第220話 救い出す理由
王喰領域の崩壊は始まっていた。
だが、それは勝利を意味していなかった。
黒い核には無数の亀裂が走り、空間そのものが軋み続けている。それでも中心部に存在する圧力だけは少しも弱まらない。まるで世界そのものが「まだ終わっていない」と主張しているようだった。
アルベルトは夜狼王とリリスを見る。
二人は王喰の中心に固定されていた。
拘束されているわけではない。
閉じ込められているわけでもない。
もっと厄介だった。
王喰という存在を成立させるための部品として組み込まれている。
だからこそ王喰は完成していた。
夜狼王が持つ王候補としての資質。
リリスが持つ記録妖精としての管理能力。
その二つを核にして、王喰は自分自身を維持している。
フェルナー・アルトの言葉が頭をよぎる。
完成したから失敗した。
あの時は意味が分からなかった。
だが今なら理解できる。
王喰は強過ぎた。
あまりにも完成され過ぎていた。
だから変化しない。
だから成長しない。
だから仲間を必要としない。
王になるために必要なものを全て持ちながら、一番大切なものだけを持っていない。
その矛盾が、この怪物の本質だった。
王喰がゆっくりと脈動する。
それだけで周囲の景色が変わる。
崩れた研究施設が元へ戻る。
砕けた壁が再生する。
消えたはずの敵が再び現れる。
現実ではない。
記録だ。
王喰は自分に都合の良い過去を何度でも再生できる。
だから普通の戦いでは勝てない。
倒しても戻る。
壊しても再生する。
まるで世界そのものが相手をしているようだった。
ヴァルグランが苛立ったように拳を握る。
「だから嫌なんだよ、こういう敵は」
彼は再生した鉄槍将軍を粉砕した。
だが次の瞬間には別の場所で同じ個体が立ち上がる。
力では解決できない。
それが余計に腹立たしかった。
アダプト皇王も状況を分析し続けている。
環境支配を使い、王喰の構造へ干渉する。
だが完全には届かない。
王喰の完成度が高過ぎる。
ならば壊すべき場所は一つしかない。
中心だ。
夜狼王とリリスを取り戻す。
それが結果として王喰の崩壊に繋がる。
アルベルトは黒い結晶を握る。
フェルナーが残した最終権限鍵。
王喰が唯一恐れるもの。
なぜ恐れるのか。
理由は単純だった。
この結晶だけが王喰の外側に存在する。
王喰の記録に登録されていない。
だから干渉できない。
だから壊せない。
完成した構造にとって、理解できないものは最大の脅威だった。
その時だった。
夜狼王が顔を上げる。
苦しそうだった。
身体の半分以上が黒い光に覆われている。
それでも目だけはまだ消えていない。
「アルベルト」
声が届く。
かすれている。
今にも消えそうだった。
「時間がない」
アルベルトは頷く。
そんなことは分かっている。
だが夜狼王は首を振った。
「違う」
その言葉に全員が反応する。
夜狼王は王喰を見る。
そして静かに続けた。
「俺達を助けるな」
空気が凍る。
リリスも顔を上げた。
その目には涙が浮かんでいる。
「夜狼王!」
ミレイが叫ぶ。
だが夜狼王は笑った。
どこか吹っ切れたような顔だった。
「王喰を壊せ」
「それで終わるなら、それでいい」
その言葉は本心だった。
王喰が残れば世界が危険になる。
自分達二人より、そちらの方が重要だと理解している。
だからそう言った。
だが。
アルベルトは即答した。
「却下だ」
夜狼王が止まる。
アルベルトは迷わない。
「王喰も壊す」
「お前達も助ける」
「両方だ」
ヴァルグランが笑う。
アダプト皇王も小さく頷く。
影王は何も言わない。
だが立ち位置が変わる。
夜狼王へ近付く位置へ。
それだけで答えは十分だった。
誰も見捨てる気はない。
忘れられた洞窟はそういうダンジョンだった。
王喰が怒る。
空間が震える。
理解できないからだ。
完成しているなら選択肢は一つになる。
合理的な答えも一つになる。
なのに。
目の前の連中は違う。
無駄な選択をする。
危険な選択をする。
仲間を優先する。
理解できない。
だから怒る。
黒い波動が広がった。
ヴァルグランが吹き飛ぶ。
影王も弾かれる。
ミレイが倒れる。
アダプト皇王ですら後退した。
強い。
圧倒的だった。
これがフェルナー・アルトの最高傑作。
三十年前に生み出された怪物。
完成した王。
だが。
その時だった。
宝冠宰相が前へ出る。
誰も予想していなかった。
本人もたぶん分かっていない。
それでも歩く。
王喰へ向かって。
黒い結晶を抱えたまま。
王喰が止まる。
宝冠宰相も止まる。
そして。
黒い結晶を王喰へ向けて差し出した。
「キュウ!」
その瞬間だった。
王喰が初めて悲鳴を上げる。
世界が止まる。
空間が止まる。
再生も止まる。
王喰を構成していた記録が一瞬だけ固定された。
終号が反応する。
最終権限鍵発動。
強制停止命令。
王喰構造一時凍結。
アルベルトは叫んだ。
「今だ!」
全員が動く。
アダプト皇王が夜狼王へ走る。
影王が黒い鎖を切断する。
ミレイはリリスへ飛び付く。
王喰が抵抗する。
だが遅い。
完成した構造は変化に弱い。
想定外に弱い。
それがフェルナーの残した欠陥だった。
夜狼王の身体が引き剥がされる。
リリスも離れる。
王喰の核が揺らぐ。
統合率九十七%。
九十五%。
九十二%。
急激に下がる。
王喰が絶叫する。
世界が崩れる。
夜狼王が解放される。
リリスもミレイの腕の中へ落ちる。
二人は助かった。
確かに助かった。
だが。
王喰は消えない。
黒い核だけが残る。
小さくなりながらも。
確かに。
終号が静かに表示した。
王喰本体。
未消滅。
その文字を見ながらアルベルトは息を吐く。
夜狼王とリリスは取り戻した。
だが。
本当の決着はまだ終わっていない。
目の前に残る黒い核こそが。
三十年前から続く全ての元凶だった。




