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東京都大田区蒲田の雑居ビルの薄暗い一室に、橋本アキラは居た。
依頼主の女性は、今年で27歳になる。16歳も年が離れた魅力的な女性を目の前にしてもアキラは無心で鑑定書を見つめていた。クライアントは白いブラウスに黒のパンツ姿で現れた。本心はまだ明かされていない。鑑定書を見る限りでは心の奥深くに闇を抱えているようだった。アキラは直感した。このクライアントと深く関われば必ず事件が起きる、と。
クライアントの女性の名は、遠野祈織。職業は看護師。
彼女の母親はどんな時も『いのり』を大切にするようにと願い名付けたようだ。祈織はショートヘアの前髪をなおしグラスに注がれたジャスミンティーを飲んだ。意を決して口を開く。
「橋本先生。どうですかね?果たして本当に私の運命の人はいるのでしょうか?」
考えごとをしていたアキラは不意を突かれた。
「どんな人にでも必ず、運命の人はいます」
顔をあげて反射的に答える。
祈織はほっとした様子で額の汗を拭った。アキラは話を続けた。
「祈織さんはそろそろ結婚適齢期ですけれども、残念ながら身近な男性には縁がありません」
「ということは、まだ出会っていない人ってことですか?」
祈織はきょとんとしてそういった。
「はい。その通りです」
「いつ頃、出会えますか?」
祈織はまるで言葉を覚えたばかりの幼児が親に質問攻めをするように、なんでも早く知りたい好奇心旺盛な態度をみせている。アキラからしたら一まわり以上年の離れた妹のようにも感じられていて親近感を覚えた。
「もうすぐ。といいたいところですが、残念ながら祈織さんは晩婚の相が出ています。それに……」
「それに?先生、言葉濁さず教えて下さい!」
アキラは逡巡した後、意を決して全てを話すことにした。この子だったら運命を受け入れて運命を変えていけるかもしれない。
「祈織さんの周囲には、困った人たちが集まる傾向にあります。それがトラブルの元でして、最悪はけが人や死者がでるかもしれません。しかし、祈織さんは、宗教家としての一面もあると言っておられましたね。その持ち前の精神力。そして名前の通り神に祈りを捧げて生きる姿勢に多くの人々が勇気を分け与えて貰っていることと思います。祈織さんの運勢は平穏無事ではないのかもしれません。ただ、ひとつだけ言わせて頂くとするならば【変えられない運命と変えられる運命】二通りの運命がある中で祈織さんは翻弄されることになるかもしれませんが、すべては大器晩成なゆえ起きることです。将来は必ず成功者や有名人など一定以上の地位や財産を持った方と結ばれる。いわゆる玉の輿運を持っています。ですので、これが答えになっているかは解りませんが、先ほど申し上げた通り、マジカルカラーの白を取り入れたり、マジカルナンバーの5を意識して日常生活を過ごされてみて下さい。必ず、運気があがりますから」
アキラは赤裸々に話す。相手を励ましているつもちが、逆に勇気を貰ったような感覚になった。
きっとこの子だったら大丈夫。それは長年の経験によるものではあるが、運命を信じたいという不確かでささやかな祈りでもある。
「けっこう波乱万丈なのですね、私。でも、かなり当たっています」
「祈織さんは【可憐な草花】という性質も持っています。たとえ踏まれても踏まれても、何度だって起き上がって這い上がれる強さを持っています。それと、旧家や名家といった恵まれた家庭環境で育っていることと思いますから、優しくすれば万事に吉です」
「先生、今日はありがとうございます。鑑定料はおいくらですか?」
祈織はカバンから財布を取り出そうとした。
「いえいえ、鑑定料はけっこうです。涼子さんのご紹介ですから頂くわけにはいきません」
アキラは必死に訴えた。「じゃあ」と言って祈織はカバンから名刺を取り出した。
「先生、これ受け取って下さい。私の連絡先が書いてあります。先生が何かお困りでしたら、いつでもご融資いたしますから」
アキラは面食らった。まさか、依頼主の方が金持ちであるとは。
「ありがとうございます。さすが涼子さんのご友人ですね。では僕の名刺も受け取っておいてください。何かありましたらまたご相談に乗りますから」
祈織は深々と頭を下げ名刺を受け取った。サマーカーディガンを羽織り「では、また」とお礼を告げ、鑑定室を出ていった。
アキラは鑑定書をファイルにしまいタバコを買いに外に出た。
ふと夜空を見上げる。月光があやしくアスファルトを照らしていた。そろそろ満月も近い。あたりは静寂に包まれている。凛として涼やかな風が吹きぬいていった。この先に待ち受けるであろう、運命の悪戯が脳内をよぎった。
「まさかね」
アキラはタバコを吹かしながら呟いた。




