神木製の木偶
(キッッッッツ!?)
急停止と急加速に翻弄され、脳や内臓がかき回される不快感にマエリスは顔を青くしながら、涙目で二人の戦いぶりを観察していた。
ミシェル──賢者はどうやら光属性の魔法のみでみ戦うようだ。
多様な属性を使ってこないなら、相性などを考える必要はないということ。まあしかし、光属性はミシェルの得意属性であるから、戦闘が楽にやったとは言いにくい。
(それに、お父様は君たちと言った。マノンだけじゃなくボクも試されてる。ならボクにも出来ることを探さないと)
マノンが突然方向を転換し、直後、遠心力で投げ出されそうになったマエリスの頬がジリジリと炙られる。
(マノンも余裕がなくなってきたね……急がないと)
一方的にミシェルが押しているようにも見えるが、彼は一歩でもマノンの間合いに入ってしまうと敗北が確定する。絨毯爆撃のようなこれらの弾幕は全て牽制だ。
一進一退の激しい攻防に、マエリスが介入できるとしたら……
(ボクの両腕、しかないよね)
『左の生命樹』と『右の邪悪樹』。
様々な奇跡の下に成り立ったその産物は、しかしマエリスが目覚めてから一度もその紋様が浮かんでこない。
この肉体に適応していないのか、そもそも人間の世界に持ち込めない力だったのか。
あるいは、大きすぎる力に腕が耐えられず壊れてしまったのか──
(……ん? あれ? 待てよ、ボクの腕、一度だけ動いたよね?)
それは昨日の執務室。第二夫人がシャーロットを突飛ばそうと腕を伸ばした時。
それをマエリスは、掴んで止めた。
(そうだ、ボクの腕は動く! お父様はそれに気付いてたんだ! つまりボクの課題はこの腕!)
うんともすんとも言わない両腕を動かす方法を、この攻防の中で探し出す──
「う!?」
「そこは行き止まりだよ」
唐突にマノンが止まり、後ろへ跳び退く。その直前に光点の檻がマノンを囲い、放たれる熱線がマエリスの腕を掠めた。
「痛ッ!?」
「お姉ちゃん大丈夫!?」
「ボクは平気だから、マノンはマノンの課題に集中して!」
服が焼け落ち、焦げた臭いが微かに散布される。しかし光線を受けたはずの腕には、掠り傷はおろか火傷のような発赤すらも生じていない。
(やっぱり、ただの腕ではなくなってるか。盾として使えるかな……いやでも痛覚はあったから難しいか)
触覚や温度感覚は失われているのに痛覚だけはあるのは何故……とマエリスは理不尽を内心愚痴る。
(まず、魔力を流してみよう)
仰々しい呼称があっても、魔法回路によって稼働する一種の魔法陣であるならば魔力で動くはずだが……
(……魔力が通っていかないね)
肩関節から先に魔力を流そうとしても、どうも魔力の流れが迂回するように曲がってしまう。
腕に魔力は感じられる。しかしそれは、もうそれ以上入らないほどに飽和しているという感覚ではない。
例えるならば、一本道を歩いていたら透明ガラスの壁に道を遮られたような。
(そこにあるのは分かるのに、触れることができない……次元が違う? あり得そうな仮説だけど、だとしたら最早どうしようもないけど?)
いや、諦めるのはまだ早い。事実マエリスは一度腕を動かしたのだ。ならば方法があるはず。
(そもそもあの時は……感情……?)
ふと思い出すのは、前世の記憶。どこで見たのか、あるいは聞いたのかすら思い出せない問答だ。
(確か、物語の主人公が覚醒するためには、って話だっけ)
曰く、『身の丈を超える力を使うにはどうすればいいか』という疑問に対する三つの答え。
一つは『感情の昂ぶり』。プラスでもマイナスでも、感情が力に影響するという考えは一般的だ。過度な集中による『ゾーン』などもここに含まれる。昨日のマエリスもこれに該当するだろう。
二つ目は『取引』。生贄や契約など、上位存在との間に交わされた約束事を基に力を貸してもらうパターン。現にマエリスは上位存在と言える『左の生命樹』と『右の邪悪樹』を宿している。
あるいは、音沙汰のない邪神エリスの力も借りることができるか。
最後の三つ目は『成長』。変則的な回答だが、今を超える力という意味では忘れてはいけないものだ。ゲーム的なレベルアップのような『己を上位存在に近づける』ものや、装備を充実させることが含まれる。
(さすがに最後の成長はこの場でやれることじゃないからパス。二つ目は、もしかしたら……)
神界で白大神と黒大神を相手取った際に、エリスが教えてくれた詠唱句。
あれを唱えれば、もしかしたら──
(……ダメだ、思い出せない。あんな複雑で何語かも分からない言語、一度復唱しただけで身に付くわけがない)
契約も、エリスが沈黙している今意味はないし、生贄なんてもってのほか。
必然、残された選択肢は感情だが……
(マノンを助けたい! マノンを助けたい! マノンを助けたい! うおおおおおおおおおおおおおボクの腕動けえええええええええええ!)
