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女になった俺と、距離感がおかしくなった奴ら  作者: わかめ
女になった俺

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18/24

親友が遊びに来ただけのはずだった


十九時五十分。


ゲーム機のアップデートが終わったのを確認していると、インターホンが鳴った。


画面を見るまでもない。


「はいはい」


玄関を開けると、蓮がコンビニの袋を片手に立っていた。


「おう」


「お前、来るの早くね?」


「十分前だろ」


「美琴も今日同じこと言ってたわ」


「知らねえよ」


蓮がいつものように靴を脱いで上がる。十年以上の付き合いなのだから、俺の家でいちいち「お邪魔します」なんて言うような関係ではない。


その光景を見て、少しだけ安心した。


土曜に蓮がうちへ来る。ゲームをする。途中で菓子を食って、くだらない話をして、適当な時間になったら帰る。


何度やったか分からない。


俺が女になったところで、そこまで全部変える必要はない。


「何買ってきた?」


「飲み物と菓子。あとアイス」


「有能」


「酒はやめた」


「何で」


「お前、一杯で次の日死んでただろ」


「死んではねえよ。ちょっと頭重かっただけだ」


「同じだろ」


「全然違う」


蓮がコンビニ袋からペットボトルの茶を二本取り出し、そのうち一本を俺へ投げてくる。


反射的に受け取った。


「危ねえな」


「取れてんじゃん」


「昔の感覚で投げんな。手ちっちゃくなってんだから」


「そういやそうだった」


蓮は俺の手を見る。


俺も自分の手を見る。


以前なら片手で余裕だったペットボトルが、今は少し大きく感じる。とはいえ持てないわけではないし、一週間も経つとこういう差にもいちいち驚かなくなってきた。


「昼どうだった?」


蓮が何気なく聞いた。


「美琴?」


「他に誰いんだよ」


「普通に飯食って、服見てた」


「服?」


「今の身体用のやつ、まだ少ねえから」


蓮は部屋へ入りながら、ハンガーラックに掛けてある黒いシャツへ目を向けた。


今日買ったばかりのものだ。


「それ?」


「ああ」


「へえ」


「何だよ」


「別に。お前が自分で服買ってんの、何か変な感じするなと思って」


「俺だって昔から服くらい買ってたわ」


「そうじゃなくて、女物」


「だからそれも服だろ」


「まあそうだけど」


蓮は少し笑う。


それ以上何か言われるかと思ったが、特に続かなかった。


俺はなぜか少しだけ肩透かしを食らったような気分になって、すぐにその感覚を追い払った。


何を期待していたんだ。


     *


ゲームを始めてしまえば、本当にいつも通りだった。


二人で並んでソファへ座り、協力プレイのゲームを起動する。以前から何度もやっているタイトルで、今日は半年くらい放置していた追加コンテンツを進めることになった。


「お前そっち行けって!」


「分かってる!」


「全然分かってねえ!」


「敵多すぎんだよ!」


「お前が突っ込んだからだろ!」


数分後には二人まとめて全滅した。


「下手になってね?」


「お前も死んでんじゃねえか」


「俺はお前助けに行ったせいだよ」


「言い訳すんな」


コントローラーを握ったまま言い合う。


この時間だけ切り取れば、先週までと何も変わっていない。


声は高くなった。


身体は小さくなった。


ソファに座った時の位置も以前とは違うし、コントローラーだって少し大きい。


でもゲームの中で俺が判断をミスすれば蓮は普通に文句を言うし、蓮が先に死ねば俺も遠慮なく笑える。


こういうものまで全部変わっていたら、たぶん耐えられなかった。


「暑いな」


一時間ほど遊んだところで、俺はコントローラーをテーブルへ置いた。


九月に入ったとはいえ、昼間の熱がまだ部屋に残っている。エアコンはついているが、ゲーム機とテレビを動かしているせいか思ったより室温が下がらない。


「お前、設定二十七度じゃん」


蓮がリモコンを見る。


「冷えすぎるんだよ、今」


「前二十四とかにしてなかった?」


「今それやると寒い」


「燃費だけじゃなくて耐寒性まで変わってんのか」


「知らねえよ」


俺は立ち上がって冷蔵庫へ向かい、追加の飲み物を取る。


その途中で、額に少し汗をかいていることに気づいた。


「やっぱ暑いわ」


冷蔵庫から茶を出しながら首元をぱたぱたと引っ張る。


今日は昼間も外を歩いたし、帰ってから洗濯やら何やらしていた。夜になってだいぶ涼しくなったと思ったが、身体が変わっても汗をかくこと自体は当然変わらないらしい。


ソファへ戻ると、蓮がふと俺の方を見た。


「何」


「いや」


「何だよ」


「お前、思ったより汗臭くねーな」


数秒、意味を理解するのに時間がかかった。


「……は?」


「いや、汗かいたって言う割に」


「お前、何で俺の汗の匂い確認してんの?」


「確認してねえよ。隣にいたら分かるだろ」


「キモ」


「何でだよ」


「普通、親友の汗の匂いについて感想言う?」


「前のお前、夏とか普通に男臭かったじゃん」


「お前ほんと失礼だな」


思わず笑った。


蓮も笑っている。


ただ、その言葉が少しだけ頭に残った。


前のお前。


男臭かった。


考えてみれば、自分でも薄々気づいていた。


汗はかく。


一日外にいれば服だって普通に湿るし、風呂へ入りたくもなる。


でも、以前の自分からしていた匂いとは違う。


汗そのものが何か甘い匂いになったわけではない。ただ、二十六年間知っていた「自分が汗をかいた時の匂い」がほとんどしなくなっている。


身体が変わった以上、当たり前なのかもしれない。


「……そういや、違うな」


