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女になった俺と、距離感がおかしくなった奴ら  作者: わかめ
女になった俺

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10/24

女同士だからって、距離近くない?


十二時二十二分。


俺はリビングで、意味もなく時計を見ていた。


あと八分。


美琴が来る。


それだけなのに、朝から落ち着かない。


部屋は片づけた。洗い物も済ませ、病院の書類や昨日買った服の袋も端へ寄せた。


美琴が家へ来るのは初めてではない。飯を食ったことも、酒を飲んだことも、映画を見ながらソファに座ったこともある。


それでも、今回は妙にそわそわしていた。


たぶん、今の俺を直接見るのが初めてだからだ。


ビデオ通話では見せた。驚かれたし、綺麗だとも言われた。身長を教えたら笑われた。


だが、画面越しならどこか他人事にできる。


百四十八センチになった俺が、美琴の前に立つ。


俺より小さかった美琴を、今度は俺が見上げる。


声も、身体も、髪も。


画面では伝わらなかったものまで、嫌でも分かる。


なんとなく自分の服を見る。


薄い青のトップス。昨日、自分で似合うと思って買ったものだ。


別に美琴のためではない。


本当に。


インターホンが鳴った。


「うおっ」


肩が跳ねる。


時計は十二時二十九分。美琴は昔から、こういうところだけ妙に正確だ。


「はい」


『着いたよー』


「今開ける」


オートロックを解除し、なぜか髪を触る。


別に乱れていない。


「……だから何で気にしてんだよ」


好きな女が来る。少し緊張する。


それだけだ。


玄関のチャイムが鳴った。


今度こそ、来た。


     *


ドアを開ける。


「お待た――」


途中で止まった。


美琴も止まった。


白っぽいシャツに細身のデニム。肩にバッグを掛け、片手には駅前の惣菜店らしい紙袋を持っている。


見慣れた姿だった。


ただ、今の俺から見ると。


「……やっぱでけえな」


「第一声それ!?」


「いや、お前もっと小さかっただろ」


「悠真が縮んだんでしょ!」


「そうだけど、感覚として」


「私、何も変わってないからね?」


美琴が俺の顔から足元まで視線を下げ、また顔を見る。


「……画面で見るのと全然違う」


「朝も本人確認しただろ」


「したけど」


美琴が一歩近づく。


俺はさらに見上げる形になった。


「……近い近い」


「だって気になるじゃん」


美琴は俺の顔をじっと見た。


「やっぱり目は悠真なんだよね」


「そこは変わってないっぽい」


「眉も。その嫌そうな顔も」


「お前ら本当にそこ好きだな」


美琴が笑う。


俺もつられて笑った。


「あ、笑うともっと悠真だ」


「千尋にも言われた」


「ほんとだ。不思議」


美琴はまだ俺を見ている。


「いつまで観察してんだよ」


「ごめんごめん」


ようやく視線を外したと思ったら、今度は俺の髪を見る。


「髪、ほんとに切ったんだ。すごい似合う」


「朝も聞いた」


「実物の方がいい」


何でもないように言われ、俺だけが返事に困った。


好きな女から褒められるのは嬉しい。


ただ、今褒められているのは、女になった俺の髪型だ。


「……とりあえず入れよ」


「うん。お腹空いた」


紙袋を受け取ろうとすると、美琴が止めた。


「あ、いいよ。休養中でしょ」


「元気だって」


「昨日一日で疲れたって言ってたじゃん」


「黒田さんから聞いたのかよ」


「今朝、悠真が言った」


「ああ、そうだった」


「大丈夫?」


「記憶は元からこんなもんだ」


「それなら安心した」


「安心すんな」


いつもの会話だ。


話している分には、美琴は美琴だ。


俺も俺。


そう思えた。


この時までは。


     *


リビングへ入ると、美琴が買い物袋の山を見た。


「昨日買ったやつ?」


「ああ。服とか靴とか。持ってたもの、全部サイズ合わなくなったからな」


「靴も?」


「二十七から二十二・五」


「ちっちゃ」


「千尋と同じこと言うな」


「いや、でも二十二・五って聞いたら言うでしょ」


「言わない優しさを覚えてくれ」


美琴は笑いながらソファへ座り、隣を軽く叩いた。


「悠真、ここ」


「…………」


「何?」


「いや」


俺もその隣へ座る。


一人分くらいは空いているが、以前より明らかに近い。


美琴は気にせず、紙袋から惣菜を出していく。


「お昼、何食べられるか分かんなかったから、何種類か買ってきた」


「身体変わったからって食性までは変わってねえよ」


「分かんないじゃん」


「昨日普通に食った。量はちょっと減ったけど」


「ほら」


「身体が小さくなったからだろ」


サンドイッチ、サラダ、キッシュ、スープ。それにプリンまで出てきた。


「買いすぎじゃない?」


「余ったら夜食べればいいでしょ」