試しに心の中で絶叫しても、何も変わらなかった。
(……これは感情じゃなくて気合か)
羞恥で顔を僅かに赤らめるマエリス。幸いにもその内心に気付く者はいなかった。
(無理に作った感情じゃなくて、自然な発露……演技とかでは、元の感情を増幅させるんだっけ?
昨日の感情は、間違いなく怒りだった……怒りの感情……)
マノンが急旋回し、マエリスの身体に凄まじいGが圧し掛かる。
回り込もうとするマノンを、空中から光線が追尾するように突き立った。
(……お父様、いくら試練だからとは言え、マノン相手にやり過ぎじゃない?)
瞬間、スッと神経が腕へ通ったような気がした。
ピクリと、マエリスの手先が動く。
(動い──)
刹那、マエリスが歓喜を噛み締める間もなく、両方の腕から押し寄せた津波のような魔力の奔流が、彼女の精神を容赦なく板挟みにした。
「お姉ちゃん!? 大丈夫!?」
(────っはぁ……!? 今意識が、息も止まってたよね!?)
「だ、大丈夫!」
マノンが強く揺さぶってくれたお陰で、どうにか意識を取り戻したマエリス。体幹から抜けた力を取り戻して、努めて力強く無事を告げる。
「隙ありだ」
「あ──」
そしてその一瞬を見逃してくれるほど、ミシェルは甘くない。光線が複雑怪奇な檻を構築し、マノンの足を貫かんと輝きを強め──
黒く染まったマエリスの右腕が空間を抉る。その軌跡に沿って檻は破られ、光線は搔き消された。
まるで、初めから存在していなかったかのように跡形もなく。
「お姉ちゃん! 腕が──」
「コツ、掴めた!」
(なるほどね。エリスが同時に使えって、こういう意味か)
意識を呑み溶かし、精神を崩壊させんとするような『存在』が二つ。
それらが互いの魔力を打ち消しあうお陰で、マエリスはどうにか自我を保つことができた。
この奇跡のようなバランスが崩れた瞬間、マエリスの魂は砕けるだろう。
(これは腕じゃない。肉体ですらない。腕の形をした魔法──高次元存在の影だ)
文字通りの『身を滅ぼす力』だ。だがそれも、コツさえ分かればただの道具。
(まあでも、粗大な動きしかできなさそうだね……またリハビリかぁ……)
「動くようになったようだね。本当に、随分と妙な状況だ」
「お父様がやり過ぎだお陰ですね」
怒りの感情をベースにしているせいか、トゲのある返事になったマエリス。
それに対してミシェルは酷薄な微笑を浮かべた。
「この程度でやり過ぎと言うのなら、合格点はあげられないな」
「「っ!」」
「ではクライマックスだ。私も本気を出そう」
直後、急激にミシェルの魔力が活性化する。そして今度は光点などという『余分なクッション』を置かずに、直接召喚された熱線が空間を薙ぎ払った。
「マノン!」
「大丈夫! ギリギリセーフ!」
寸でのところで跳んで回避したマノンだったが、焼き払われた森からは陽炎が立ち上がり、灼熱した土からは焦げた臭いがした。
ミシェルの手は──そして口は、止まらない。
「全てを破壊する大いなる炎よ、波打ち道示す大いなる海よ、合わさりて天照らす太陽となれ──」
マノンに接近されないよう己の身を陽炎に隠しながら、左右で性質の異なる光線で牽制し続け、ついには詠唱を開始したミシェル。
それは右手で数式を解きながら左手で数独パズルを作り、足で二進法を表現しながら口では円周率を暗唱するような複雑極まりない思考演算。まさしく『賢者』にのみ許された超絶技巧。
これを超えなければ、許可は得られない。
直感的にそう判断したマノンの行動は素早かった。
握っていた剣を捨て、しかしあたかも剣を握っているかのように構える。
「『我は神の剣、闇を払う──名もなき騎士!』」
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