走る修道女
レクスたちの眼前に映り込んだ光景に、レクスたちは絶句するほかなかった。
闇を人の形に成形したような漆黒の身体だが、一般的な人間と比べて五倍以上の体躯。
ボコボコと凹凸のある胴体に、太い大木を思わせるような手足。
黒く異様に膨張した腕は、人など簡単に捻り潰せるだろう。
そんな手足をしていながら腕の間に見える頭は、黒く滑るような肌でぬっぺりとした頭部が小さく覗いている。
白く光る目はのほかには、鼻も口も見当たらない。
胴体の下腹にあたるであろう部分にも、何もなかった。
おおよそ人に近い造形をしているが、その巨人はまさしく異形と言って差し支えないだろう。
カルティアを襲った異形の巨人と比較すると、強いて違いを挙げるとするならば頭部に鼠の丸い耳のような突起が見えることだろうか。
そんな異形たちが、四体も広場のど真ん中を闊歩している。
現れた異形たちの姿に、広場から我先にと逃げ惑う人々が、波のように押し寄せていた。
信じられないような光景を目にして、キューはその玉蜀黍のような瞳を大きく見開いていた。
「あれ、何!? あんな大きなの一体何処から……?」
「……キュー、行くぞ。」
「……え!? レッくん!?」
逃げ惑う人々に逆らうように視線を向けて、レクスは呟いた。
思ってもみなかったのか、キューはレクスの顔に向かって慌てたように振り向く。
レクスの表情は、焦ってなどいなかった。
それどころか、スイッチが切り替わったかのように異形へと冷静な視線を向けている。
「……まだ逃げ遅れた人がいるかも知んねぇだろ。そんな人を助けにいかねぇとならねぇ。」
「え!? でも、レッくんは武器なんて……!?」
キューの言う通り、街に出かけるだけのつもりだったレクスは、黒嵐もデイブレイクも持ってきていなかった。
街の中で魔獣が出るなど、依頼を受けていた訳でもなかった為、レクスは想定などしていなかった。
故に、レクスは完全な丸腰だ。
デイブレイクも、黒嵐もないレクスが魔獣の闊歩する中に飛び込もうとするなど、無謀も良いところだろう。
だが、レクスは。
「……武器がねぇ? それでもあっちに向かわない理由にゃならねぇよ。憲兵や冒険者が来るかも知んねぇけど、それまでに逃げ遅れた人が死んじまうかもしんねぇんだ。……それだけは、避けなきゃならねぇだろ。」
ちらりとキューに視線を送り、真っ直ぐ真剣な目で呟いた。
レクスの中に、目の前の異形から逃げるなどという選択肢ははなから消えていた。
その場に、失われるかもしれない何かがある、と思うと、居ても立ってもいられないのだ。
そんなレクスの視線に、キューははぁ、と呆れたように溜息をついて、肩を竦めた。
「……まあ言っても聞かないことは分かってたけどさぁ! いいよ! 行こ! レッくん! ……このあとハニベアで、甘い物奢ってもらうからね!」
「ああ。お安い御用だ。……戦えなくたって、時間稼ぎくらいは出来んだろ。」
諦めたようなキューの声に、レクスは小さく頷いて腰を屈めた。
レクスは抱え込んでいたクオンに視線を落とす。
クオンは不安そうに、レクスを見上げていた。
「……クオン。俺は向こうまで行ってくる。クオンは……。」
「嫌、なのです。……兄さんがあの化け物の所へ行くなら、わたしも行くのです。」
「クオン!?」
レクスの声を遮ったクオンに、レクスは目を見張った。
クオンは弓矢を携行していないどころか、今の状態でレクスとともに異形へ挑むなど、無謀にも等しいと言えた。
だが、クオンの瞳は震えていなかった。
それどころか、レクスに向けて強い意思の籠もったような目を返しているほどだった。
「わたしは、逃げないのです。……兄さんの隣にいるのなら、逃げたく、ないのです。戦えなくても、避難の誘導くらいならできるのです。……だから、兄さんが嫌と言っても、わたしも行くのです。」
クオンの言葉に、逡巡している暇などなかった。
こうしている間にも、化け物から逃げ惑う人々が我先にとレクスたちの側を駆け抜けているのだ。
「……わかった。……なるべくあれに近づくなよ。」
「大丈夫、なのです。」
レクスの言葉に、クオンもこくんと頷いていた。
そうして、レクスは落ち着いた様子でおもむろに立ち上がる。
ちらり、と後ろを見た。
彼女たちを、置いて行くわけにはいかなかった。
それどころか、彼女たちはクオンのように着いてこようとするだろう。
レクスに向けられた彼女たちの想いを、レクスはダンジョンで気付かされたのだから。
ならば、レクスがかける言葉は一つだった。
「……皆。力を、貸してくれ。」
静かに、されど響くようにかけられた言葉。
カルティアたちは、力強く肯いた。
◆
「みんなぁー! 逃げてぇー! ここは危険だよぉー!」
少々間延びしたような、されど緊迫した声が異形の闊歩する広場に響いていた。
広場の石畳の上に散乱した商店の物品や靴の中で、身体の線を隠すよう白いシスター服を着た黒髪の少女が、必死に声を上げている。
透きとおるような紫水晶の瞳で人々を異形から逃がすように駆け回っていた。
少女の名は、ネリー。
レクスが入ったダンジョンで、同じパーティメンバーであるハンナと共に、レクスによって助けられた少女だった。
ネリーは偶然、お世話になっていた孤児院の伝手で、広場で行うイベントのお手伝いを冒険者ギルドから依頼されていたのだ。
ガリズやニック、ハンナやフェミルたちは討伐依頼に出ており、別行動だ。
イベントの最中、唐突に起こった異形の出現にいち早く気が付いたのは、スキルによって危険を予知したネリーであった。
泣き叫ぶ孤児院の児童たちを大人に預け、ネリーは広場に留まって異形から人々を遠ざけようと奮闘していた。
ネリーの専門は小級の「聖魔術」であり、戦う術を持っていなかった。
されど、ネリーはそれでも逃げる気にはなれなかった。
(……あの人ならぁー。こうするはず、だからぁー。)
異形たちの視線を誘導するように、走り慣れていない身体をネリーは懸命に動かす。
石畳に打ちつける脚の痛みにも、怯んでいられなかった。
何故ならネリーの頭の中には、自身をダンジョンで救ってくれた恩人の姿があったからだ。
自身を助けてくれたレクスならばこうするだろう、と。
そう思えば、見たこともない四体の異形であろうと、ネリーの心に恐怖はなかった。
冒険者として培ってきた経験から身体を奮い立たせ、その脚を止めずに異形の周囲で走り回る。
はぁ、はぁと息が上がる。
だが、足を止めればそこで終わってしまうのだ。
ちらり、と異形たちに視線を向ける。
異形たちはネリーを追いかけるように、身体を右往左往させていた。
(……たぶんー。あの魔獣は動きが遅いよねぇー。この騒ぎだもんー。冒険者の誰かがぁー、来てくれるはずぅー。それまではぁー、頑張ら、ないとぉー……。)
そう思いながら、ネリーが正面を向いた。
その時だった。
「……ままぁ……、何処ぉ……?」
「……う、そぉー。」
ネリーの顔が、さぁっと青褪めた。
この騒ぎで、親と逸れてしまったのだろう。
ネリーの視線の先に、泣きじゃくる一人の男の子がぺたりと座り込んでいた。
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