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女になった俺と、距離感がおかしくなった奴ら  作者: わかめ
女になった俺

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妹がやたら楽しそうなんだが


インターホンが鳴った。


俺と蓮は同時に玄関の方を見た。


「来たな」


「……来たな」


「何でそんな覚悟決めた顔してんの」


「お前、最後の顔見ただろ」


電話の向こうで千尋が浮かべていた笑顔。


『まさか』と言いながら、明らかに何か面白いものを見つけた顔をしていた。


妹として二十二年間付き合ってきた俺には分かる。


あれは絶対にろくなことを考えていない。


もう一度、インターホン。


「はーい」


蓮が立ち上がる。


「何でお前が出るんだよ」


「じゃあお前出る?」


「…………頼んだ」


今の俺が玄関を開けたところで、たまたま廊下に住人でもいたら説明が面倒だ。


蓮が玄関へ向かう。


少しして、


「お邪魔します」


聞き慣れた声がした。


続いて、何か重そうなものを床へ置く音。


「お兄ちゃんどこです?」


「リビング」


「相沢さん、これちょっと持ってください」


「多くない?」


「必要そうなの適当に詰めたんで」


「何入ってんの」


「色々です」


嫌な会話が聞こえる。


俺はソファから立ち上がった。


足元にあったスリッパへ足を入れる。


ぱか。


一歩。


ぱか。


「……くそ」


昨日まで普通に履いていたスリッパまで大きい。


仕方なく脱ぎ捨て、素足になる。


その間に千尋がリビングへ入ってきた。


「…………」


俺を見る。


俺も見る。


電話越しでも。


画面越しでもない。


数か月ぶりに、兄妹が直接顔を合わせた。


最後に会ったのは正月だった。


その時の俺は百七十六センチ。


千尋より頭一つ近く高かった。


今は百四十八センチ。


当然。


俺が妹を見上げている。


「…………」


「…………」


千尋が一歩近づいた。


さらに一歩。


俺の目の前に立つ。


そして何も言わず、自分の手を俺の頭の上へ水平に出した。


「やめろ」


「ちっちゃ……」


「お前も第一声それかよ!」


「いや、だって!」


千尋が自分の頭と俺の頭の位置を比べる。


「電話で百四十八って聞いたけど、実際見ると全然違う!」


「数字は同じだろ!」


「私よりこんな低いんだよ?」


「見りゃ分かる!」


「うわー……」


「何だよ」


千尋が俺の周りを一周し始めた。


前。


横。


後ろ。


また前。


「おい」


「ちょっと待って」


「何を待つんだよ」


「整理してる」


「何を」


「兄ちゃんが女の人になってる現実」


「俺は朝からずっと整理できてねえよ」


千尋が止まった。


俺の顔をじっと見る。


「……でも」


「何」


「やっぱり兄ちゃんだ」


「だからそう言ってんだろ」


「画面より分かる」


千尋が少し身体を屈めて、俺の顔を覗き込む。


身長が逆転したせいで、その動作まで腹が立つ。


「目元とか」


「うん」


「鼻もそうだし」


「へえ」


「あと、何か嫌そうな顔してる時すごい兄ちゃん」


「今がまさにそれだよ」


千尋が笑った。


その笑い方は、昔と変わらなかった。


子供の頃。


俺がゲームで負けた時。


親に怒られた時。


何か失敗した時。


妹はいつもこんな顔で笑っていた。


「でも普通に美人だね」


「……らしいな」


「何その反応」


「今朝から散々鏡見てるから」


「自分で美人認定したの?」


「顔だけならな」


千尋が一瞬固まって、それからむっとした。


「腹立つ」


「何でだよ!」


「なんで兄ちゃんが私より肌綺麗なの?」


「知らねえよ!」


俺に文句を言われても困る。


「しかも若くない?」


「医者には二十二、三くらいに見えるって言われた」


「ほぼ私と同じじゃん」


千尋がまた黙った。


今度は少し違う顔だった。


「……何」


「いや」


「言えよ」


「兄ちゃんって四つ上だったじゃん」


「今も四つ上だよ」


「分かってるけど」


千尋が俺をもう一度見る。


「見た目だけなら、もう全然お兄ちゃん感ないなと思って」


「年功序列を忘れるなよ」


「身長は?」


「殺すぞ」


「その細い腕で?」


「うるせえ!」


後ろで蓮が吹き出した。


