ニアミス
「うわ、すっごい並んでるよ」
目的のパン屋と思われる店は大通りから少し横道に逸れた所にあったのだが、その入り口から大通りに向けて長蛇の列が形成されていた。
それを遠目に見つけたマノンは絶句する。
「腹ごなしにはちょうどいいんじゃない? 待ってる間にもっと食べられるようになるんじゃ」
「んー、まあ私は並んでもいいけど。シルフとユリは?」
「私も問題ないですよ。アムレート様はいかがですか?」
「ぁ、ぅん、私も、大丈夫」
満場一致で並ぶことになったため、最後尾に並ぶことになった一行。
それまで最後尾だった人が振り返り、ギョッとした目をする。
「え、あ、聖騎士──」
「しーっ! 今お忍びなんだよ、静かに。お願い!」
マノンに肩を掴まれてお願いされたその男性は、顔を蒼褪めさせてコクコクと頷く。多分、掴まれた肩が痛かったのだろう。
(……取り寄せた方が良かったのかな?)
マエリスはそんなことを考えたが、今更な話だった。
列の長さに反して、進むスピードはそこそこに速い。マエリス達の後ろにも列は伸び、また一組マノンの握力に屈した悲しい男性が生まれる。
というか、意外と男女比が偏っていないのだなとマエリスは漠然と考えていると、いよいよ店の入り口が見えてきていた。
そんな時だった。なにやら豪奢な服を着た一人の男性と、その護衛だろう大柄な男四人が列の最前に割り込んだ。
最初は貴族かと考えたが、家を示す家紋がどこにも見当たらない。そもそも貴族は体面を気にするため行列に並ぶことは少ない。
自分が貴族であることを棚上げにしたマエリスは、彼が商人──それも成金、最近大金を持った人物だと考えた。
「ちょっと、後ろの列が見えないの。さっさとそこ退きなさいよ」
「なぜ私が貧乏人の真似をしなくてはいけないのだ」
そんな分析をしていると、最前列の女性と成金の男性で言い争いが発生したようだ。
「この店が私の呼び出しに応じていれば良かったものを、こうして私に手間をかけさえやがって……そら、並んでいる貴様ら全員散れ散れ。今からこの店は従業員ごと私が買収するんだ。貴様ら貧乏人どもに売ってやるものか」
「……勘違ぃ成金、乙」
「何かすごいこと言ってますけど、どうしますアムレート様、インヴァネス様?」
「暴力沙汰になりそうだったら止めるよ。それまでは様子見かな」
「それ、もうすぐなりそうだけど」
マエリスがそう呟けば、一行の注意は再度最前列へ向く。
「いいか! 金持ちには特権が与えられているのだ! 貴族のように! 私のように! 本来貴様らのような貧乏人どもと話してやっているだけでありがたく思うべきところを、ぐだぐだと反論してきおって! 痛い目を見たいようだな!」
「やれるもんならやってみなさいよ! 西部育ちの腕っぷしを舐めんじゃないわよ!」
「そうだそうだ! 高慢ちきな金持ちに目に物見せてやれ!」
「一斉に袋にしてやる!」
「護衛がいようがこの数なら関係ないだろ!」
互いに引かないどころか、周りの並んでいた人達まで加勢して、まさに一触即発の空気だった。
「うん、止めよっか。ユリ、お姉ちゃんをお願い」
「はいはい──あら、意外と良い抱き心地ね」
「どさくさに紛れて身体をまさぐらないでくれるかな!?」
マノンからマエリスを預かったユリが不思議そうに体中を撫でるのを、くすぐったくて悶えるマエリス。
あと腕を抓るのは止めてほしい。痛覚だけはあるのだから。
そしてちょうど、マノンが騒ぎを止めに一歩、二歩と進み声をかけようとした、その時だった。
店の扉が開く。カランカランというベルの音と共に出てきたのは、一人の小柄な女性だった。
桜色のメッシュが入った深緑色の長い髪。深海のように真っ青な瞳。褐色というよりはまるで日焼けのような小麦色の肌。
だが真っ先に目に入るのはその腕の中、明らかに身の丈を超えていそうな程にトレイに積まれたパンの山である。それを驚異的なバランス感覚で運びながら、時折揺らして一つだけ落とし、それを口でキャッチして食べながら歩いている。
まるで騒動など存在しないように、その歩みになんの淀みも躊躇もなかった。
「──っ、おい貴様、止まれ」
「?」
衝撃的な光景に皆が呆気に取られている中、一早く再起動した成金が女性を呼び止める。
「そのパンを全て寄越せ。私はこの列に並ぶのが嫌になったのでな」
「? 何で……?」
「それが貧乏人ごときには勿体ない代物だからだ。ただでとは言わん」
そう言って、男が女性の足下に銀貨を一枚投げる。明らかに値段に見合っていない額だ。
しかし女性は銀貨には目もくれず、何の感情も籠っていない瞳で男性を見やる。
「?」
一瞬、マエリスと視線が合ったような気がした。
いや、気のせいだろうか。何事もなかったかのように女性は成金に背を向けて歩き出し、再度パンの山を揺らして一つを口に含んでいた。
「おい! 貴様、私を誰だと──」
「はい、そこまで。これ以上騒ぎになるのはマズいんじゃない?」
男の護衛が女性を捕まえる寸前に、その手をマノンが止めた。
「何だ貴様、は──待て、まさか、貴様、いや、あなたは──」
「私が誰だか分かるなら、もう止めようよ。明らかに貴方が全部悪いよ?」
どうやら成金もマノンのことを知っているようで、権力でゴリ押す形だがこれで一件落着だとマエリスは思っていた。
「──ええい教会が何だ、我慢ならん! お前たち、あの女を捕らえろ!」
だから、顔を真っ赤にして激発した男性の行動は正直予想外であったし──
「だからダメだってば」
護衛の男たち四人が一歩踏み出す前に、一瞬で全員鎮圧され地に倒れたのは予想通りの結末だった。
周囲の野次馬からは快哉が上がり、成金の男性は信じられない光景を見たかのように膝から崩れ落ちる。
パンを抱えた女性は、マノンが出てきても足を止めることなく、既に遠くへ行ってしまっていた。
「お疲れ様です、インヴァネス様」
「そんなに疲れてないよ。でも何だかデザートとか並ぶ雰囲気じゃなくなっちゃったね」
労うユリからマエリスの身柄を受け取ったマノンが、バツの悪そうに笑う。
「また明日来よう? 皆はそれでいい?」
「私に異論はありません。アムレート様は?」
「わ、私も、それで……でも次は、服を……」
「あー、仕立てがいいと目立ってるよね。調査のためにも服装はもっと地味な方がいいかもね」
「鎧姿じゃないのにね」
今回のように、一目で聖騎士や聖女だと判明するのは諸刃の剣だ。目的が調査である以上、適切な装いもあるだろう。
「じゃあ明日は服屋さんに行ってからここに来よう!」
最早目的を観光と間違えていないか心配になるマエリスを他所に、一行は明日の方針を決めて宿へと戻るのだった。
(それにしても……やっぱりあの成金の人の反応も、言い争ってた人も様子がおかしかったよね……野次馬は、あんなものかな……?)
帰路の間、マエリスはずっとそんなことを考えていた。
「……あれが、エレノアと十三番のお気に入り」
山を揺すり、落ちてきたパンを食み、嚥下して、女性はポツリと呟く。
「……宝の持ち腐れだね」
その言葉は、落ちてきたパンに吸収されていった。
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