第10話 進化の条件
ランキング戦まで残り一日。
忘れられた洞窟では、朝から緊急会議が開かれていた。
もっとも、緊急とは言っても参加者は少ない。
アルベルト、リリス、アダプトゴブリン、そしてスライム二体。
それが忘れられた洞窟の全戦力だった。
天然の岩を削っただけの小さな空間には、どこか物悲しい空気が漂っている。最下位付近のダンジョンらしいと言えばらしいが、ダンジョンマスター会議と呼ぶには少々寂しすぎた。
アダプトゴブリンは妙に真面目な顔で岩椅子に腰掛けている。
スライム二体は机代わりの岩の上でぷるぷると震えていた。
会議の内容など理解していないだろうが、一応参加者扱いらしい。
そんな面々を見回したアルベルトが口を開く。
「会議を始める」
その瞬間、リリスが額を押さえた。
「少なっ!」
「何がだ」
「会議ですよ!? 普通もっと人が集まりません!?」
「全員いる」
アルベルトは真顔だった。
リリスは思わず天井を見上げる。
「それが問題なんです!」
言われてみれば確かに全員揃っている。
だからこそ問題だった。
ダンジョンの未来を決める会議なのに、参加者の半分近くがスライムなのだから。
スライムAがぷるっと震えた。
スライムBもつられるようにぷるぷると揺れる。
「あと、この子たち絶対内容分かってませんよね?」
「分かっていないな」
「じゃあ何で参加してるんです?」
「仲間外れは良くない」
「急に優しい!」
リリスのツッコミが洞窟に響いた。
アダプトゴブリンはそんな二人を見ながら何度か頷いている。
こちらはなぜか会議に参加する気満々だった。
アルベルトは咳払いを一つすると、机代わりの岩の上へ地図を広げた。
そこには今回の対戦相手の情報がまとめられている。
《灰色の穴蔵》
ランキング九百九十七位。
採掘型ダンジョン。
規模は小。
分かっているのはそこまでだった。
「敵の情報を整理する」
アルベルトが言う。
リリスも表情を引き締めた。
ふざけた会議ではあるが、内容は真面目だ。
ランキング戦で負ければ順位が下がる。
DPも失う。
今の忘れられた洞窟にとって、それはかなり痛い。
「まず確認だが、敵の正確な戦力は分からない」
「ですよね」
「モンスターの数も不明」
「はい」
「種類も不明」
「はい」
「ダンジョン構造も不明」
「はい」
アルベルトは頷いた。
「つまり、ほとんど何も分からん」
「結局そこなんですね」
リリスは肩を落とした。
しかしアルベルトは悲観していなかった。
分からないなら推測する。
それが研究者のやり方だった。
地図の横には、偵察時のメモが並んでいる。
採掘跡。
荷車の車輪痕。
コボルトらしき毛。
巡回の足跡。
どれも小さな情報だ。
だが、積み重ねれば意味を持つ。
「採掘型ダンジョンの特徴は?」
アルベルトが問いかける。
リリスは少し考えた。
「資源採掘?」
「その通りだ」
「つまり作業用の魔物が多い?」
「恐らくな」
アルベルトは満足そうに頷いた。
採掘型は戦闘専門ではない。
掘る者。
運ぶ者。
守る者。
様々な役割が必要になる。
だから戦力がそのまま強さに直結するとは限らない。
「数は向こうが上でしょうね」
リリスが言う。
「その可能性は高い」
「じゃあ不利じゃないですか」
「不利だな」
即答だった。
リリスは頭を抱えた。
「終わりました」
「終わってない」
「終わりそうです」
「まだ始まってもいない」
アルベルトは淡々としていた。
その態度が逆に腹立たしい。
しかし焦っても仕方ないのも事実だった。
その時だった。
アダプトゴブリンが突然立ち上がった。
そして自分の胸を拳で叩く。
ドンッ。
力強い音が洞窟に響く。
頼もしい。
そう思わせる音だった。
「おお……」
思わずリリスが感心する。
生まれてまだ一日も経っていないのに、すでにこのダンジョンのエースになっている。
アダプトゴブリンは少し得意そうだった。
そんな様子を見ながら、アルベルトは静かに目を細める。
正確には、アダプトゴブリンの頭上を見ていた。
そこには相変わらず文字が浮かんでいる。
《進化可能》
昨日からずっと消えない表示。
学園の資料にも載っていない。
研究書にも存在しない。
未知の現象。
研究者としては気にならない方がおかしい。
「その顔です」
リリスが言った。
「何だ」
「また進化のこと考えてますね」
「考えているな」
否定しなかった。
リリスは深いため息をつく。
「やめましょう」
「まだ何もしていない」
「顔がしてます」
「どんな顔だ」
「危険な研究者の顔です」
アルベルトは少し考えた。
否定材料が見当たらなかった。
実際、かなり気になっている。
もし進化が可能なら。
アダプトゴブリンはさらに強くなるかもしれない。
ランキング戦の切り札になる可能性もある。
だが同時に危険でもあった。
失敗した場合の情報が何もない。
今の戦力でアダプトゴブリンを失えば勝負にならない。
研究者としての好奇心と、ダンジョンマスターとしての責任。
その二つが珍しく天秤にかかっていた。
アルベルトはノートを開く。
昨夜まとめた仮説が並んでいる。
進化条件候補。
戦闘経験。
魔力蓄積。
特殊環境。
追加配合。
どれも可能性はある。
だが確証はない。
「全部予想ですよね」
リリスが言った。
「研究とはそういうものだ」
「便利な言葉ですね」
呆れた声だった。
その時。
アダプトゴブリンが近くにいたスライムを持ち上げた。
ぷるぷると揺れるスライムを頭の上へ乗せる。
スライムも特に嫌がらない。
妙に仲が良かった。
その光景を見た瞬間、アルベルトの配合眼が反応する。
視界に文字が浮かぶ。
アダプトゴブリン。
スライム。
成功率六十一%。
アルベルトの動きが止まった。
「見ましたね」
リリスが即座に反応する。
「見たな」
「配合ですよね?」
「配合だな」
「ダメです」
間髪入れない拒否だった。
アルベルトも今回は反論しない。
確かに六割は高い。
普通の配合士なら挑戦する数字だ。
しかし今は違う。
ランキング戦が目前に迫っている。
「やらない」
アルベルトが言った。
リリスが目を丸くする。
「本当に?」
「今はな」
その言葉に嘘は無かった。
進化も気になる。
配合も気になる。
だが今は勝つことが先だ。
負ければDPを失う。
研究設備も遠のく。
新たな魔物も増やせない。
最下位ダンジョンが這い上がる機会を失う。
アルベルトは静かにアダプトゴブリンを見た。
頭上にはまだ《進化可能》の文字が浮かんでいる。
「待ってろ」
小さく呟く。
ランキング戦が終わったら調べる。
必ず。
進化とは何なのか。
その先に何があるのか。
研究者の好奇心は消えていなかった。
ただ今は。
ダンジョンマスターとして勝利を優先しただけだった。