「助かる。プリン最高」


「そこは変わってないんだ」


「性別でプリンの好み変わるかよ」


また笑う。


こんな時間が続くなら、案外何も変わらないのかもしれない。


そう思った。


     *


昼飯を食べながら、病院で聞いたことを説明した。


転性現象であること。過去にも症例があること。今のところ元に戻った例はないこと。公的手続きの書類があること。会社にも報告したこと。


美琴は朝の電話で大半を聞いていたが、身体のことだけは改めて確認した。


「身体は本当に健康なの?」


「検査上はな。薬も今のところない」


「そっか」


美琴は安心したように息を吐いた。


「でも、全部女性になったってことなんだよね」


「医者にはそう言われた。身体の機能も全部」


「……すごいね」


「ほんとな」


それ以上は深く聞いてこなかった。ありがたい。俺自身、まだ全部を説明したいわけではない。


「困ってることは?」


「いっぱいある。身長、歩幅、靴、服、髪、声。高いところに届かないし、人混みで前も見えない」


「最後の方ちょっと面白い」


「本人は切実なんだよ」


「ごめん」


「あと力も落ちた。蓮を蹴っても全然効かなかった」


「何で蹴ったの?」


「色々あった」


「雑」


「昨日まで持てたものが重いんだよ」


家の中は、百七十六センチの男だった俺に合わせてある。食器棚も、収納も、洗面所の棚も高い。


「高いところ取る時どうしてるの?」


「椅子」


「危ないよ。脚立買いなよ」


「買うもの増やすな」


「必要経費」


「千尋と同じこと言ってる……」


     *


食事の片づけを始める。


美琴が皿を運び、俺が洗う。美琴は俺が何も言う前に、食器を食器棚の下段へ移し始めた。


「そこ届かないでしょ」


「届く」


俺は手を伸ばした。


届かない。


「笑うなよ」


「ごめん。でもほんとに小さくなったんだなって」


「俺は昨日から毎分思ってる」


「じゃあ、よく使うものだけ下に移そうよ」


「今度やる」


「今やろう。私がやるし」


美琴は勝手知ったるように収納を整理していく。


「これ下に移していい?」


「いいよ」


「こっちは?」


「そこは使う」


少しずつ、俺がよく使うものが下へ移されていく。


便利なのは分かる。


それでも、自分の家が今の身体に合わせて変わるのを見ると、元の自分が遠くなる気がした。


「……変な感じだな」


美琴が手を止める。


「嫌だった?」


「いや、便利。ただ、昨日まで普通に使えてた家なのになって」


美琴は少し考えた。


「じゃあ、よく使うところだけにしよう。戻したくなったら戻せるように」


髪は伸びる。服はしまえる。棚も戻せる。


身体は、今のところ戻った人がいない。


「……そうする」


「じゃあ、これはここね」


その言い方が妙にありがたかった。


     *


片づけが終わり、ソファへ戻る。


少し疲れた俺に、美琴が声をかけた。


「大丈夫?」


「ああ。ちょっと疲れただけ」


「無理しないでよ」


「分かってるって」


美琴が隣へ座る。


やっぱり近い。


肩との間は拳一つ分ほどしかない。


美琴はスマホを取り出し、昨日俺が送った写真を見た。


「これ、美容院の後?」


「そう。千尋が撮った」


「やっぱり実物の方がいいね」


「まだ言う?」


「だってほんとだし」


俺が少し横へずれると、美琴も同じだけ寄った。


「……おい」


「何?」


「いや」


何と言えばいい。


美琴は以前から、女友達とはこのくらいの距離で座る人だったのかもしれない。


俺が男だったから、今までは少し離れていただけで。


そう考えると、胸の奥がざらついた。


「悠真、手、見せて」


「何で」


「比べたい」


美琴が手を差し出す。


「子供かよ」


言いながら、俺も手を出した。


掌を合わせる。


以前なら俺の方が明らかに大きかった。


今は。


「……私の方が大きい」


「マジか」


「変な感じ」


「俺の台詞だよ」


美琴が手を離す。


たったそれだけなのに、掌に体温が残った。


昨日までとは、距離が違う。


     *


「ねえ。触っていい?」


「どこを」


「髪」


「ああ」


美琴が俺の髪へ指を伸ばし、毛先を軽く持ち上げる。


「すごいさらさら」


「美容院行ったばっかだからじゃね?」


「それだけじゃないと思う」


指が耳の横から後ろへ滑り、首筋へ近づいた。


身体が小さく反応する。


「今、びくってした?」


「してねえ」


「したよ。ここ?」


「おい」


もう一度伸びてきた手を、俺は掴んで止めた。


「やめろ」


「くすぐったい?」


「知らん。昨日からの身体なんだから、知らねえこといっぱいあるんだよ!」


思ったより必死な声が出た。


美琴が目を丸くする。


「……ごめん」


「いや、俺もびっくりしてる」


手を離すと、美琴は少し笑った。


「なんか可愛い」


「それ言うな」


