水源とお菓子
「さて、お父様の許可も下りたことですし、簡単にですが説明しますわ」
そう言ってフィエットはテーブルに真っ更な羊皮紙を広げる。
「まず水源ですけれど、これは南のマシュクール山脈と、この屋敷のすぐ裏、北東のシャントセ山脈、この二つの山脈を流れる川が用いられていますわ」
説明をしながら、フィエットは羊皮紙に簡単な地図を描き始めた。
「印象としましては、マシュクール山脈の水が飲用で、シャントセ山脈の水が上下水道や街の水路として使われる比率が高い気がしますわ」
「それじゃあ、二つの川は合流しないの?」
マエリスがそう尋ねると、フィエットは地図に一つ、屋敷の近くに丸を描いた。
「ティフォージュ地底湖という、シャントセ山脈の流域にある地形がありますの。そこは溜池としても用いられていまして、これは飲水としてマシュクール山脈流域に合流したはずですわ」
「なるほど……」
(怪しい)
飲水として使われるマシュクール山脈とティフォージュ地底湖。このどちらか、それとも両方に何らかの汚染がある可能性が高い。
「それって、この屋敷でも?」
「いえ、家はシャントセ山脈上流の水を使ってますわ。まあ真裏にあるんですもの、わざわざ遠いものを使う理由もありませんわ」
(だからフィエットには影響が出てないのかな?)
マエリスは脳内の地図の範囲を狭めていく。
「それで井戸の構造ですけれど、我が領では実験的につるべではない方法を用いていますの」
「そういえば井戸の上には蓋だけがあったよね。バケツとか見当たらなかったけど、どうやって汲んでるの?」
マエリスのその質問に、フィエットはコの字型の絵を描く。恐らく井戸の断面図だろう。
「私も細かな原理は理解できていないのですけれど、井戸の側方にある円盤を回しますと、この出口から水が出てきますの。この円盤がカラクリになっていて、回すことで井戸の中の螺旋構造が動きますのよ」
「螺旋?」
マエリスがテーブルの上に乗り、井戸の断面図を凝視する。井戸の中央に屹立する螺旋状の棒。それを見てマエリスは思わず呟いた。
「あ、アルキメディアン・スクリュー……?」
「マエリスさん?」
「しかもこれ、出口の近くは水封がされてる……井戸の中はさすがに真空じゃないか。井戸の底はろ過装置かな? できる限り水質に影響が出ないように工夫がされてる……」
「もしかして、これだけでもう理解できたんですの?」
「え? ああ、まあ、ある程度は」
目を見開くフィエットと、自分のことのようにドヤ顔するマノン。
しかし、驚いているのはマエリスも同じだ。
(魔法を使わない範囲でかなりの性能。作成者はもしかして、転生者とか? あーいや、ギリギリ時代かな……)
「なるほど、さすがですわね……リケさんが言っていたことが今漸く身に沁みましたわ」
「? 何のこと?」
「マエリスさんは変わっていないという話ですわ」
「?」
イマイチ話の要領がつかめず首を傾げたマエリスだったが、フィエットはそれ以上語らなかった。
ちょうどそこへ、扉がノックされる。
「フィエットお嬢様。『オルレアン』に向かっていたメイドが戻りました」
「どういう報告ですの? それ」
入ってきたメイドから告げられた言葉に、フィエットは眉を顰める。普通、お使いに行った使用人が返ってきた報告など、一々主人に伝える必要はない。その辺りの差配はメイド長が担うはずだ。
まあ、ルピの場合は結果が不安なので毎回確認していたが。
「それが、その、店の人間がちょうど焼き上がったからと既に来ていまして、どうしましょうか?」
その言葉に、この部屋にいた皆が顔を見合わせる。
普通、こういう時は訪問日を決め、後日店から屋敷へ持ってくるのがマナーだが……これも井戸水の影響の一つだろうか。
(そしてメイドは何故連れて来たのか)
やはりメイドも水の影響を受けているのか? それとも、思ったよりもブルー侯爵家の使用人はレベルが低いのだろうか? マエリスは訝しんだ。
「……まあ、いいんじゃない? ちょうど難しいことに頭を使って小腹が空いてきてたし」
「少しモヤモヤとしますが、まあいいのではないでしょうか? アムレート様はどうでしょうか?」
「(コクコクと頷いている)」
「お姉ちゃんは?」
「ボクもそれでいいと思うよ。フィエットは?」
「まあ、私も構いませんわ。通してくださる?」
「かしこまりました。応接室に通します」
というわけで、全員の賛同が得られたため、少し遅いティータイムと洒落こむことになったマエリス達。
応接室に移動して数分後、ノックの後に大きなカートが入ってきた。
「どもどもー! 皆さんこんにちはー! 本日は注文ありがとうございまーす!」
カートを押してきたのはメイドではなく、何やらテンションの高い女性だ。
焦げ茶色のショートヘアと黄白色の肌は、まるで前世日本のような容姿に見える。スカイブルーの瞳は爛々と輝き、振りまく愛嬌はまるでアイドルのようだ。
(……ん?)
