第5話 偵察という名の遠足
翌朝。
アルベルトは朝早くから準備をしていた。
ノート。
筆記具。
保存食。
水筒。
予備のノート。
予備の筆記具。
さらに予備の予備の筆記具。
「待ってください」
リリスが言った。
「何だ」
「武器は?」
アルベルトは考えた。
そして腰に下げた短剣を見せる。
「ある」
「一本だけ!?」
「十分だろう」
「全然十分じゃありません!」
リリスは頭を抱えた。
敵地へ向かうのだ。
遠足ではない。
しかしアルベルトは完全に遠足気分だった。
むしろ研究旅行と言った方が近い。
「そもそも偵察って普通どうやるんです?」
洞窟を出ながらリリスが聞く。
アルベルトは歩きながら答えた。
「使い魔を送る」
「なるほど」
「飛行系魔物を使うこともある」
「なるほど」
「盗賊系統を雇う場合もある」
「なるほど」
「うちは無い」
「知ってました!」
忘れられた洞窟の財政事情は悲惨だった。
ポイント十一。
魔物六体。
施設なし。
偵察専門魔物などいるはずもない。
だから自分で行く。
非常にシンプルな結論だった。
⸻
半日ほど歩く。
途中で森へ入った。
人の手が入っていない原生林だ。
アルベルトは頻繁に足を止めていた。
「何してるんです?」
「見ろ」
しゃがみ込んだアルベルトが地面を指差す。
リリスも覗き込む。
しかし何も分からない。
ただの土だ。
「何がです?」
「足跡だ」
「どこに?」
「ここ」
アルベルトが示した場所には、かすかなくぼみがあった。
言われれば足跡に見えなくもない。
「ゴブリンですね」
「え?」
「昨日の夜だ」
「え?」
「三体」
「え?」
リリスは固まった。
意味が分からない。
なぜそこまで分かるのか。
アルベルトは普通に説明する。
「歩幅」
「はい」
「深さ」
「はい」
「爪の形」
「はい」
「あと臭い」
「臭いで分かるんですか!?」
「ゴブリンは独特だからな」
リリスは思った。
この人おかしい。
⸻
さらに進む。
今度は木の根元で立ち止まった。
「コボルトか」
「また分かったんですか?」
「毛が落ちている」
「本当だ……」
茶色い毛が一本。
確かにある。
だが普通の人間なら気付かないだろう。
アルベルトはノートへ記録を書き込んでいく。
真剣な顔だ。
研究者の顔だった。
「何でそんなに詳しいんです?」
リリスが聞いた。
アルベルトは少し考えた。
「好きだからだな」
「好き?」
「魔物が」
即答だった。
「学園でもずっと調べていた」
「それだけで?」
「それだけだ」
リリスは黙った。
普通なら信じない。
だが。
昨日から見ていて分かる。
この男は本当に魔物が好きなのだ。
出世より。
金より。
順位より。
魔物。
それがアルベルトだった。
⸻
さらに一時間後。
目的地が見えてきた。
岩山の中腹。
洞窟の入口。
忘れられた洞窟と似た構造だ。
「ここか」
アルベルトが呟く。
⸻
《灰色の穴蔵》
ランキング997位
⸻
対戦相手。
三日後に戦うダンジョン。
リリスはごくりと唾を飲み込んだ。
「どうします?」
「観察だな」
「近付きすぎると危険ですよ?」
「もちろんだ」
アルベルトは頷く。
そして。
普通に入口へ近付いていった。
「全然もちろんじゃない!」
慌てて後を追う。
岩陰へ身を隠す。
入口を観察する。
しばらくして。
一匹の魔物が現れた。
「ゴブリンですね」
リリスにも分かった。
しかし。
アルベルトは首を横に振った。
「違う」
「え?」
「ゴブリンではない」
リリスは目を凝らした。
どう見てもゴブリンだ。
緑色。
小柄。
棍棒持ち。
完璧なゴブリン。
だが。
アルベルトは断言する。
「ゴブリン亜種だ」
「分かるんですか?」
「耳の形が違う」
リリスは目を細めた。
分からない。
全く分からない。
「恐らく坑道型ダンジョンで進化した個体だ」
アルベルトは楽しそうだった。
完全に研究モードである。
「つまり?」
「通常種より力が強い」
リリスの顔色が変わった。
それは聞きたくなかった。
⸻
その時。
さらに数匹の魔物が姿を現した。
アルベルトの目が細くなる。
「なるほど」
「何か分かったんですか?」
「大体な」
「本当ですか?」
「うちより強い」
「知ってました!」
リリスが叫ぶ。
だがアルベルトは冷静だった。
むしろ少し笑っている。
「面白い」
「どこがです?」
「勝ち筋が見えた」
リリスが固まった。
今。
確かに聞こえた。
勝ち筋。
この人。
まさか。
本気で勝つつもりなのだろうか。
アルベルトはノートを閉じる。
そして静かに呟いた。
「ゴブリンとスライムか」
「え?」
「試す価値はあるな」
リリスは嫌な予感しかしなかった。
研究者が何かを思いついた時。
ろくなことにならない。
それを彼女は生まれて三日で学習していた。
そしてその夜。
忘れられた洞窟で行われた二度目の配合が、ランキング戦の流れを大きく変えることになる。




