかばかりの陰が射す。

 何が起こっているのかは、天幕から発せられる気配で察している。

 相手が何を考えているのかまでは、翡翠とてわからないこともある。

 己の天幕まで辿り着けば、入口を護っていた女子軍の兵が笑みを浮かべて入口を開ける。

「おかえりなさいませ」

「ご苦労様」

 一言、労いの言葉を掛け、中に入る。

 幾重にも仕切られた帳を潜り抜け、そうして奥の間に足を踏み入れたとき、翡翠と青藍は微妙な表情になった。

「……藍衛殿」

 床机に腰掛けた副将の周りに女子軍の兵士たちが侍っている。

 突き詰めて考えなければ、よく見かける光景である。

「主将! 今日も麗しく、至上の花の顔を拝謁仕り、一の僕は……」

「藍衛殿!」

 翡翠の入室に気付いた藍衛は、即座に立ち上がると女子軍主将の前に膝をつき、その手を取ると主を称える言葉を流水の如く並べ立てようとする。

 それを察した翡翠と青藍が、ほぼ同時に副将の名を呼び、制する。

「美しき好一対は、息もまたぴったりとあって……つれないところまでそっくりですな」

 残念そうに溜息を吐いた藍衛は、渋々といった体で立ち上がる。

 有能で勇猛果敢な女子軍副将は、見た目も麗しい男性のようでありながら、中身も美しくも愛らしい女性が大好きで男が大嫌いという変わり者であった。

「あなたもいつもどおりで何よりですこと。さて、あなたからの報告を聞かねばならないようですが」

 苦笑を浮かべた翡翠が、侍女を兼任する兵士たちに視線を送る。

 それだけで察した兵士たちは、主に一礼すると鎧姿ながらも優美な仕草で去っていく。

「…………結界を張りました。これで外から覗くことも声を聞くことも叶いませぬ」

 兵士たちの姿が消えた直後、ちらりと四方に視線を這わせた青藍が、低く告げる。

「ありがとうございます、青藍殿。お手数をおかけしましたね」

「いえ。私も外でお待ちしましょうか?」

「いや、青藍殿もこちらで。会って貰いたい者もいるのでね」

 藍衛が青藍を引きとめ、そうしてふと重い溜息を吐く。

「……動きがありましたか」

 王太子府軍に従軍するため、女子軍の指揮を一手に藍衛に任せていたが、状況はきちんと把握している翡翠である。

 そうして、藍衛は王都にて不穏分子の動きを制するべく密かに動いていたのだ。

 青藍は、先程、翡翠を呼ぶために『窺見』が戻ってきたと告げた。

 それは藍衛ではない。

 先程感じられた気配は、藍衛のものではなかった。

 つまり。

 今、姿は見えないが、もうひとり、ここにいるということだ。

 その姿が見えないものに関しては後でよいだろうという判断を下した翡翠は、藍衛へと意識を戻す。

 そうして、彼女たちは意外な事実を聞かされた。




 完全に人払いをした室の中で、一度俯いた劉藍衛は、覚悟を決めたように顔を上げる。

「浅葱の姫君が、身罷られました」

 その言葉に一瞬目を瞠った翡翠が、沈痛な表情を浮かべる。

「何ゆえ?」

「服毒でありますが……」

「自害ではないと申すのですね?」

「……は。そちらの方が有力視されておりますが、あの方のご気性を考えますとありえぬことにて。それに、少々気になることが」

 狙っていた獲物を横取りされた藍衛は、不満というよりも怒りを滲ませながら言葉を紡ぐ。

「あれほど巧妙に隠し事をなさっておられた姫君が、死して誰が見てもわかるようにとあなたを殺害する計画を企てた証拠をあちらこちらに」

「わたくしが仕向けたと思われるようにですか?」

「いえ。さすがにそれはあまりにも拙い方法にて、誰もそのような考えには至りませなんだ。一見、自然なように見えて、非常に不自然すぎるところが気に食わない。そして、人の命を軽んじることに少々腹が立ちまして、ね」

 いくら翡翠の命を狙っていたとしても、浅黄の姫は女性である。

 女性の命を奪うことを藍衛が許せるはずもない。

 はっきり言えば、浅葱の姫がいくら翡翠の命を狙ったところで、所詮お姫様育ちの娘の考えることなど杜撰すぎて危険でもなんでもなかったのだ。

 そんな相手の命を奪う理由が翡翠にも藍衛にもあるはずがない。

 だからといって、護るべき国民の命を奪ったものを逃がすつもりもない。

 巧妙なネズミ捕りを仕掛け、あとは獲物がかかるのを待つのみにした藍衛が、この件を主の下へ報告に来たのだ。

「まぁ、その探索をしている折に妙なものを引っ掛けまして、お持ちした次第でございます」

 その『妙なもの』を手繰り寄せた藍衛は、主の前にそれを突き出す。

「あいたたた……もう少し優しく扱ってくれてもいいと思うんだけどー?」

 何もないところからいきなり現れた青年は、腰をさすりながら藍衛に迫力のない抗議を申し入れる。

「不審者として殺されなかっただけでもありがたいと思え!」

 対する藍衛の態度はにべもない。

「俺、あの限りなく内面が不自由な姫君とは何の縁もないんだからね! そこのところ、間違えないで!!」

「だから、主将のところまで運んでやっただろうが!」

 軽すぎる青年の態度が彼女の神経を逆撫でするらしく苛立たしげな表情で睨みつけている。

「……藍衛殿、そちらの方をどこで『拾って』きたのですか?」

 どこか呆れたように翡翠が問う。

「どこと言われても……」

 すでに不快そうな表情を隠す気はないらしい藍衛は、肩をすくめて青年をちらりと見やる。

「姫君の屋敷から出てきたすぐ角で、なにやら奇妙な気配を感じ、鞘つきのまま剣を振るってみましたところ、虚空からこやつが転がり落ちたという次第で……人ではないだろうことはわかりましたが、主将に仇為すことはせぬと真名に誓うと申しましたゆえ」