「お前も笑うな!」


「いや、だって」


「二人とも覚えてろよ」


俺が睨むと、千尋と蓮は顔を見合わせてまた笑った。


腹が立つ。


でも。


二人が笑っているのを見ていると、朝から張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。


     *


「で」


千尋が持ってきたバッグを床に置いた。


「その格好どうしたの」


俺は自分を見る。


ぶかぶかのTシャツ。


紐を限界まで絞ったスウェット。


蓮が病院へ行くために買ってきたサンダル。


「俺の服」


「見れば分かる」


「じゃあ聞くなよ」


「朝からずっとそれ?」


「他に着られる服ねえんだよ」


千尋が頷いた。


「だから持ってきた」


バッグを開ける。


中から服が出てきた。


白いTシャツ。


黒いパンツ。


薄手のパーカー。


部屋着。


靴下。


見たところ、全部かなり普通だった。


俺は少し安心する。


「……意外」


「何が?」


「もっと変なの持ってきたかと思った」


「変なのって?」


「妙に可愛いやつとか」


「ああ」


千尋が笑った。


「それはまた今度」


「あるのかよ」


「今日は兄ちゃんが生活できること優先」


「ずっとそうしてくれ」


「それは約束できない」


「おい」


早くも明日が不安になってきた。


千尋が白いTシャツと黒いパンツを渡してくる。


「とりあえずこれ着てみて」


「サイズ合う?」


「昔買ったやつだから今の私には小さいけど、兄ちゃんにはたぶんちょうどいい」


「便利だな妹」


「感謝して」


「ありがとう妹様」


「気持ち悪い」


「お前もそれ言うのかよ」


蓮まで笑っている。


俺は服を持って寝室へ逃げた。


     *


ドアを閉める。


ベッドの上へ服を置く。


そこで、俺は少し止まった。


着替え。


それ自体は毎日やってきた。


なのに今日は妙に落ち着かない。


朝から、自分の身体をなるべく意識しないようにしていた。


鏡を見れば嫌でも分かる。


病院でも散々確認された。


それでも、自分一人の時間くらいはまだ昨日までの感覚でいたかった。


「…………」


Tシャツの裾を掴む。


「自分なんだから気にすんな」


誰に言っているのか分からない。


一気に着替えた。


細かいことは考えない。


今は服が着られればそれでいい。


黒いパンツは少し余裕があるものの、紐で無理に締めなくても普通に腰で止まった。


白いTシャツも肩が合う。


袖も余らない。


丈も長すぎない。


「……おお」


思わず声が出た。


服が身体に合っている。


昨日まで当たり前だったことなのに、妙に感動する。


俺は寝室から出た。


「どう」


千尋が振り返る。


「…………」


止まった。


「何」


「いや」


「また何だよ」


「その服、すっごい普通なのに」


「うん」


「ちゃんと似合うね」


「そう?」


「うん」


蓮もこちらを見る。


「朝と全然違うな」


「そんな?」


「今朝は完全に服に着られてた」


「まあ、でかかったしな」


俺はリビングの鏡を見る。


白いTシャツ。


黒いパンツ。


長い髪は蓮がまとめてくれたまま。


何の変哲もない服装だった。


でも。


今朝とはまるで違って見える。


身体に合った服を着ただけ。


それだけなのに、初めて今の自分がちゃんと生活している人間に見えた。


「……変な感じだな」


俺が言う。


「何が?」


千尋が聞く。


「朝からずっと自分じゃない感じしてたんだけど」


鏡の中を見る。


知らない女。


でも。


今朝よりは少しだけ。


「服合ってるだけで、ちょっとマシ」


千尋が小さく笑った。


「なら持ってきた甲斐あった」


「助かった」


「珍しく素直」


「今日くらい言わせろ」


「はいはい」


俺は鏡に近づく。


そして長い髪を持ち上げた。


「ただ、これは無理」


「髪?」


「邪魔すぎる」


「そんなに?」


「寝ても邪魔。歩いても邪魔。座っても挟まる」


蓮が頷く。


「朝からずっと言ってるな」


「だって本当に邪魔なんだよ」


千尋が髪を見る。


「切る?」


「切りたい」


「どのくらい」


「昨日くらい」


「昨日って?」


「男だった時」


「かなり短いよ?」


「楽だった」


千尋が俺の顔を見る。


少し考える。


「そこまで短くしなくてもいいんじゃない?」


