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8月31日、PM6時過ぎ、ライトは蒲田本町にあるボロアパートの2階の部屋で激しく後悔の念に駆られていた。今日は信平を呼び出している。6畳一間の部屋には風呂はおろかトイレすら付いていない。ちょっとだけ大きな収納棚には無造作に衣服を置いていて、下の段には音楽CDと漫画がある。後はギターと布団だけしかない。喉が渇いたら自動販売機かコンビニへいく。腹が減ったらラーメン屋か定食屋へいく。そんな野性の本能を目覚めさせてくれる部屋なのだ。幸いなことに、ロックボーカリストがはじめて住む部屋としては最高の場所だ。
ライトは信平との約束の時間に合わせて缶コーヒーを買いに行くことにした。この近所は平地で一軒家が多く、夜はとても静かだが、まれに蒲田駅から酔っ払いが流れてきて騒ぎを起こすこともある。少し歩けば一通りの物は揃うので蒲田から出る機会も少ない。しかし、本来ならば蒲田に住むメリットはその交通の便の良さなのだ。
狭いバス通りを歩くと交差点の信号の傍にセブンイレブンがある。ここのセブンの店長はライトの中学校の先輩である。ライトにバイクの乗り方やタバコを教えたのもコンビニの店長だ。
ライトがコンビニへ入ると店内は恐ろしいまでにガラガラだった。入店時に独特のチャイムが乗り響くと、奥の事務所から店長が出てくる。
「おぉライト、仕事さぼりか?」
店長の塩谷雄二がレジ越しに言う。休憩中にタバコでも吸ったのだろう。少し臭う。
「さぼりじゃないっすよ、雄二さん。蒲田で朝まで飲んでたら、変な奴に絡まれて。いきなり蹴り食らって。気づいたら病院運ばれてました……」
ライトは拗ねて言う。
「へぇ~。今時の蒲田にそんな骨のある奴がいたなんてな」
雄二は豪快に笑う。
「笑いごとじゃないっすよ。うちの社長の友達なんですよ、そいつ」
「竹田工務店の?」
「そうっす」
「お前知らなかったの?竹田ん家って3世代前まではヤクザだよ?」
「え?そうなんですか?」
「足洗ったとはいえ、元ヤクザの家系の男は只者じゃねぇべ。夢潰すわけじゃないけど、ダブテックの元宮だってそうだよ」
「なんかおじいちゃんがヤクザだったとか」
「まぁ、元宮の場合、音楽で成功してるからいいけど、ヤクザか大統領のどちらに転んでもおかしくない奴だったよ」
「ヤクザか大統領。やっぱり、てっぺん取るにはそれくらいの強いDNAがないとダメっすかね?」
「当たり前だろ。昭和の時代までは世襲制だぞ?職業選択の自由なんかなかったんだからなぁ。まぁ、例えば親が大工としての才能あるならば、子供だってそれを引き継いで生まれるのさ」
「スポーツ選手の親同士が結婚してもっと強いスポーツ選手を作るみたいな話ですか?」
「よく解ってきたじゃん。一般のサラリーマンの家系から、いきなり大スターは生まれぇってこと。そういうのは、何世代も種を配合させてようやく誕生するんだよ」
「競馬みたいなはなしっすね」
「競馬を馬鹿にすんなよ。もとを正せば人間だって、たった数パターンの組み合わせから生まれたんだからな。人類、皆、兄弟だよ」
「まぁ、そうっすね」
「んで、お前に蹴りくらわした奴って地元なの?」
「みたいっすね。俺は全然知らなかったけど、現場やった時に蒲田に住んでるっていってました」
「まさか、あいつじゃねぇかな」
「アイツ?」
「アキラ………確か、橋本アキラ」
「え?知ってるんすか?」
「そか、やっぱりアイツか。この辺りじゃ有名だよ」
「そんなに悪いヤツなんですか?」
「いや、悪いってよりも、なんか占いとか小説書いてたり。とにかく陰キャな奴なんだよ。でも、蒲田の女どもには格好の話のネタみたいになっててさ」
「女ってワイドショーとか好きっすもんね」
「そうそう。んで、アキラとかいう奴、俺はあまり好きじゃねぇけど、アイツには手ぇ出さない方がいいぞ」
「手ぇ出すもなにも、社長の友達っすから。こっちが怖いくらいっすよ」
「あいつ、卑怯だから女に守ってもらってやがる。アイツ最近までこの辺りに住んでたけど、昼間から女の喘ぎ声が聞こえてくるしよ。アパートだよ?ラブホ行けってんだよな」
「女的に回すと怖いっすもんね」
「すぐに噂が広まって誰も相手にしてくれなくなるぞ」
「こえぇ。こえぇ」
そう言ってライトは冷たい缶コーヒーを手に取りレジに置いた。
「タバコは?」
気づいたように雄二が言う。
「あ、いつもので」
こちらから言う前に雄二はセッターに手を伸ばそうとしていた。ライトは現金で会計を済ませると、雄二に小銭を差し出して「情報料っす。コーヒーでも飲んでください」と言って店を出た。