 本意ではないが連れて来たと、微妙な表情で告げる。

「そういうこと。お初にお目にかかります、守護者殿。あ。我は狩人ではございませんので、ご安心を」

 にこやかに笑って告げる青年は、その言葉で己が神族であることを伝える。

「天界が嫌になったので、ちょっと逃げてきました。つきましてはこちらで暮らしたいので、ご許可いただけたらなーっと……」

 にこにこにこと無邪気に告げる青年を藍衛と青藍が胡乱な目つきで眺めやる。

「許可貰った場合、そして、貰えなかった場合はどうするおつもりですか?」

 面白そうな表情で翡翠が問いかける。

「許可貰ったら、あなたに我の真名を差し上げますよ。狩人狩りに使ってもらってもいいですし。まぁ、許可もらえなかったら、四神の長殿の許へお願いに上がるつもりでしたけど」

 暢気な口調で答えた青年は、そのまま床に座り、翡翠を見上げる。

「……わかりました、許可しましょう。ただし、真名はいりません。必要ないですから」

「えー!? 我、送り込まれた狩人たちよりは力あるつもりだけどなー?」

 不満というより、拗ねたような表情で、青年は訴える。

「えぇ、確かに。あなたは兵士よりも遥かに強い力をお持ちのようです。だけど、必要ないのですよ、私には」

「ああそうかー……真名を握らなくとも、三界一のあなたには敵う者はいませんからね」

「それもありますが、あなたの真名はわかります。もちろん、付け替えることもできますよ。ですが、そのどちらも必要ないでしょう?」

 にこやかに微笑みかけられ、青年は困ったように視線を彷徨わせる。

「我はあなたに使ってもらえないのかー」

「戦いたくないものを戦場に送り込むほど非情ではないつもりです」

 穏やかな表情に告げられ、青年の顔がくしゃりと歪む。

「他の者たちも、狩人に紛れてあなたの許へ逃げてくる予定なんだ。一時でいいから、助けてあげて」

「私の手が届く範囲であれば。天界はそれほどまでに荒れていますか?」

「……うん。武神将たちが頑張って抑えてくれているけどね、魔が生じてる。戦う力を持たない者たちだけでも、一時、こちらに避難させようと思って我が魁となってあなたの許可を貰いに来たんですよー」

 のんびりと間の伸びた口調にどこか疲れたような笑み。

 それを眺めていた藍衛と青藍も天界には天界で暮らす人々がいることを実感する。

 神族といえば、皆、気位が高く、力を持って、その力頼みで人を卑下しているような印象を受けるが、それだけではないようだ。

「わかりました。四神の皆様にそのお話を通しておきましょう。人として振舞うのであれば、あの方たちも悪いようにはなさらないはず」

「ありがとう。御礼にはならないけど、これをあなたに差し上げるよ。我が見たものだ。あなたが呼んでくれれば、我はいつでもあなたの許へ駆けつけよう。戦には役立たないけれど、我の力はあなたの役に立てると思うよ、守護者殿。では、また」

 すっと立ち上がった青年は、翡翠の手に小さな丸い宝玉を落として柔らかに微笑むと、優雅な仕草で一礼し、そのまま空に姿を消した。

「何とまぁ、便利なのか不便なのかわからぬ力だな、神力とは。翡翠殿、その玉は?」

 気配が消えたことに眉を寄せながらも、藍衛が翡翠に尋ねる。

「先程、仰ったとおり、彼が見たものが入っているのですよ。思わぬ拾い物でしたね」

 宝玉を藍衛の掌に乗せた翡翠は、玉を覗くように促す。

「……これは……ッ!?」

 そこに映っていたのは、浅葱の姫が何者かに襲われ身罷ったその一部始終であった。

 犯人の顔も、何故彼女が襲われたのかも、青年は見ていたのだ。

「何故、これを……」

「介入できなかったから、でしょう。天界の者は、人界において何らかの影響を及ぼすことは本来、禁止されています。助けたくとも助けられないという状況で唯一出来ることは、ただ『見る』ことだけだったのですよ。その『見た』記憶を玉に封じ、人に渡すことは禁止事項ではありません。我々が必ず殺害者を見つけることができるとわかっているから、これを渡したところで影響が出ないと判断したのでしょう」

「……手荒に扱って悪かったと言うべきでした」

 嘆息した藍衛が謝罪を口にする。

「今度お会いしたときに、そう仰いませ。青藍殿、覗見の話を伺いましょう」

 軽く頷いた翡翠は、話を切り替える。

 その言葉に青藍は覗見を室に呼びいれた。

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