或る少女の其の後
「……ごめんなさい!」
ドン、と木製のテーブルに頭のぶつかる乾いた音が、昼下がりの店内に響き渡った。
あまりにも音が大きかったのか、店内で飲食をしていた客たちが一斉に、音のしたテーブルの方に目を向ける。
音がしたのは、陽射しの射し込む窓際の、二人がけのテーブル席だ。
男女のペアが、対面で座っていた。
檜皮色のツインテールをした少女が、対面の男に頭を下げていた。
少女は神官風の白いローブを身に纏っていた。
椅子の傍らには自身のものであろう木製の杖を立て掛け、振動によってかチリン、と杖先の装飾が揺れた。
対面に座る男は、金髪の髪をショートに纏め、少し襤褸けた上着と軽いプレートアーマー、カーゴパンツというような如何にも「冒険者」らしい格好だ。
橙色の双眸を驚いたように見開いて少女を見つめていた。
少女の頭突きでテーブルの上が揺れ、コップの水が波紋を立てていた。
まだ客の絶えない王都で評判のレストラン内には、多くの客がひしめき合う昼下がり。
バターやスパイスの芳香と人々の喧騒が混ざり合い、未だに店員は忙しなくオーダーと配膳にてんやわんやしているようだった。
だからこそ、少女がテーブルに頭突きをかました音は店内に響き、客の注目を集めてしまう結果となった。
「お、おいアキナ!? め、目立つ! 目立つって!」
男が慌てて宥めようと声をかけるが、ローブの女性はずっと頭をテーブルに擦り付けたままだ。
端から見ればよくある痴話喧嘩にも見えるだろうその光景に、周囲の客はひそひそと囁き合う。
まるで針の筵にいるような気分を味わった少年は、目の前の少女の肩を叩いた。
「わ、わかった、わかったから……頭を上げてくれよ、アキナぁ……。」
困ったように声をかける少年につられてか、少女はゆっくりと顔を上げた。
少女の眦は泣き腫らしたように赤く、額は頭を打ちつけたからだろうか、真赤に染まっていた。
少年の幼馴染である「アキナ」という少女は、幼馴染であることを加味しても、美少女と言える程に成長していたのだが、今は泣き腫らしたせいかその美貌も少し崩れていた。
「……リヒトぉ……ごめんね。私、わたしぃ……。」
「と、とりあえず何があったんだ? 説明してくれよ、アキナ……。」
とりあえず頭を上げたアキナに安堵しつつ、リヒトと呼ばれた少年は椅子に腰掛け直した。
それは、クオンが病院の屋上から飛び降りかけた日の昼のことだ。
冒険者ギルドに立ち寄ったリヒトだが、偶々幼馴染であるアキナに出会い、「話したいことがある」と真剣な表情をされて連れてこられたのだ。
リヒトにとってアキナとは元々一緒にパーティを組み、共にクエストを熟した間柄。
十数年の付き合いであり、恋心が芽生えるのは当然のことであったかもしれない。
だが、言い出せもせずにずるずると引っ張ってきてしまった。
そんなアキナに数日前、「パーティを抜けたい」と言われた時はショックを隠しきれなかったことは、リヒトもよく覚えていた。
互いに酷く罵り合い、大喧嘩になったことも覚えていた。
その言い分は「勇者に運命を感じたから」というものであり、リヒト自身も愕然として苛立ちと共にアキナに詰め寄ってしまったのだ。
大喧嘩の末にパーティは解散し、二人は別の道を歩んだ筈だった。
アキナの行方を受付嬢にこっそり聞くと、どうやら勇者とダンジョンへ踏み込んだらしい。
「アキナがいない」という事実をなかなか飲み込めず、クエストを受ける気にもなれなかった。
だが、何故か今、二人は一緒にレストランへと入っている。
しかもその上で、席に着いた途端にアキナから謝られる始末だ。
訳もわからず戸惑うことは、必然だっただろう。
肘をくすんだテーブルに付けて、リヒトは頭を押さえた。
ふぅ、と深い溜息がこぼれ落ちる。
リヒトの表情に、アキナはすんすんと鼻を啜っていた。
リヒトは困惑しつつ、口を開いた。
「……アキナ、本当に何があったんだ? いきなり謝られても、その……。おれもどうしていいか、わからないんだけど。」
「……ごめんね、リヒトぉ……。本当に、ごめん……。」
「アキナ……だから……。」
