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どこからかさざ波の音がする。揺れては返すその波動に身をゆだねる様に、恋人たちは真夜中の山下公園で逢引を楽しむ。暗がりの芝生で、または公園内のベンチで愛を語らう。着の身着のまま出てきた二人に行先などない。

 アキラはそっとサマーカーディガンを祈織にかけてあげた。

「ありがとうございます」

「いえ、冷えは美容の大敵ですから」

「観覧車、奇麗ですね」

 桜木町方面に見える観覧車を指さして祈織が言う。時計の針は20時をまわったばかりだ。インターコンチネンタルホテルや横浜ロイヤルパークホテルの客室の灯りがまるでキャンドルのようにゆらゆらと煌めいている。8月29日、満月タイム。

 宝石箱をひっくり返したような水面の輝き。潮風が吹くと恋人たちは肌と肌を寄せ合う。16歳差もあるアキラと祈織の二人ですら周囲からは恋人同士と見られていることだろう。秋風の吹く頃、ふたりの運命はどこで終着駅を迎えるのだろうか。

「アキラさん。私たち恋人同士みたいですよね」

「そうかな?16歳も年が離れているし、兄妹って感じじゃないかな」

 悪びれもなくアキラが言う。

「そんなことないですよ。絶対恋人同士に見られてます!」

 プンプンと頬を紅潮させ祈織は言う。アキラは知らぬふりをしながら

「そういえば、今日はローズホテルでジャズライブがあるみたいですよ」

思い出したかのように言った。

「ジャズいいですね!ぜひ、聴きに行きましょうよ」

「朝、食事したレストランで演奏するらしいので行ってみましょうね」


 ローズホテル内ブラスリーミリーラフォーレの特設ステージにて、ジャズのライブはすでに始まっていた。このレストランはアキラの思い出の地である。はじめてお付き合いした彼女と出会った場所だからだ。アキラはホール、彼女は調理場で働く職場恋愛だった。

「アキラさん。あれ涼子さんじゃないですかね?」

「え?本当だ」

 藤原涼子は黒ベースで花柄のチャイナドレスに身を纏い、銀色のピンヒールを履いている。遠目からでもかなりの巨乳であることが解る。むしろ見てくれと言わんばかりに胸元は空いている。ピアノから放たれる旋律はどこかで聞いたことがある懐かしい曲だった。

「SAKURA……」

「アキラさんこの曲知ってるんですか?」

「えぇ、去年はじめて涼子さんのライブに行った時、ラストに弾いていた曲です。どうやら、大切な友人のために作ったと言ってましたが、たぶん……」

 そこまでいうとアキラは去年の出来事を思い出した。アキラの幼馴染で親友の元宮が失踪した。そんな噂がネットで飛び交う中、彼のお母さまから失踪したのは事実だと知らされた。そして、元宮を探す旅に出る途中で涼子に出会った。

「涼子さんって本当に華がありますよね」

 祈織の声でアキラは現実に引き戻される。

「えぇ。ホントですね」

 涼子の演奏は鍵盤を縦横無尽に遊び尽くす。セブンスコードから転調して、サビへと差しかかっていく。天高く舞うそのSAKURAは、光となり祈りとなっていく。大気圏を突き破り、億光年先の星々へ語りかけるが如く舞い踊る。

 涼子が立て巻きにした長い髪の毛を振り乱して観客を誘惑する。その刹那、アキラと涼子の視線が合う。涼子は一瞬だけニヤけて再びアキラをみた。その眼差しはとても気高く優美なまでに風雅である。どこまでも無限に続いていく魂のリフレイン。このブルーライトの中で躍動していく。

 アキラはこの曲が、今は亡き親友のために作られたであろうことを知っていた。元宮の彼女だった片瀬恭子。彼女は癌のため38歳で亡くなっている。あまりにも短すぎる生涯だった。恭子と涼子は同じ年の幼馴染であった。祈織とライトと同様にして、宿曜占星術でみると安壊という最悪の相性だった。涼子は元宮に想いを寄せているのかもしれないと思っていた。だが、元宮は恭子を生涯のパートナーと言っている。アキラは涼子に惹かれつつある。この三角関係に割って入ってくるのが、詩音と祈織だ。