「でも邪魔なの嫌だぞ」


「じゃあショートボブとか」


「何それ」


「これくらい」


千尋がスマホで画像を探す。


見せてもらう。


顎の少し下。


首まわりはすっきりしている。


長くもない。


「……これならいい」


「似合うと思う」


「じゃあそれ」


「即決?」


「髪型にこだわりないし」


「今はね」


妙に含みのある言い方だった。


「何だよ」


「別に」


「その顔やめろ」


「何もしてないって」


絶対何か考えている。


「じゃあ明日、美容院行こ」


「助かる」


「その前に買い物」


「服?」


「服と靴と日用品」


「そんな買うの?」


「兄ちゃん」


千尋が呆れた顔をする。


「昨日までと身体のサイズ全部違うんだよ?」


「……そうだった」


「今日のサンダル一足でずっと生活するつもり?」


「無理だな」


「部屋着もいる」


「今借りてるやつじゃ駄目?」


「何枚あるの?」


「……ない」


「でしょ」


言われてみれば当然だった。


俺のクローゼットには服が大量にある。


でも、そのほとんどが今の俺には着られない。


靴箱も同じ。


昨日まで使っていたものが全部残っているのに。


使えるものだけがほとんどない。


「……めんどくせえな」


俺は呟いた。


「面倒だね」


千尋も言う。


軽い返事だった。


変に励まされるより、その方がありがたかった。


「戻った人、いないんだって」


不意に口から出た。


千尋の手が止まった。


「病院で?」


「うん」


「……そっか」


さっきまで楽しそうだった顔が、少し静かになる。


「だからまあ」


何を言おうとしたのか、自分でも分からない。


この身体で生きるしかない、と言うにはまだ早い。


戻れない、と認めるにも早い。


「とりあえず服くらいは必要かなって」


結局、そんなことしか言えなかった。


千尋は少しだけ俺を見て。


「うん」


それだけ答えた。


そして。


「じゃあ明日、いっぱい買お」


「いっぱいはいらねえ」


「いるって」


「最低限でいい」


「その『最低限』を兄ちゃんが知らないんでしょ」


「ぐっ」


正論だった。


「任せて」


千尋が笑う。


今度は、電話の時みたいないたずらっぽい笑顔ではなかった。


「……頼むわ」


俺が言う。


千尋が一瞬だけ目を丸くする。


「何」


「兄ちゃんが私に『頼む』って言うの珍しいなと思って」


「そう?」


「最近は特に」


そう言われて。


俺も少し考えた。


社会人になってから。


千尋とまともに何かした記憶があまりない。


子供の頃は同じ家に住んでいた。


喧嘩もした。


遊びもした。


でも大人になって。


いつの間にか、たまに実家で会うだけになっていた。


「……まあ」


俺は頭を掻こうとして。


長い髪に手が引っかかった。


「こういう時くらい妹使ってもいいだろ」


「使うって言い方」


「頼りにしてるって意味」


「なら最初からそう言えばいいじゃん」


「照れるだろ」


「何それ」


千尋が笑う。


俺も少し笑った。


「じゃあ明日ね」


「おう」


「朝から行くよ」


「昼からでよくない?」


「買うもの多いから無理」


「休みの日くらい寝かせろよ」


「今日昼まで寝たでしょ」


「昨日まで男だった俺にもう少し優しくして?」


「そのカードいつまで使うの」


「使える間」


「駄目」


容赦がない。


昔からだった。


でも。


その容赦のなさが、今は妙にありがたかった。


千尋が床に広げていた服を片付け始める。


俺も横に座って手伝う。


「これは?」


「明日着るやつ」


「これは?」


「部屋着」


「これは?」


「それは今度」


「何で隠す」


「兄ちゃん絶対嫌がるから」


「じゃあ持って帰れ」


「嫌」


「おい」


また笑う。


ほんの数時間前。


俺は病院で、戻った人はいないと言われた。


その未来はまだ重い。


怖いかどうかすら分からない。


でも。


明日は妹と服を買いに行って。


髪を切る。


とりあえず。


今はそれでいいのかもしれない。


「兄ちゃん」


「何」


「明日逃げないでね」


「何から」


「色々」


「その言い方怖いんだけど」


千尋がにやっと笑った。


やっぱり。


少しくらいは楽しんでいるらしい。

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