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「祈織ちゃん気持ちいい?」
「最高に気持ちいいです……」
アキラはベッドにうつぶせになっている祈織の足の裏をやさしくほぐしていく。彼は占い師であると同時にセラピストとしての顔も持つ。若い頃は鍼灸・整骨院に努めていたこともあった。マッサージが上手だと評判の高い院長先生から直々にマッサージを教えて貰った。指圧向きの指をしていると才能を評価されてもいたのだ。若い頃からアキラは立ち仕事が多かったので足腰に疲労がたまりやすかった。そのため、マッサージにはかなり投資してきたのだ。単純に癒しを求めていたこともあるが、マッサージ技術向上のためでもある。そのスキルを鈍らせたくないとの思いから時々、友人や友人の紹介でマッサージをしている。セラピストとしての顔も持っているのだ。
アキラは祈織のふくらはぎから大腿筋をほぐしていく。腰痛の震源地であるお尻のあたりを指圧する。センシティブな部位に触れているにも拘わらず祈織の反応はない。そろそろ眠りへと誘う時がきたようだ。
「祈織ちゃん。時間も時間だし寝ちゃってもいいからね。僕はソファーで仮眠取らせて貰えば充分だから」
「はい。お言葉に甘えて。今日は泊まらせて頂きます……」
祈織は照れながらいう。アキラはクライアントの前では私的感情を挟まない。しかし祈織のような美女相手にマッサージしていると興奮してくる。テンションは最高潮に達しようとしていた。
祈織の身体はかなり凝っていた。足裏を触っていた時から硬いという印象を持っていた。特に肩甲骨周りはパンパンに張っていて看護師という職業の過酷さを知った。
祈織は裸にバスローブを巻いただけの恰好になっている。アキラが持参したルームウエアには着替えなかったのだ。チェックインの際にレンタルしたアロマディフューザーからラベンダーのやさしい香りが漂う。スマホからはリラクゼーションミュージックが流れている。ここは本来、大人と大人が密会し愛を確かめ合う場所。または秘密の恋愛の末、情欲の全てをさらけ出す場所。男性セラピストが女性客に対してリラクゼーションマッサージを提供する場所ではないかもしれない。しかし蒲田では他に適切な場所が見当たらない。ほぼノープランのうちに、ノリと勢いでラブホテルに泊まることになった。二人の間にはやましい気持ちは全くなかったはずだ。
深夜一時過ぎに落ち合ったのは祈織の都合だった。祈織は人がやりたがらない夜勤を率先して引き受うけていたらしい。夜勤の調整のため昼間に睡眠をとることも多いようだった。今日は夜勤明けで明日は休みらしい。
看護師といえば、女性の勝ち組の職業だとアキラはそう思っている。女医よりも結婚率が高く収入も夜勤がある分だけ高い。そして何よりも医療従事者は社会的な地位が高い。教師と並んで崇高な職業である。しかも国家資格を持っているので幾らでも潰しが効く。医療系の大学の倍率の高さと頭の良さはお給料にちゃんと反映されているのだ。アキラには到底真似できない生き方である。
「祈織ちゃん、仰向けになって下さい」
「はい」
祈織ははだけたバスローブをなおしながら仰向けになり「これでいいですか?」といった。
「もう少し下に来て。フェイスとヘッドスパをやるから」アキラが指示する。祈織はもぞもぞとミノムシのようにベッドの際まで足を伸ばした。
「んじゃ。フェイスマッサージからやっていくね」
「お願いします」
蒸しタオルでむくみをとってから顔全体に薄くクリームを塗る。やはり顔が小さい。祈織はほのかに笑みを浮かべている。すでに夢心地のようすだった。
「アキラさんはなんで占い師になろうと思ったのですか?」
祈織がささやくようにいった。
「運命の人と出会いたかったからさ」
「運命の人ですね」
「そう」
「それで出逢えたんですか?」
「うーん。出逢えたと思ったら、また別の運命の人が現れたんだよ」
「運命の人って一人じゃないんですか?」
「厳密に言えば一人ではないよ。男同士でもソウルメイトと呼べる関係はいる」
「そうなんですね。私はまだソウルメイトと出会えてないかもしれません。アキラさんはたくさん運命の人がいて幸せですね」
「これも仏法が導いてくれたことだよ」
「アキラさんは仏法者なのですね」
「そうだよ。祈織ちゃんはクリスチャンだったね」
「はい。生まれた時からカトリックです」
「僕の誕生日が8月27日なのだけれど、前日の26日はマザーテレサの誕生日だ」
「8月27日はマザーテレサが洗礼を受けた日ですね」
「そうらしいね」
「世界平和を目指してらっしゃるのですか?」
「以前まではそうだった。けれども色々あって。今では自分のためだけに生きることにしたんだ。もちろんできる範囲で社会貢献してくことには変わりないけれど、必要以上のボランティアは要らないんじゃないかなって。そういう風に考えているんだ」
