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龍の口から途切れることなく湯が注がれる。
肩まで湯に浸かった熾闇は、はふっと溜息を吐く。
やたらと気が緩んでいるが、まだ成人の儀は終わったわけではない。
さっさと上がって、宴へと顔を出さなければならないのだ。
しかしながら、緊張の連続で疲れた身体に温かな湯は心地良く、眠気が襲ってきそうになる。
さすがに、風呂場で水死はみっともないので、睡魔と戦う覚悟はあるが、眠たいのは事実で、多少困っている。
「……もう一回、髪、洗うか……」
毛先を抓み、くんと匂いを嗅いでから、若者は呟く。
すでに何度も高価な石鹸を使って洗っているが、未だに血生臭いような気がしてならないのだ。
いつもなら、気にならないのだが、今日は何故か気になる。
「あ、髪……誰かに結ってもらわないと、冠載せなきゃならんからなぁ。面倒臭い」
ふわぁっと欠伸をひとつすると、もう一度髪を洗うために彼は湯船から上がった。
「うわっ!? 何で、おまえがここにいるんだ、翡翠!」
湯浴みを終え、部屋に戻った熾闇は、片腕の姿を見つけ、大いに狼狽えた。
「居たら悪いのですか?」
侍従の役を随分前に離れたくせに、未だにその役目を行う娘は、慌てる主に軽く眉を顰める。
「いや、悪くないけど。何か、まずいかなーって……」
「何か、まずいことがあるんですか?」
「いや、ない!」
速攻で否定した熾闇は、困ったように視線を彷徨わせる。
「皆様、お待ちになられておりますよ。早く、お支度をしてしまいましょう」
ほかほかと湯気を立てている熾闇に、袖なしの上着を着せ掛けた翡翠は、彼を椅子に座らせ、香油を手に取る。
「おまえがこんなことをしなくても……」
「小姓や侍従たちに任せられませんでしたから。獅子の骨を絶つのは腕に負担が掛かりましたでしょう? 揉み解しますので、少しお待ちくださいませ」
そう言うと、翡翠は掌に香油を落とし、その熱で温めた後、ゆっくりと満遍なく熾闇の腕にそれを塗り、柔らかく揉み解し出す。
「どこか痛いところなどはございませんか? 背中から落馬なさったでしょう?」
「うん。大丈夫だ。草が厚かったからな、布団代わりになってくれた。あぁ、気持ち良いな」
「今日は、特別です。まぁ、髪をきちんと拭かずに……これでは童と一緒ではありませんか」
湿っているというよりも、濡れたまま放置している癖毛に気付いた翡翠が、盛大に顔を顰めて見せる。
何だか、母親に叱られているような気分になった熾闇は、情けない表情になる。
「いや、一応、拭こうとは思ったんだが、布がどこにあるかわからなくてな」
「そんなことだろうと思いました。そのままでお待ちくださいませ」
呆れたような口調で告げた翡翠は、足音ひとつ立てずに滑らかな足取りでどこからか大量の布を取り出してくると、丁寧に熾闇の髪を拭き、水分を取り除き始める。
その優しげな手つきに、再び若者は眠気を覚え始める。
「翡翠、眠い……」
「御髪を整える間だけですよ」
くすくすと笑う柔らかな笑い声に誘われ、第三王子は瞼を閉じて、心地良い眠りへと落ちていった。
優しい声に促され、若者は目を開けた。
「……お目覚めになられましたか、三の君様?」
「うん……」
少しだけぼうっとしながら、瞼を擦り、熾闇は頷く。
「お召し替えをお願いいたします」
「……わかった」
実に素直に応じて、用意された衣装に袖を通す彼は、まだ半分以上寝惚けている。
何を着ているかなど、当然、理解の範疇にない。
襟を正し、身頃を整え、袷を押さえていると、翡翠が帯を締めてくれる。
璧玉の帯飾りを差し込み、太刀を佩き、冠を頭に載せる。
「はい、よろしいですよ。さぁ、宴へ参りましょう」
従妹に引率され、寝惚け眼の王子は、素直にてくてくと歩き出した。
宴の会場に第三王子が姿を現すと、盛大な歓声が上がった。
「な、何だ!?」
びくっとした彼は、ようやく目が覚めたらしく、傍に控えている従妹の顔を窺う。
「さ、上座にお向かいなさいませ」
彼の質問に答えず、娘は席に着くように促すだけである。
「なんか、やーな予感が……」
「……臆されたのですか?」
「そんな挑発には乗らんぞ」
柔らかくからかってくる翡翠に、熾闇はじとりと睨む。
「それはようございました。成人されたのですから、大人として振舞ってくださいませ」
自分はまだ子供の領域だと、くすくすと笑って告げる乳兄弟に、若者は肩をすくめて呆れる。
「俺は、俺だからな。誰の思惑にも乗らぬわ!」
「その意気です。さぁ、前へ」
「うん」
表情を改めた第三王子は、背筋を伸ばし、ゆったりとした足取りで玉座の前へと向かった。
「遅くなり、申し訳ございませぬ。父王陛下」
玉座に座る父に、熾闇は恭しく頭を垂れる。
普段は傍若無人な態度を取っていても、人前ではそれなりの振る舞いはできるのである。
「そなたの活躍、聞いておったところだ、熾闇。獅子を三頭、仕留めたそうだな」
颱王は、階下に置かれた獅子に視線を向けて楽しそうに告げる。
王子たちが仕留めた獲物は料理として振舞われることになっており、すでに皿に盛られているが、獅子は料理長もそっぽを向いたらしい。
矢や槍を抜き取り、血を綺麗に拭き取った状態で、並べ置かれている。
中には興味深そうに近寄って眺めている客もいるが、皆、どこか恐々とした様子である。
「はい。私が一頭、翡翠が二頭、仕留めました」
「まことか?」
「恐れながら、陛下。殿下が二頭、わたくしが一頭にございます」
息子の言葉を確認しようとした颱王に、翡翠が真面目な表情で訂正を入れる。
「ふむ。では、熾闇が一頭、翡翠が一頭、仲良くふたりで一頭なのだな」
手柄に関しては公正に、または相手に華を持たせようとする子供たちの言葉に、颱王は笑いながら何度も頷く。
顔を見合わせ、今にも舌戦を繰り広げそうであった主従は、王の言葉に恭しく頭を垂れる。
「御意」
「うむ。翡翠、我が息子達のお守りは大変だろうが、よろしく頼むぞ」
「かしこみまして」
もう一度、深々と頭を垂れた娘は、すっと立ち上がり、己の席へと向かう。
その位置が、熾闇が思っていたよりも遥かに下座にあることに、彼は驚いた。
「……翡翠」
何故、下座にいると、聞きたそうにしている息子に、颱王は苦笑する。
「さて、主役は揃った。今宵は無礼講といたそう。我が息子達のために祝ってくれ」
にこやかな笑みを作り、杯を掲げた颱王は、これからやって来る大嵐を知りながら、そう宣言する。
守護神獣が視た未来を隠し、王は華やいだこの時間を息子たちに贈った――