「何が?」


「俺の汗の匂い」


蓮が少し眉を上げる。


「自分で分かんの?」


「ずっと自分の身体だったんだから、何となくは分かるだろ」


「へえ」


「だから何でお前が興味持ってんだよ」


「持ってねえよ」


蓮はそう言ってゲーム画面へ視線を戻した。


俺も茶を飲み、コントローラーを取る。


ほんの少しだけ変な間があった気がしたが、気のせいだろう。


「続きやるぞ」


「おう」


ゲームを再開する。


その後しばらく、匂いの話は出なかった。


     *


二十二時を過ぎた頃、蓮がアイスを取り出した。


ゲームはひと区切りついていて、テレビにはメニュー画面が映ったままだ。


「それ俺の?」


「二個買った」


「分かってるじゃん」


一本受け取って袋を開ける。


以前ならこの時間にアイスを食べた後、さらに夜食までいけた気がするが、今はこれだけで十分そうだった。


しばらく無言で食べているうちに、ふと思い出した。


「そういや昨日」


蓮がこちらを見る。


「真帆どうだった?」


ようやく聞いた。


昨日の夜は、何となく自分からメッセージを送れなかった。


今なら普通に聞ける。


少なくとも、そのつもりだった。


「普通」


「お前そればっかだな」


「普通に飯食った」


「楽しかった?」


「まあ」


「次は?」


「また行く」


「いつ?」


「まだ決めてない」


淡々としている。


でも、次も会うのなら悪くはなかったのだろう。


俺はアイスを齧る。


「いいじゃん」


言えた。


今度は昨日みたいに、頭のどこかへ真帆の名前が残る感じもそれほどない。


蓮が俺を見る。


「何」


「いや。お前この前まで『告れ』ってうるさかったから」


「今も言ってるだろ。告れば?」


「自分はどうなんだよ」


「俺?」


「美琴」


アイスを持った手が止まった。


「……俺は」


金曜までは、蓮に同じことを言われれば適当に誤魔化すか、「そのうちな」と返していた。


今は、答えが少し違う。


「分かんねえ」


「何が」


「色々」


「雑すぎるだろ」


「しょうがねえだろ。先週までと条件違うんだから」


美琴が好きなのは変わっていないと思う。


今日だって二人で出かけられたことは嬉しかった。


服を選んでもらったのも楽しかったし、「好き」という文字を見ただけで一瞬変な反応をした。


それでも、以前みたいに「じゃあ告ればいい」とは単純に思えない。


「美琴、今の俺のこと完全に女友達として見てるっぽいんだよ」


蓮は何も言わず、続きを待っている。


「前より距離は近い。家にも来るし、服も一緒に見るし、触ってくるし。でも近くなった理由が、俺が女になったからなんだよな」


自分で説明しながら、胸の中にあったものが少しずつ言葉になる。


「それで今さら『実は男だった時から好きでした』って言ってどうなるのかも分かんねえし。俺自身、今の状態で美琴とどうなりたいのかも、まだよく分からん」


「好きじゃなくなった?」


「それは……たぶん違う」


すぐには答えられなかった。


蓮が少し考えるようにアイスの棒を見る。


「じゃあまだ好きなんじゃね?」


「簡単に言うなよ」


「好きかどうかだけならだろ。付き合えるかとか、どういう関係になるかは別として」


言われてみればそうなのかもしれない。


俺は美琴が好きだ。


少なくとも今も、美琴の言葉や距離にいちいち反応している。


問題はその先だ。


「お前、昨日は俺に告れって言わなかったじゃん」


何となく言う。


蓮の視線が一度こちらへ向いた。


「……ああ」


「何で?」


「分かんねえって言っただろ」


「お前も分かんねえのか」


「そりゃそうだろ。俺だってお前が女になるの初めてなんだから」


「当たり前だ」


少し笑った。


蓮も笑う。


それで話は一度終わった。


結局、俺も蓮も分からない。


俺と美琴のことも。


たぶん、今の俺と蓮のことも。


ただ、今はゲームをして笑えている。


それなら十分だと思った。


     *


二十三時を過ぎた頃、蓮が立ち上がった。


「そろそろ帰るわ」


「おう」


以前なら終電ぎりぎりまで粘ることも珍しくなかったが、今日はまだ余裕がある。


玄関まで見送りに行く。


蓮が靴を履きながら、ふと部屋の中を見る。


「何」


「いや」


「今日それ多くない?」


「何でもねえよ」


「気になるだろ」


「また来るわ」


「話逸らすな」


蓮は笑って玄関を開けた。


「じゃあな」


「おう」


ドアが閉まる。


鍵を掛けて、俺は部屋へ戻った。


テーブルには空になったペットボトルと菓子の袋が残っている。ソファのクッションも、蓮が座っていたところだけ少しずれていた。


いつもの光景だ。


俺はゴミをまとめながら、さっきの話を思い出す。


美琴のこと。


真帆のこと。


そして、途中で蓮が言った言葉。


『前のお前、夏とか普通に男臭かったじゃん』


失礼な話だ。


次に言われたら殴る。


そう思いながら、何となく自分の部屋着の襟元を引っ張り、匂いを確かめてみる。


「……何やってんだ俺」


すぐにやめた。


確かに、昔とは違う。


自分ではまだうまく説明できない程度の違いだった。


それを蓮は、俺より先に言葉にした。


十年以上一緒にいたのだから、それくらい分かってもおかしくない。


たぶん、それだけだ。


俺はゴミ袋の口を縛り、ソファへ戻る。


今日はいつも通りゲームをして、いつも通りくだらない話をした。


ちゃんと親友だった。


そのことに安心している自分がいる。


どうしてそんな当たり前のことに安心しなければならないのかまでは、まだ考えないことにした。

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