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8月31日、午後11時過ぎ、横浜ローズホテル内ブラスリーミリーラフォーレにて、アキラは元恋人の星崎詩音とバーカウンターにいた。詩音は星崎財閥の一人娘であり、資産の配当金だけで億を稼いでいる。9月13日に29歳になる。ライフワークとしてジャズボーカリストとしての一面を持つ。マジカルカラーは藍色で、とても美意識が高くお洒落である。また、深層心理に星を持つため、目立ちたがり屋でもある。
アキラは祈織が眠りについた後、涼子の部屋へ行こうとした。その時、ホテルのロビーで詩音と鉢合わせしたのだ。アキラは一瞬凍り付いた。詩音は笑っていた。彼女は本気で人を怒るとき一瞬だけ笑う癖がある。アキラは長年の経験で察知していた。詩音の不満と怒りは頂点に達している。7年目の浮気に対してはもう嫌というほど謝ってきた。だが、他に好きな女ができたというのでは話が違う。詩音は涼子と同じK大卒のエリートであるし、同じジャズ畑でお仕事しているという点までそっくりである。似たもの同士ゆえ、涼子にだけは負けたくないというプライドと意識が詩音の逆鱗に触れていることは、鈍感なアキラでも気づいていた。
二人、無言のまま悪戯に時間だけが経過していく。カウンター越しのバーテンダーは、さもこれが修羅場であることに気づいていて、その場から動けないでいる。店内にガトー・バルビエリのラスト・タンゴ・イン・パリが流れたその時、アキラが静寂を切り裂いた。
「実は気になっている人がいるんだ」
シャンディガフのグラスを傾けてアキラが言う。
「知ってるよ。私も気になってる人いるもん」
金髪のくるりとした髪をいじりながら詩音は言う。
「なんだ。お互い様だね」
「でも、涼子さんだけは許さない」
「違うよ。涼子さんじゃない………」
「嘘つき」
詩音は首を左右に振る。アキラを睨みつけるその瞳はエクスタシーの絶頂へと上っていくときのそれと似ていた。曲はトゥーフォーザロードへと変わっていた。この曲の邦題は『いつも二人で』。アキラにとって詩音との過去がよぎる曲だった。
「運命ってこんなに簡単に終わっていいのかな?ねぇ占い師さん」
「解らない」
「占術は科学じゃなかったの?」
「科学でも解らないことはあるさ。例えば自分自身のこと」
「アキラ、ちょっと疲れてるのね」
「そうかもしれないな」
アキラのポケットにあるスマホからピコンッという通知音がした。Xからのお知らせだ。重要なアカウントだけは通知を鳴らすことにしている。何か事件でもあったか。
「詩音ちゃん。ちょっと失礼するよ」
「どうぞ」
アキラはジーパンのバックポケットからスマホを取り出す。Xのアイコンには赤い文字で【1】と表記されている。クリックして詳細を確認する。
【蒲田駅東口で火災発生】
火事のニュースが入ってきました。東京都大田区蒲田でおよそ一時間前(2023年8月31日)の午後9時ごろ、「ビルから爆発音と煙」と消防に通報がありました。この火災によるけが人はまだ解っていません。今も懸命の消火活動が行われています。
アキラは今日が満月であることを知っていた。何か事件が起きてもおかしくはないと
予測していたが、まさか地元で起きるとは予想もしていなかった。Xにはすでに蒲田の火事についてたくさんのポストがされている。祈織の身の上に悪魔が降りかかろうとしているのか。祈織の身の安全を考えるならば、情けないが、詩音の財力を借りなければならない。アキラは決断ができないでしり込みしていた。
「アキラどうしたの?頭抱えて」
詩音は母親のような口調で言った。その優しさは詩音が年下であるということを忘れさせた。まるで大きな海に包まれているような安心感を覚えた。
「実は蒲田駅近くで火災が起きているんだ」
「………そうなんだ。でも、こんなの慰めにもならないかもしれないけど、アキラが巻き込まれなくて良かった」
詩音は精一杯明るく振舞おうとしていた。
「いや、僕が巻き込まれる分にはまだいい。だけど、涼子さんの紹介で出逢った祈織ちゃんという子が大変なんだ」
「いのりちゃん?」
「そう。祈りに織ると書いていのりちゃん」
「待ってアキラ。状況が良く掴めないんだけど………」
「長くなるけど最後まで聞いてくれるかい?」
アキラは申し訳なくて視線を落とした。
「アキラが望むならば朝までだっていいわよ」
詩音の腹は固まっていた。




