少女の献身
「……ぱ、ぱぱぁ……。」
逃げ遅れた男の子がいたということに気が付き、ネリーは走りながら口元を下げた。
異形の巨人によって露店が壊され、散乱した瓦礫の中。
ネリーはその男の子を放って置くわけにはいかなかった。
「……待っててねぇ! おねーちゃんが行くからぁー!」
男の子に向け、ネリーは叫んだ。
踵を返し、ネリーは男の子の方へ身体を向け直す。
異形に囲まれた泣きじゃくる男の子はいつ、異形に潰されてしまってもおかしくはないのだ。
だが、ネリーの声に四体の異形も反応してしまっていた。
異形の巨人も、ネリーの声によって気が付いたのか。
泣きじゃくりながら座り込む男の子に向け、その無機質な眼窩の光を男の子に向けていた。
どしん、どしんと大地に地響きを鳴らしながら。
異形の巨人たちはその大木の如き足を動かして、男の子に迫りよっていた。
しかし、ネリーはそれでも男の子の元へと駆ける。
瓦礫を気にせず、ネリーはその男の子だけを見つめていた。
焦りが冷や汗となって浮かぶその額に、紫水晶のような瞳が輝いている。
(……見捨て、られないよねぇー。)
唇を噛み締め、ネリーは慣れない走りをしながら、息を切らしていた。
ネリーは、元々孤児院にいた。
レインのように元々両親がいたという訳でも無かった。
物心付いたそのときから、ネリーは孤児院にいることが当たり前だった。
この世界を作り、魔王と戦いを繰り広げた女神に感謝を伝えて崇めるという宗教「女神教」。
その神父たちの手で作られた孤児院が、ネリーの居場所であり、「家」だった。
自分の面倒を見てくれるのも、孤児院にいる優しい神父や、そこに仕える修道女の女性だった。
親代わりである神父や修道女の女性が、ネリーにとっては「親」であったのだ。
だからこそ、「両親」というものをネリーは知らなかった。
そんな「両親」というものに憧れを持つネリーだが、目の前の男の子が「両親」を求めて泣きじゃくっている姿を、見過ごせる筈もなかった。
「両親」はネリーにとっての神父や修道女たちと同じ存在であり、ネリーのことを非常に心配してくれた記憶もある。
冒険者になると報告した際には、孤児院中が大騒ぎになりもした。
ネリーのところとは全く関係ない孤児院が、奴隷商の温床になっていたとの知らせが王都を走った時には、ネリーもその孤児院に対して相当に憤っていた程だ。
相変わらず泣きじゃくっている男の子へ、ネリーはその足を止めずに進む。
(……この子のおとーさんとぉ、おかーさんも心配してるはずぅ……。絶対ぃ、助けてあげるからぁ!)
この喧騒の中で逸れてしまった男の子の両親も、男の子のことを心配しているはずだろう、と。
そう思うと、ネリーの胸はきりきりと痛んでいた。
「……はぁ、はぁ、もう、少しぃ……!」
男の子と、ネリーの距離が縮まっていく。
異形の巨人はかなり大きく、鈍重な筈だ、と。
そうネリーは判断していた。
泣きじゃくっている男の子に、手を伸ばす。
あと僅かな距離に、ネリーは倒れ込むかのように飛びこむと、男の子の前でかがみ込んだ。
突如現れたネリーの姿に、男の子は顔を上げてネリーを見る。
涙と鼻水に塗れた顔に、ネリーは視線を合わせた。
「助けに、きたよぉ。 もう、安心だからねぇ。」
心配させないように、ネリーはにっこりと微笑む。
「……おねー……ちゃん? だれぇ……?」
「冒険者だよぉー。……さぁ、早くここからぁ……。」
男の子の手を取って、駆け出そうとネリーは後ろを振り向いた。
「……うっそ、ぉ……!?」
ネリーは驚愕に顔を染めて、目を見開いた。
動きが鈍重な筈の巨人のうち、一体がすぐ傍にいたのだ。
ネリーと男の子を見下ろすように、その気味の悪い目線を向けていた。
にぃ、と。
笑顔を浮かべない筈の巨人が、笑ったように見えた。
ネリーの脳裏には、スキルの影響で恐怖心がうず高く積み上がっていた。
頭のなかで只管鳴り響くスキルの警報と、恐怖心。
この場から急いで逃げ出したい気持ちでネリーのなかはいっぱいになっていた。
だが、ネリーは。
ぎゅっと、男の子の手を握り込んだ。
成長しきっていない柔らかさと、高い体温をその手に感じ取る。
「おねー、ちゃん……。」
「だいじょーぶ、だよぉ。……おねーちゃん、つよいからぁー。」
不安そうに目元を下げる男の子に、ネリーは強がるように笑いかける。
嘘だ。
ネリー自身に、戦う術はないのだ。
異形の巨人に、ネリーは勇敢に立ち向かえるような攻撃もできない。
それでも、ネリーはそうする他に考えはなかった。
小さな命を、不安にさせてはいけないのだ、と。
それこそが、ネリーの思う「両親」のあり方なのだと思っていたからに他ならなかった。
ぐいん、と巨人が拳を作った腕を振り上げる。
ビキビキとした筋骨隆々な拳は、直撃すればネリーも男の子もひとたまりもないだろう。
走り出そうとしたが、無理だった。
男の子の足が、竦んでいる。
得体もしれない異形の巨人に、恐怖しているのだろう。
ぶるり、と。
ネリーの身体が震えた。
ごう、と。
巨大な鉄球にも似た拳が、風切音と共に振り下ろされた。
今走って逃げても、間に合わない。
ネリーは巨人に背を向けて、男の子を咄嗟にその胸に抱え込んだ。
(……怖いぃ……。怖いよぉ……。でもぉ……。)
「おねー……ちゃん?」
「……だいじょーぶ、だからねぇ。」
男の子に、ネリーは声をかけた。
小さな頭をつつみこんで守るように固く抱きしめる。
頭の中の危険信号は、すでに真っ赤だ。
巨人の拳など、止めようがない。
「死」という文字が、ネリーの頭を掠めた。
(……せめて、この子だけはぁー。)
目元から、意思とは勝手に雫が落ちた。
迫る恐怖の中、ぽつりと呟く。
「……助けてぇ……誰かぁ……。」
遂に恐怖に負けたネリーが、小さく声を出した瞬間。
「……ああ。もちろんだ。」
《《誰か》》の声。
その聞き覚えのある声に、ネリーは顔を上げて首を回した。
真っ先に目に飛び込んできたのは、鮮やかな橙色の髪。
薄手の藍色をしたジャケットを着た、自身と同じくらいの少年の背中が、そこにあった。
ネリーは目を見張る。
その声は、ダンジョンで聞いた少年のものに間違いなかったからだ。
迫り来る巨人の拳に、竦んだ様子もなかった。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
威勢のいい掛け声と共に、少年は足を蹴り上げる。
振り下ろされた拳と、少年の蹴りがかち合った。
瞬間。
《《異形の巨人の拳が》》、鈍い音を立てて弾け飛んだ。
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