「あのね、リヒト。信じてくれないかもしんないけど、私……ダンジョンで死んじゃいそうになって……。」
アキナの言葉に、リヒトは大きく目を見開いた。
「は!? あ、アキナが死にそうになったのか!? け、怪我とかないのかい!?」
唖然とした表情を見せるリヒトに、アキナは首を横に振るう。
「ううん。大きな怪我はなかったんだけど……でも、その時にわかったの。……ずっと、私をリヒトが守ってくれてたんだって。わがままを言ってもついて来てくれる、リヒトが傍にいたんだって。全然気が付いてなかった。私、そんなリヒトに散々酷いこと言っちゃったなって……本当に、ごめんね。」
「け、怪我とかないなら良かった……。でも、勇者が助けてくれたのか?」
「ううん。助けてくれたのは、勇者様じゃなかった。助けてくれたのは、同い年位の男の子だったの。……確か、レクスくんっていう、傭兵の男の子だったよ。」
「よ、傭兵だって!? あ、アキナ酷いことされて無いよな!?」
リヒトが素っ頓狂な声を上げて、アキナを見つめる。
冒険者ギルドでは、「傭兵」という存在は諸悪の根源と言われる位にまで、酷い噂が立てられていたからだ。
しかし、アキナは「ううん」と首を振った。
「そんなことないよ。レクスくんは、私に酷いことなんて一つもしなかったよ。……むしろ、すごく気を使ってくれた。同い年くらいなのに、全然違った。婚約者もいるから頑張らなきゃって言ってたし。」
ちろちろと目配せするアキナに、リヒトはほっと胸を撫で下ろす。
「そ、そう……なのか? おれはてっきり……。」
「え? リヒト、心配してくれたの?」
「ば、馬鹿言え。……無事で良かったって、そう思っただけだ。危なっかしいからな、お前はいつも。……で、言いたいことってそれだけかよ? アキナ。」
「……違うよ。私がリヒトをここに連れ出したのは、謝る為だけじゃないから。」
少し照れくさくなって頬を染めたリヒトは、アキナをちろちろと見ながらコップの水を呷った。
神妙な様子のアキナだが、リヒトにとってはあまり気にしていなかったことも事実だった。
アキナからかかる言葉は、分かりきっていた。
妙に熱くなった体温を冷ますように水を呷って、アキナへと耳を傾ける。
少し頬を赤らめたアキナが、口を開いた。
「ねぇ、リヒト。……私たち、もう一度やり直さない?」
その言葉を、リヒトは予測していた。
アキナから呼び出された要件など、リヒトにとってはそのくらいしか思いつかなかったからだ。
一度は勇者に懸想して、アキナはリヒトから離れたことは間違いない。
アキナ自身がまた別の誰かにふらっとついて行く、なんてことを考えたら信頼していいかも迷うほどだった。
しかし、リヒトも寂しさを感じていたのは事実だった。
リヒト自身、頭も十分に冷えていた。
「……わかった。アキナと俺も考えは一緒っぽいし。……全く、アキナはいつも俺ばっかり頼ってるよな。パーティの当てがないからってよ。……はぁ、これが最後だからな? 次はないぞ、アキナ。」
パーティの再結成。
そうだと思って、リヒトも仕方なさそうに首を縦に振った。
だが、また誰かにアキナが靡くのではないか、と。
そんな怖れがあったのも確かだろう。
照れ隠しも含めながら、リヒトは溜息混じりにアキナに横目を向けた。
一方のアキナは、リヒトの放った言葉にぽっと頬を真赤に染め上げていた。
「ま、まさかリヒトが……私のことをそこまでわかってたなんて……嬉しいよ。リヒト。」
「お前の幼馴染何年やってると思ってんだ。……今更だろ。」
照れたようにぽつぽつと話すアキナ。
リヒトはやれやれと半分諦めたように言葉を返しながら、再び水を呷った。
「……嬉しいよ、リヒト。……私を選んでくれて。」
「大げさだろ? 何言って……。」
「私、リヒトの為に頑張るから。……リヒトの、お、お嫁さんとして。……これからもずっと、宜しくね。リヒト。」
照れくさそうに、されど嬉しさを抑えきれないように、アキナがはにかむ
ぶふっ、と。
口に含んだ水をリヒトは勢いよく噴き出した。
幸い下を向いていたからか、その水はアキナにはかからず、テーブルの上にぶち撒けられた。
「げっほ、ごほっ……。ごっほ……。おえっ……!?」