「まぁ考え方は人それぞれですものね。私は身寄りのない子供たちをどうしても放っておけないのです。この先もボランティア活動は続けていくつもりです」
「素晴らしいことだね。僕も来世生まれ変わったらクリスチャンになって、祈織ちゃんたちと社会奉仕活動をしたいよ」
「仏法ではできないんですか?」
「やってる人はいると思う。ただ、仏法は勝負を先とするからまずは人生に勝たなきゃいけない。僕はまだまだ社会的な立場は弱い方だから……」
「何か諦められない夢があるのですか?」
「うん。小説家になりたいんだ」
「小説家ですか。素敵な夢ですね。ぜひ叶うようにお祈りします」
「ありがとう」
アキラは祈織の頭部をマッサージする。驚くべきことに、髪の毛の一本一本までキューティクルが整っていた。継続して頭をさする。10分も経たないうちに、さっきまで饒舌だった祈織が寝息を立てはじめた。アキラはそっとベッドから降りる。祈織のお腹から足先にタオルケットをかけた。祈織が完全に深い眠りにつくまでそばにいて髪を撫でていた。アキラは祈織が完全に寝たことを確認してからソファーに腰をかけてタバコに火をつけた。
遠目から祈織を見つめる。そういえば沖縄滞在中にもこんな眠れない夜があった。
占術協会の年下の上司と一つ屋根の下で過ごすことになり、無言に耐えきれず、マッサージをしてあげた時のこと。今日みたいに、すやすや眠る美しい女を遠目で見つめながらタバコを吹かし、ギターを手に取った。そして弾き語った。曲目はジャズのスタンダードナンバーの『黒いオルフェ』だった。うまく弾けない黒いオルフェを弾き語っていると、泣きたい気持ちになった。
過去に想いを馳せていたアキラが正気に戻ったのは強い空腹を覚えた時だった。気が付けば時計の針はAM3時を指していた。
祈織と落ち合ったのがだいたい深夜1時をまわっていた頃だから約90分間以上はマッサージしていたことになるだろうか。アキラはスマホを手にした。人気ジャズピアニスト藤原涼子のミックスリストをかけた。こんな夜にはジャズが似合う。
夏の終わりと秋のはじまり。なぜかせつなくて、ほろ苦くて。でも、実り多きこの季節を誰もが好きになる。秋の夜長と妖艶なジャズと少量の酒。このラブホテルのスィートルームにはサウナやキッチンが備え付けられている。3人掛けのソファーもある。シティホテルのスィートには泊まらせてあげられないが、せめてもの紹介者の涼子への友愛の証だ。
遠野祈織を紹介してくれた藤原涼子のマジカルカラーは黒。9月20日には39歳になる。涼子は国内最高峰の人気ジャズピアニストだ。涼子とアキラは四柱推命での相性が抜群に良い。丁巳と壬申の相性は干合といって上も下も大吉なのだ。結婚するならばこれ以上ないくらいの好相性である。しかもマヤ暦ではアキラが涼子の運気を上げる役割を担っていることがわかっている。さらに反対KINという真反対の性質を持つ相性でもあるのだが、最強の夫婦を目指すならば反対KINは必要不可欠なのだ。なぜならば、お互いにないモノを補って生きていくのが夫婦であるからだ。アキラの元カノのである星崎詩音との間に亀裂が入ったのも藤原涼子との出会いが原因だった。
2022年8月27日。アキラの42歳の誕生日。最愛の彼女である詩音とデートする約束をしていた。詩音とは銀座で待ち合わせていた。思いついたように詩音が「アキラの生まれ故郷へ行きたい」と言うので仕方なく蒲田を案内することになった。その日事件は起こった。
アキラがシャワーを浴びている間、風俗嬢からLINEメッセージがきたらしい。詩音はすぐさまその名前をスマホで検索した。その女は蒲田では有名なチャイニーズエステ店の人気嬢だった。場合によっては客と身体の関係を持つこともあるらしい。詩音はそのことが許せなかったというよりも、一時的な快楽を発散させるためだけに大金を使うアキラに不信感を抱いた。悲しくてにきそうになった。アキラがシャワーから出ると詩音は真っ先に彼を問い詰めた。そしていっぽう的に、別れ話を切り出して部屋を飛び出していった。それと同じくして。ふたたび困難がアキラの身に降りかかった。幼馴染の元宮勇気が失踪したというのだ。アキラは元宮勇気のママさんから頼まれて行方を捜すことになった。そして、その旅の途中で藤原涼子と出会ったのだ。涼子はアキラの浮気性な一面があることにはいっさい気にしないタイプだった。むしろ彼が女性からモテることに対して【優秀な遺伝子を独り占めしてる】ことに優越感を抱いていた。しかし、涼子とアキラが男女の関係になるのは早すぎた。詩音との曖昧な関係。涼子の甘い誘惑。最終的にアキラはそのどちらも選ばなかった。いや、選べなかった。運命の女性を探す旅はふり出しに戻ったのだ。