「何で?」


「似合わねえだろ」


「今は似合うよ」


さらっと言われ、返事に詰まる。


「そういうの慣れてねえんだって」


「可愛いって言われるの?」


「当たり前だろ」


美琴は楽しそうだった。


腹立つ。


でも、悪い気はしない自分がもっと腹立つ。


     *


しばらくして、美琴が立ち上がった。


「トイレ借りるね」


「ああ」


美琴が廊下へ向かう背中を見送りながら、俺は気づいた。


今日、美琴は一度も警戒していない。


以前から信用されてはいた。二人きりで家に来るくらいだ。


でも、何かが違う。


ソファで座る距離。


顔を覗き込む距離。


手を重ねること。


髪へ触れること。


美琴からすれば、女友達へするのと同じ程度なのだろう。


俺は美琴が好きだった。


今も好きだ。


だから近いのは嬉しい。


でも、欲しかった近さは、こういうものだっただろうか。


男だった俺が欲しかった距離に、女になったことで入れてしまった。


ずるをしたみたいでもあり、最初から別の場所へ案内されたみたいでもあった。


     *


美琴が戻ってくる。


「どうしたの? また難しい顔してる」


「元からこういう顔だよ」


「それ、さっきも言ってた」


美琴が隣へ座る。


俺は少し迷ってから聞いた。


「美琴。今日、距離近くない?」


「距離?」


「物理的に。前はもっと離れてただろ」


美琴が俺との間を見る。


「ああ。悠真、男だったもんね」


胸の奥が少し詰まった。


「……だったな」


「ごめん。嫌だった?」


「嫌っていうか、慣れねえ」


美琴は困ったように笑った。


「私もまだ慣れてないんだよね。悠真が女の子になったこと」


「そりゃそうだろ」


「でも見た目が普通に女の子だから」


美琴はまた距離を見る。


「女同士なら、このくらい普通かなって」


その言葉に、俺は何も返せなかった。


女同士。


今の俺と美琴は、確かにそうだ。


「嫌なら離れるけど」


美琴が身体を動かそうとする。


「いや」


反射的に止めた。


「別に、嫌じゃない」


好きな女が近くにいるのだから、嫌なわけがない。


美琴は一瞬俺を見て、笑った。


「じゃあいいじゃん」


そのまま、距離は戻らなかった。


俺も離れなかった。


     *


夕方近く、美琴が帰る支度を始めた。


「明日も休み?」


「たぶんリモートで少し復帰する。夕方に黒田さんと話すけど」


「無理しないでね」


「分かってる」


「分かってない人が言うやつ」


「黒田さんにも言われた」


「じゃあ二票」


「多数決やめろ」


玄関まで送る。


美琴が靴を履いて立ち上がると、やはり俺より高かった。


「……まだ変」


「何が?」


「お前を見上げるの」


「私はちょっと新鮮」


「楽しむな」


美琴は笑いながら、俺の頭に手を置いた。


「ほんとに小さい」


「お前」


「ごめんごめん」


俺が手を払うと、美琴はまた笑った。


「じゃあ、また連絡する。困ったことがあったら言ってね」


「千尋にも言われてる」


「じゃあ二人いるから安心じゃん」


「女の生活サポートが二人体制になった」


「何それ」


ドアを開けた美琴が、廊下で一度振り返る。


「悠真。今日会えてよかった」


思っていなかった言葉だった。


「……俺も」


「じゃあね」


「ああ。また」


ドアが閉まり、足音が遠ざかっていく。


俺はしばらく玄関に立っていた。


さっきまで美琴がいた。


昨日までと同じように話し、笑い、飯を食った。


それなのに、何かが確実に違った。


リビングへ戻り、ソファへ座る。


さっきまで美琴がいた場所。俺との間は、拳一つ分くらいだった。


「……女同士、ね」


声に出してみる。


嫌ではない。


むしろ嬉しい。


美琴が近かった。


髪へ触れられ、手も重ねた。


男だった頃なら、一つ一つに意味を探していたはずだ。


脈があるのか。


異性として意識されているのか。


今日は違う。


全部、『女同士だから』で説明できてしまう。


俺が欲しかった距離より近いのに、欲しかった意味はない。


「……なんだそれ」


笑おうとして、うまく笑えなかった。


首元に手をやる。


さっき美琴の指が近づいた場所。もう何も残っていないはずなのに、妙に意識に残っていた。


これは身体が変わったせいだ。


昨日から敏感になっているだけ。


美琴だからじゃない。


そう思いながら、今度は掌を見る。


重ねた手。


美琴の方が少しだけ大きかった。


「……めんどくせえな」


二日前、俺は美琴ともう少し近くなりたいと思っていた。


今日、実際に近くなった。


なのに、こんな形で近くなりたかったわけじゃない。


女になって三日目。


初めて、身体だけではなく、人との距離まで変わり始めたことを。


俺は少しだけ実感した。

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