本音と弱音
「またのご利用をお待ちしてまーす!」
そう言って元気に店員は去っていった。
後に残されたのは満足そうに笑うマノン達と、ボーっとしているマエリスだ。
「我が領のことながら、あのような菓子があったことを知りませんでしたわ。貴族として恥ずかしい……」
「そ、そこまで落ち込まなくてもいいんじゃないかな?」
「そうはいきませんわ。領地の特産が一つ増えるというのは重要なことですのよ。マエリスさんなら分かりますでしょう?」
「──あ、ごめん、呼んだ?」
名前を呼ばれてマエリスが振り返るが、未だフワフワとした心地が残っていた。
「お姉ちゃん大丈夫?」
「意外ですわね。そんなに気に行ったんですの?」
「あー、まあ、美味しかったのは、間違いないんだけど……逆に皆よく普通でいられるね」
「? 大変美味であったことは間違いありませんが、マエリスさんが大袈裟すぎるのでは?」
(もしかして、食べたお菓子が違うのかな?)
フィエットとマエリスが首を傾げる。これで一つでも菓子が残っていれば比べることもできたが、全ては皆の腹の中である。
「……まあいいか」
確認できないことを気にしても仕方ない。唯一の懸念は依存症の有無だが、それも今分かることではない。
「この後はどうしますの?」
「時間も遅いからね。街に繰り出すのも明日にしようか。あ、そうだ、騎士の詰め所に手紙を出しておこう」
「手紙ですの? 宛先はどちら様ですの?」
「近衛騎士のロミオ・モンタージュ。ボクが井戸を疑ったのも彼の情報提供のお陰なんだ」
「お姉さん、あの騎士を頼るつもりなの?」
そこでユリが嫌そうな顔をして尋ねる。
「私は反対よ。近衛騎士なんて誰かの手柄を奪うことばかり考えてるもの。そもそも今回の目的は調査で、解決までは求められていないじゃない。あとはリフィさんを探して、それで終わりでいいでしょう?」
「一応、私は当事者なのでそう言われても困りますわ?」
フィエットの悲しみは、溢れる嫌悪感を隠そうともしないユリに無視された。
マエリスは冷静に反論する。
「やれることがまだあるならやるべきでしょ? 調査するなら人手は多い方が効率いいし、協力を仰ぐのは悪くないと思うけど」
「自分一人では何もできない身でよく言うわね」
「──マノン」
瞬間、場の空気が凍り付く。刹那、ユリの襟首を掴みかかっていたマノンをマエリスが呼び止めた。
マノンが握った手を放し、ユリから一歩離れる。顔を青ざめさせるユリ。一呼吸の間の後、マエリスは口を開いた。
「ご、ごめんなさい、私──」
「……今のは聞かなかったことにするよ。本心の一部でも、言うつもりのなかった本心だろうからね」
(嫌な症状だよ、全く)
マエリスは内心で舌打ちをする。
自分が足手まといなことは自覚していた。だから必死に考え、色々な言葉を探していた。
そこを突かれて苛立ったのは事実だが、それで逆上してしまえばマノンのこれまでも含めて水泡に帰してしまう。
「ユリ、疲れてるみたいだから今日は休みな。フィエット、物を持ってきてくれる? マノン、代筆お願い」
「わ、分かりましたわ」
フィエットはメイドに紙とペンと便箋を持ってくるよう命じる。
ユリは静かに一礼した後、応接室を出ていった。
扉がパタリと閉じる。マエリスの小さな溜息を、マノンだけが拾った。
「お姉ちゃん、お風呂に行かない?」
日が沈み、軽い夕飯を終えた後。
マノンとマエリスだけがいる二人部屋で、マノンがそう尋ねてきた。
「ブルー侯爵家には大きなお風呂があるんだよ。ユリもあんなこと漏らしちゃったし、多分皆疲れてるんだよね。どう、お姉ちゃん?」
「……ありがたいけど、お風呂は遠慮するよ」
マエリスは己の右腕を見る。毒々しく変色してしまった右半身。服を着ていれば隠せるそれも、風呂場では露にしてしまう。
マノンだけならともかく、他の皆におおっぴらに見せらるほどマエリスの気持ちは固まっていなかった。
「あとで体だけ拭いてくれるかな」
「むー……じゃあ時間ズラして、後で二人で入ろうよ」
「いくらブルー侯爵家でも、お風呂の燃料は無限じゃないでしょ? それにシルフに睨まれたくないし。ほら、我儘言ってないでさっぱりしてきなよ」
「むむむ~! いいもん、じゃあ私もお風呂要らないもん!」
「拗ねないでよ。ボクも運ばれるなら清潔なマノンの方がいいなぁ」
「お姉ちゃんのイジワル! いいもん、シルフたちと仲良く入ってくるもん」
そう口を尖らせて、マノンは一人部屋を出ていった。
その後ろ姿を見て、マエリスは考える。
(ユリだけじゃない。マノンにも影響が強まってきてる。昨日の今日で、こんなに早いなんて……)
そりゃあすぐに暴力沙汰になる。むしろ暴力沙汰になって、適度に発散しているから重大な犯罪が起きていないのではないかとまで考えてしまう。