この曲を聴いていると、ダンスでも踊りたい気分になってくる。SAKURの演奏は観客の心を鷲掴みにした。涼子の演奏は続ていく。

「祈織ちゃん、ごめん。ちょっと席を外すよ」

 そう言ってアキラはホテルのロビーを抜けて、2階へと続く階段を上っていった。ローズホテル内の2階には喫煙所がある。たまに調理服を着た従業員の姿を見かけるが、ここが従業員用の喫煙所とは考えにくい。まぁ中華街だし、ちょっとしたことは無礼講といった感じだ。宴会や婚礼などのお客さんがちらほら見受けられる。

タバコに火をつけて一息つくと、ぼーっとしながら過去の記憶に想いを馳せる時間だ。アキラはゆっくりと瞳を閉じる。

最愛の彼女だった詩音との別れ。

いつからだろう、こんなにも愛していたのに、二人の距離は離れていく一方。ハワイで過ごしたラグジュアリーなひと時、二人がはじめて身体を重ねた沖縄での特別な時間。その全てが、今はむかし、まるでおとぎ話のような古の物語にも感じる。追いかけられれば追いかけられるほどに、この心は新たな出会いを求めて彷徨う。今はただ切なくて、言葉にならなくて。

アキラがタバコを吸っている間に、涼子のライブは終わりを告げようとしていた。アキラが喫煙所を出ると、タバコを吸うお客さんで順番待ちができていた。たぶん一階から流れてきたのだろう。ゆっくりと階段を下りていく。ブルーライトに照らされていたステージは、オレンジ色へと変わり、さっきまではみえなかった人の姿が見て取れるようになっていた。

涼子と祈織がピアノの傍で立ち話しをしている。アキラは迷ったが、涼子へ挨拶しにいくことにした。

「涼子さん。お久しぶりです」

 アキラが言う。すると涼子はケラケラ笑いながら

「アキラ、水くさいわ。この前ベッドを共にしたばかりの仲じゃない」

 といって祈織をけん制した。祈織は戸惑いを隠せなかった。

「そうでしたね。それよりも、今日のSAKURA最高でした」

「もう一周忌ですしね」

「やはり恭子さんに向けて書いた曲なのですね」

 アキラがそこまでいうと、祈織が口を開いた。

「あのぉ。積もる話もあると思いますので、私、先に部屋に帰ってます」

 その発言を受けて涼子の顔色が曇った。

「部屋?祈織ちゃんアキラと同じ部屋に泊まってるの?」

「………はい。でも、違うんです。蒲田で事件に巻き込まれちゃって、それで無理言ってボディガードをお願いしてるんです。やましいことは何一つありません」

 そう言って祈織はそそくさと逃げる様にその場を立ち去った。涼子はその後ろ姿を見送ってからアキラに尋ねる。

「アキラ、また事件に巻き込まれているの?」 

「いや、たいしたことではないよ。そんなことよりも、恭子さんのこと、今でも?」

「恭子は私たちの心の中で生きているわ。来世があるとしたら、今度もまた親友として生まれてきたい。ねぇ、人は死んだらどこにいくのかしら?」

「生まれ変わるまで、天国にいるんじゃないですかね」

「そうね。アキラ、立ち話もなんだからバーにでもいきましょ。それに、早く移動しないと詩音が来てるわよ」

「詩音が?」

「えぇ、今日は遅くなったからこのホテルに泊まると言っていたわ。アキラがいるならば私もそうしようかしら」

 アキラは青ざめた。涼子を追うと言うことは詩音や祈織もセットなのだ。これで何回目の多重恋愛になるだろうか。恋多き人生とは多難であることをアキラは知っている。

「では、僕たちの部屋に泊まったらどうですか?ベッドも3台ありますし」

「アキラってホント鈍感よね」

「え?何か失礼なこと言いました?」

「なんでもない。今日はこのホテル泊まるから部屋に遊びに来て。祈織ちゃんのお世話も大変だろうけれど、大人の時間も必要よ」

 涼子はアキラの耳元で「後で部屋番号をLINEする」と囁くように言った。この甘い誘惑になすすべもなく、今日まで涼子の罠に堕ちてきた。セックスからはじまる恋愛がこれほどまでに長引くとはアキラも思ってはなかった。


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