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王子達の成人の儀式は、颱国内外でも盛大なものであったという噂が好意的に流れた。
特に、第三王子熾闇の雄獅子狩りの見事さは、武神将のようであったと声高に話す人々の姿があちこちに見受けられた。
招かれてその場にいた者たちは、恐慌状態に陥ったものが殆どで、実際にその見事な手際を冷静に見つめていたわけではない上に、招かれず、目にしていない者達までもがさもこの目で見てきたかのように話すのだから、話はおかしくなる。
終いには見たことがないほどの大きさの化け物獅子を退治したかのように、話は膨らんでいた。
その話が終焉となる頃、名門綜家の末姫の成人の儀が執り行われた。
名家の姫である前に、一人の武将であると宣言した綜翡翠は、その言葉通りに招待客を厳選した控えめな儀式を催すことにしたのである。
とはいっても、女子軍主将の成人の儀である。警備は万全にしなければならないと、副将である劉藍衛将軍がはりきって指揮を執っている。
王太子府軍からも笙成明将軍が警護の任に当たっている。
見た目は華やかであっても、その裏は非常に緊迫した雰囲気が漂う儀式となっていた。
普段、翡翠が住まう離れの庵は、今回は彼女の控え室となり、儀式は母屋で執り行うことになっている。
客人たちは、母屋や綜家自慢の庭へ通され、思い思いに寛いでいる。
時間進行は銅鑼で合図することになっているため、それまではのんびりするつもりらしい。
そことは反対側にある庵の中で、翡翠は長い髪を侍女である鈴蘭と竜胆に梳られていた。
すでに仕度は整えられているが、最後の最後の微調整である。
大人の女性の証である結い髪を結う白虎が、結い上げやすいようにと、彼女たちは丹念に仕上げを施していく。
「……ここまで見事な御髪を結うためとはいえ、お切りになるとは勿体のうございますね」
ほうっと溜息を吐き、残念そうに鈴蘭が呟く。
「姫様の髪は癖がなく、大変結いやすいですから、白虎様はきっと見事に結ってくださいますわね」
目を細め、竜胆が確信したように告げる。
先輩の侍女たちが今この場にいないことを、彼女たちは不審に思わない。
本来ならば、楓や紅葉たちが主の仕度を手伝うはずであることを理解していながらも、彼女たちはそれが不可能であることを知っている。
本物の紅葉たちには二度と逢えず、彼女たちによく似た者たちが藍衛の手に捕らえられたことを、その目で確かめたからだ。
だからこそ、あえてその話題には触れようとはしない。
もし触れれば、彼女たちの大切な主が悲しむため、口にすることはできないのだ。
「お。これは見事な姫君の誂えだな、翡翠」
現在、関係者以外立ち入り禁止区域となっている庵にひょっこりと姿を現したのは、白い髪の長身の美丈夫であった。
「白虎様!」
神の化身に、侍女たちは慌てて畏まって頭を下げる。
「あぁ、いい。楽にしろ。俺が神獣だからって、畏まる必要はないぞ。うん、美人にできてるな」
ひらひらっと手を振って合図した白虎は、彼女たちの手による翡翠の姿に満足そうに笑う。
「お褒めに預かり、何とやら……ですね、白虎様」
呆れたように、翡翠は肩をすくめて応じる。
「本当におまえという奴は、呆れるほどに質実剛健な漢前な性格だな。これほど美しい誂えにまったく興味を示さないとは、美人に生まれたというのに宝の持ち腐れではないか」
「顔の造詣は、両親のお陰で、わたくしの関知するところではございませんから。父と母には感謝しておりますよ、もちろん」
ゆったりとした仕種で立ち上がった娘は、真っ直ぐに白虎を見上げて告げる。
「政治的情報が、この顔のお陰で容易く手に入るのですから」
「……これが、年頃の娘の言葉か。普通なら、美しい衣や簪、紅などの方に興味が行くものを……誰に似たのやらわからぬな」
本格的に呆れたふりをした白虎に、翡翠は破顔する。
「父上に似たのだと、はっきり仰っていただいても結構でございますよ。母上には、本当にそっくりだと嘆かれておりますから」
「桔梗が? 俺にはどちらにも似ているようにしか思えぬぞ。あの姫も、昔からおっとりしているようで頑固でな、藍昂の許でなければ絶対に嫁がぬと言い張りおった。あの時は、さすがの聯燈も頭を抱えてな……聯燈は、おまえの祖父にあたる前王の名だが、あれも幼い頃はかなりのやんちゃ坊主で、俺の背に跨るのが好きで……なんだ?」
「お話がそれてきていますよ、白虎様」
だんだんと昔話に花が咲き始めた守護神獣に、娘が冷静に指摘する。
その一言が白虎に渋い顔をさせた。
「おまえのそういうところが、藍昂にそっくりだな」
「お褒めに預かり、光栄にございます」
にっこりと華やかな笑みを浮かべて答えた翡翠は、上品に一礼してみせる。
「俺が何をしに来たかと言うと……坊主がお忍びしてきたぞと言いたかったんだ。嵐泰と蒼瑛が保護しているが、いいのか?」
ごほんと空咳をして話をごまかした白虎は、本題に入る。
「三の君様が? そうですか……嵐泰殿と蒼瑛殿がお傍におられるのなら安心です。変装はすると仰っておられましたが、そうなさっておられましたか?」
「変装? あぁ、変装、ね。うむ、確かに変装の類だろうな、あれは。貴族の子弟の正装姿だったからな。髪の色も変えていれば、すぐにはわからぬだろうな。傍に嵐泰と蒼瑛がいれば、すぐにばれると思うが?」
妙な顔をした白い神は、すぐに納得すると、結論を述べる。
「青藍殿に術をお願いしておきましょう。あの方の術は確かでございますから」
信頼する祝将軍に頼むと告げた娘は、母屋で銅鑼が鳴り響いたことに気付くと、背筋を伸ばす。
「覚悟はいいか、翡翠?」
同じく、視線を母屋に転じた白虎が、すぐに翡翠へと視線を戻し、そう問い掛ける。
「嵐が来るぞ。おまえにも、この国にも。かつてないほど大きな嵐だ。覚悟はいいな?」
「もとより。それがわたくしの宿命とあらば、この命にかけて乗り切ってみせましょう。この世に生を受けた者の宿命ならば、その終焉……泰山に登るまで、己に、そして白虎様に恥じないように精一杯生き抜いてみせましょう。泥にまみれようとも、むざと命を捨てることなどいたしませぬ。我が主のためにも、護るべき民人のためにも、わたくしのすべてをかけて戦い、生きましょう」
「おまえの言霊の誓い、確かに俺が聞き届けた。俺が、おまえの魂の救いのひとつとなろう。それが、俺がおまえにしてやれるただひとつのことだ」
過去、現在、未来……時間を司る風の神は、これから起こり得る事を知りながら、それを口にすることなく、覚悟だけを求め、その答えに満足し、ひとつだけ約束する。
その約束が、果たされるか否かは、まだ誰にもわからない。
案内役の侍女が姿を現し、刻限を告げると、神と人は儀式の間へと歩を進めた。