女性がマエリスの前を横切った時、ふと香る甘い匂い。ただそれは女性の匂いというよりはスイーツの匂いだ。
(お菓子の匂いが身体に付くぐらいに作ってるってことかな?)
「『オルレアン』の焼き菓子をお持ちしました! 焼き上がってすぐに持ってきたのでまだ温かいですよ! どうぞご賞味あれ!」
礼儀ギリギリの振る舞いで女性がサーブする大皿やスリーティアーズには色とりどりのクッキーやパイ、ビスケットが盛り付けられていた。それはただ並べられているのではなく、目で見ても楽しめるようにグラデーションが付けられていた。
「わあ! すっごいキレイだし美味しそう!」
「もしや、その若さでどこかの貴族のお抱えでしょうか? 平民街の店とは信じられませんね」
「平民にしては凝っていますわね。ですが肝心の味はどうかしら?」
店員のマナーに欠けた振る舞いにやや不機嫌になっていたフィエットがクッキーを一つ手に取り食べる。
「……あなた、ブルー侯爵家に仕える気はありませんこと?」
「即堕ち二コマじゃん」
文字通り、漫画のコマ送りのように一転してキラキラした表情をするフィエットに、マエリスがボソリと呟く。
「え!? すごい、なにこれ、美味しい!」
「うっそ、こんなの日本でも食べたことないわよ……」
その直後に聞こえてくるマノンの感動と、アケボシの動揺。おい、前世が漏れてるぞ。
そんなことを考えていると、再度フワリと甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「お姉さんは甘い物苦手かな?」
「わっ」
鼻と鼻が触れそうなくらいに店員の顔が近づいていた。
「あ、えーと、ボクはその、腕が動かなくてさ。まあ皆夢中になってるみたいだし、もう少し後ででいいかなって」
「それはダメ! 冷めても美味しいけど、温かい方がもっと美味しいよ!」
「むぐ」
そう言い終わるよりも早く、店員がクッキーを一枚マエリスの口に捻じ込んだ。
瞬間、マエリスの脳裏に広がる宇宙のイメージ。唾液によって解れたクッキーの成分が味蕾を複雑に刺激し、繊細なバランスで調和された甘味、酸味、塩味、苦味、旨味が脳髄を貫く。さしずめそれは人類が初めて口にした知恵の果実であり、知ってはいけなかった悪魔の味であり、マエリスはもう一枚を求めて腕を動かそうと──
「はっ」
そこでマエリスは正気に戻る。口の中には先ほどのクッキーの余韻が残っており、集中すると再び意識が宇宙へ飛びそうになるため必死に唾液で薄める。
「どう? 美味しかったでしょ?」
「それは、はい」
(え、ていうか皆、あのクッキーを食べて平常でいられるの!?)
普通に和気藹々と楽しそうに大皿を突く四人を横目に、マエリスは衝撃を受けた。
故に、ボソリと店員が漏らした呟きを聞き逃す。
「これでもレジストされるんだ……私一人じゃ無理だね」
「ん?」
「お姉さん、もう一枚どうぞ」
「あ、いや別の──」
再度、マエリスの意識は宇宙へと旅立つのだった。
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