「ちょ、ちょっとリヒト!? 大丈夫!」
急に噎こんだリヒトを前に、アキナは慌てて身を乗り出した。
すぐに席から立ち上がると、リヒトの背をぽんぽんとたたく。
そんなアキナに対し、リヒトはくるりと顔を向けた。
「お、おまっ!? い、一体何を……考えてるんだ!?」
「え、えっとね。……やっぱり私、リヒトが好きだから。……ダンジョンのなかでさ、死にかけた時にリヒトの顔が浮かんだの。その時、「ああ、私、リヒトじゃないとダメなんだ」って。そう、思ったんだ。」
「で、でもだからって……結婚……ってのは、は、早すぎないのか? お、おれも心の準備が……。」
「……なに、リヒト……私と結婚するのは……嫌、なの……?」
アキナの眦が、しゅん、と元気なく下がった。
そんなアキナに対し、リヒトは釈明するように首を振るった。
「い、いやそんな訳ないだろ! ……俺だって、アキナのことは……その……好き、だし。で、でも結婚なんてそんな……。」
「……そっか。リヒトも私のこと好きなんだ。嬉しいな。……なら、尚更だとおもうよ。私、リヒトを誰にも取られたくないから。……リヒトだってそうでしょ?」
アキナの可愛らしい声に、リヒトは頬を染めながら頭を掻いた。
アキナもリヒトの仕草を見て、にししっと微笑む。
彼女もリヒトとは、同じ程の付き合いなのだ。
リヒトは、観念したように項垂れた。
「……わかった。……まさかこんなアキナがこんなことを言うなんて、思ってもなかった。」
「そうかな? ……私は偶々自覚しただけ。もしもダンジョンで死んでたら、こんな風にリヒトに話せなかったから。」
「……そう、だな。」
リヒトはアキナの言葉を思いながら、頭に手をやった。
アキナと結婚するならば、いろいろな手筈を整えなければならない。
自身の身の振り方や、冒険者の仕事など、いろいろと変えざるを得ないといけないことが多くあるだろうからだ。
だが、そう思い悩むのはリヒトにとってさほど苦ではなかった。
ようやく長年の恋心が叶うのだ。
それぐらいであれば、リヒトは幾ら考えてもお釣りが来るほどだった。
「……それじゃ、レクスって傭兵に感謝しなきゃな。でも、流石に急に結婚ってのはな。もっと恋人みたいなこと、したかったんだけど……。」
「なに? リヒトと私、もう恋人みたいなものでしょ。長い付き合いだし、さ。……あ、そーだリヒト。」
「なんだよ、アキナ。」
「結婚して落ち着いたら、一緒にカフェでも開こ? スキルも活かせるしね。」
アキナの提案に、リヒトはくしゃりと笑みを零した。
「……何だよ、唐突に。……でも、それも良いかもしれないな。危なっかしい冒険者よりは、よっぽど俺たちに似合ってる。」
アキナのスキルは「絶対味覚」、リヒトのスキルは「研ぎ師」という、二人ともに戦闘とは特に関係のないスキルだった。
アキナもうんうんと頷きながら、くしゃりと笑う。
「でしょ? ……やろうよ、リヒト。」
「ああ。……そのためにも、依頼をこなさなくちゃな。……開店資金って、幾らかかるんだ……?」
「細かいことはいいでしょ。……出来るよ、私たち二人なら。」
「……それもそうか。今考えたって、仕方ないな。いつもそうやって、俺たちはやってきたんだし。」
二人ともに、顔を合わせてくすくすと笑い合う。
それは、王都のなかで小さな幸せが実ったという、そんな瞬間だった。
何処にでもあるはずの小さな幸せが幸せだったことに気づいて笑い合う、何処にでもあるはずの瞬間。
噛み締める二人の表情は、幸せに満ちていた。
「……そういや、カフェの店名とかどうするんだ?」
「あ、そうだね……一応希望はあるんだけど。」
「ん? 何だよ?」
「えーっと、ね。「カフェ・レクス」にしようと思うの。私を助けてくれた、傭兵の子にあやかってさ。」
「「カフェ・レクス」か。……いいんじゃないか? アキナを助けてくれた、俺にとっても恩人だって事だ。」
再び一致した意見に、二人はにやりと口元を上げる。
「レクス」。
その名前が世間に知れ渡るのに、そう時間は掛からないのかも……しれない。
お読みいただき、ありがとうございます。