(あのお菓子、やっぱり騒動に関係してる? ユリが不満を零したのもお菓子を食べてからだもんね……)
迂闊だったと一人反省していると、扉がノックされる。
一瞬、マノンが戻ってきたのかと思ったが、それならノックなどせず入って来るだろう。
「マエリスさん? マノンさん? お風呂の準備はできてますわよ?」
「ああフィエットか。マノンならちょうど今出たところだよ。入れ違いになったね」
マエリスがそう扉に向かって言うと、ガチャリと開いてフィエットの顔が覗いた。
「マエリスさんは行かないんですの?」
「ボクは遠慮しておくよ。あとで体を拭いてもらうつもり」
「もしかして、その痣を気にしてますの? 私もシルフさんもユリさんも、皆知っていますわよ?」
「ボクの気持ちの整理がついてないんだ。ありがとね。フィエットも行ってきな」
そうマエリスは促したが、フィエットは逆に部屋に入ってきた。扉を閉めたかと思えば、マエリスがいるベッドに腰掛ける。
「マエリスさんの気持ちは尊重しますけれど、お客様を一人にはさせられませんわ」
「いや、別にどこにも行かないけど」
「行きそうなんですのよ、マエリスさんは。気が付けばフラッとどこか遠くへ行ってしまいそうに思うのですわ」
「フィエット?」
まるで怒っているような、そして泣いているような複雑な声音。フィエットの顔は見えないが、肩が微かに震えていた。
「あの日、私達の目の前でマエリスさんが自分の首を切ったあの日から、今もずっとそう思ってますの」
「フィエット……」
「あなたが魔王に呪われ眠りについたと聞いた時は私、崩れ落ちましたわ。ディアナが亡くなって、あなたもきっと目覚めない。大事な友人を二人も失って、初めて大泣きしましたの」
「……」
「そして自分を恨みましたわ。自分に力があれば、もっと何かできたのではないかと。あなたが目覚めると信じたマノンさんの、マエリスさんの研究を継ぐ話を引き受けたのも、その一環でした」
「思惑がどうであれ、それはマノンにも大きな助けになったよ。ありがとね、マノンと研究してくれて──」
「マエリスさん」
感謝の言葉を断ち切るように、フィエットがマエリスを呼ぶ。振り返ったその目尻には雫が溜まり、口はヒクヒクと痙攣していた。
「私たちの研究から名前を消してほしいそうですわね?」
「え、あ、何で──」
「先のお茶会でマノンさんから聞きましたわ。ご自身の名を犠牲に、マノンさんの名声を高めるために」
「いつの間に!? あ、まさかあの時!?」
店員に餌付けされ意識が宇宙へ行っていたあの時だろう。マエリスは慌てる。
「いや、えと、その」
「否定してくださらないのですわね」
「それは、その……うん、ごめんね。ボクは今でも、それが正しいと思ってる」
「っ!」
「フィエットはどう思う? 君は結構、こういう『正しさ』を大事にしてるでしょ?」
マエリスがフィエットの瞳を覗き込む。フィエットは深呼吸を一回して心を落ち着かせてから返答をした。
「……思うところが、ないわけではありませんわ。実際最初にこの話が出た時は、マノンさんとリケさん、そしてリフィさんが賛成に回る中で、私一人は反対でしたもの」
「そうなんだ」
「ですがそれは、マエリスさんの力量を考えてのものでしたわ。きっとそれは、傲慢な施しになると思ったから」
「今はどうなの?」
「十年も続ければ、それは信念ですもの」
明確にフィエットは告げなかったが、それはフィエットの考えもマノンと同じであることを意味していた。
「マエリスさん」
フィエットが、マエリスの顔を──変色した右頬を触る。
「あなたは自分で思っているよりも価値があります」
「…………」
「もっと自分を大切にしてくださいな。もっと周りを頼ってくださいな。私たちは、特にマノンさんは、そのためだけに力をつけてきましたわ」
「……それは……」
「私が言いたいことは、それだけですわ──さ、湿っぽい話は終わりですの。ここからは楽しいお話をさせていき──」
「フィエット?」
「ひぃっ!?」
涙を拭い、パンと手を鳴らして明るい口調になったフィエットだったが、扉の方から聞こえてきた極寒のオーラに飛び上がる。
マノンが、今にも襲い掛かりそうな眼付きで見ていた。
「お風呂場にいないと思ったら……お姉ちゃんを独り占めするつもりなの……?」
「ち、違いますわ!? わわわ私も今から浴場に向かうところでしたのよ!? ではマエリスさん、失礼しますわ!」
マノンと扉の隙間を縫って、フィエットが逃走する。それを追いかけてマノンが走り出す。
残されたマエリスはただ一人、小さく噴き出した。
「さーてと、準備は万端万端! リスちゃんを夢の世界へご招待~」
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