西部到着
マエリスが決意を新たにしてから数日後。
「あ、お姉ちゃん。見えて来たよ」
ユリと交代し、御者席に座っていたマノンが、ウトウトしていた膝の上のマエリスに声をかける。
呼ばれて目を覚まし、前方を凝視するマエリス。だが──
「……どこ?」
マエリスの目の前にはどこまでも広がる草原とあぜ道。そして半分が雲に覆われた空だけだ。とても人工物は見当たらない。
「えー? 真っ直ぐ正面に門が見えるよ? ずーっと向こうだけど。馬車の列もある」
「ボクにはまだ見えないなぁ」
身体強化の影響か、視力まで強化されているらしいマノンの言葉にマエリスは苦笑する。
目隠しを新調する必要はないんじゃないかと思いはしたが、そうするとマノンは間違いなく拗ねるだろうと考え直す。
……あの時、視界が霞むと言っていたはずなのだが。もしかして『数キロ先が霞んで見える』という意味だったのだろうか。
(……ランドルト環でも作る?)
Cの字をした視力検査の環に思いを馳せるマエリス。
正確な視力を測定することにどこまで意味があるか分からないが。
ただやはり作ったからには改善を実感したいわけで。先日のアケボシの要求が頭に残っているせいか、数値化によって自分のプレゼントは無意味でないと証明するために、マエリスは半ば意地で帰ったら視力検査をすることを決めた。
マノンが村を発見してから数分後、ようやくマエリスにも門と長大な壁、そして数台の馬車の列を視認することが叶った。
「西部の出入口のラクレ子爵領だよ。あそこの関所を超えたら西部に入るね」
「いよいよだね。トラブルにならないといいけど」
「お姉ちゃん、そういうのフラグって言うんだよ。悪いことを口にしたら起きちゃうんだって。シルフが言ってた」
「あ、うん。気を付けるよ」
マノンが前世の『お約束』を口にしたことに面食らっている間にも、馬車は着実に関所へと、列の最後尾へと近づいていく。
「止ま──まさか、聖騎士様ですか!?」
門番が馬車を止め誰何する前にマノンに気付き、驚愕の声を上げる。
それが聞こえたのか、他の馬車に乗っていた人たちが顔を覗かせ同じように目を見開いた。
一瞬、門番がマエリスを見て眉を顰めたが、それはマエリスもマノンも気付かないフリをした。
「こんにちは! あ、あなた前もここで門番してた人だよね?」
「お久しぶりでございます! 二年前はどうも助かりました。本日も聖務で?」
「そうだよ。通れる?」
「構いません。どうぞご武運を!」
「ありがとう!」
そして名も知らぬ門番は顔パスでマノンの馬車を通してしまう。
待機していた列を横目にガラガラと馬車は門を潜り、しばらくして門から離れたところでマエリスはポツリと呟いた。
「……抱えられてたボクさえ調べなかったね」
「楽でいいけど、悪いことしてる気分になるよ」
「有名になったんだね、マノン」
この十年間の活躍に思いを馳せて、マエリスはシミジミと呟いた。
そこからさらに一日馬車に揺られると、ふと潮の香りが鼻に届いた気がした。
「お姉ちゃん!」
「うん、今度はボクにも分かるよ」
遠くで何かがキラキラしている。日の光が反射されているのだ。
前世でも滅多に見ることのなかった海がそこにあった。そして同時に目に入る、海の青と比較して映える赤いレンガの街。
「あそこが西部の中心、ブルー侯爵領か」
「港を使うために立ち寄るくらいで、ちゃんと見て回ったことはなかったなぁ。観光する時間あるかな?」
「調査が早く終わって、リフィを見つけられればあるかもね」
ワクワクと高揚を隠せないマノンと、対照的に不安を抱いて気を引き締めなおすマエリス。
そこでクゥと、マノンの腹の虫が不満を訴えた。
「……まずはちょっと遅いお昼にしようか」
「あはは、そうだね。宿の人に良いお店を聞いてみようよ。私お魚食べたい!」
「あの肉ラブだったマノンが肉以外を食べようとするとは……」
「もう私子どもじゃないよ!?」
「分かってるよ」
(さて、何が出てくることやら)
未知の脅威が眠る港町に、馬車は吸い込まれていく。
ブルー侯爵領はマエリス達の実家、マギカ侯爵領のように、元々は南方の『吹雪の海』へ対処するための辺境伯領だった。
その特徴はやはり港であるが、それ以外にも南と北東の山脈から流れる河を利用した街の中に張り巡らされた運河は、赤レンガの風景もあって前世のヴェネチアなどを想起させる。
「井戸も結構あるんだね」
そんな街の大通りを進む馬車の御者席、マエリスは等間隔に並ぶ共同井戸が最初に目に入る。
井戸と言っても、石で組まれた口の上には蓋だけが置かれてあり、ポンプどころかバケツすら見当たらない。
「運河の水も飲めなくはないんだけど、やっぱり綺麗なのは深く掘った井戸水の方がいいよ。ルピがお腹壊してたから」
「飲んだんだ、運河の水」
「現地の人は大丈夫らしいんだけどね」
旅先では水に気をつけなければいけないのは、前世でも今世でも同じようだ。
そんなことをマエリスが考えていると、突然ガシャンと、何か大きなものが壊れる音がした。
「……お姉ちゃん、さっそく西部名物だよ」
マノンの視線の先、大通り中央の運河を挟んで反対側の酒場。そこでは顔を赤らめた二人の男性が殴り合いの喧嘩をしていた。
「んだとこの野郎!」
「もっぺん言ってやるよ馬鹿野郎!」
対岸のこちらにまで聞こえてくる怒声。それを肴にする周囲の客。なるほど確かにあの光景は日常茶飯事なのだろう。
(でも、何だろう、この違和感)
ただの酔っ払い同士の喧嘩のはずだ。顔を殴られ、腹を蹴られ、鼻や口から血を流し、倒れては立ち上がりやり返す。そんな喧嘩だ。
(でもなんか、喧嘩というよりは……映画の格闘シーンみたいな……いやそんな格好良くないけど……何が違う?)
そろそろ止めないとマズいのではないかと、一抹の不安が過る。その時。
ツカツカと甲冑姿の騎士が現れ、二人の拳を受け止めたかと思えば当て身で昏倒させて強制的に喧嘩を終わらせる。
そして周囲の野次馬に何か説教をしているようだ。
「お姉ちゃん?」
「何でもないよ」
訝し気なマノンの言葉に、マエリスは一旦疑念をしまった。
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