再会は予想外で
空中を浮遊していたキューに、レクスは己が目を疑いつつも、目を見開いた。
風に髪を揺らす妖精は、靡く髪とスカートを手で抑えていた。
それはどうやらクオンも同様であったらしく、戸惑ったように目を丸くしている。
大きな音を地面に響かせ、儚くも崩れ落ちたダンジョンの岩山を背に、キューはふよふよと鱗粉をきらめかせてレクスの前に舞い降りた。
轟音に等しい地鳴りと揺れが、嘘のようにピタリと収まる。
ダンジョンの岩山があった場所にはただの崩れ落ちた岩塊とボロボロとした土くれだけが残っていた。
舞い上がった土煙も、荒野を吹き抜ける微風によって流されていく。
そこにダンジョンの入り口があったなどとは到底信じられないような光景だけが、レクスたちの目の前に拡がっていた。
レクスの目の前に浮かぶキューは少し気恥しいのか、声をかけづらそうに口元をもにょもにょと動かしていた。
透き通る翅に、舞い散るきらきらと光を弾く鱗粉。
衣装も、浅葱色の髪も、玉蜀黍色の目も。
ありありと、キューが”そこにいる”という事実を如実に語っていた。
抱えていたクオンを下ろし、その場に立たせる。
ゆっくりと立ち上がったクオンも、翡翠色の眼差しを驚きと共に、キューへと向けていた。
「……キュー? お前……。」
「あ、あははー。……なんか、出れちゃった。ぼくも、あんだけ言っちゃったあとだからさー。ちょ、ちょっと恥ずかしいんだけど……。」
「キューさん……。ど、どうやって出て来たのです?」
「いやー、それがぜんっぜん分かんないんだよねー。なんかレッくんたちを見送ろうとしたらさ、ずんずんと身体が引っ張られて前に前に出ちゃってさ。吃驚しちゃって慌てて飛ぼうとしたけど、引っ張られてて身体も動かないし。……それで、気が付いたらダンジョンの外に出ちゃった。……なんでだろうね?」
気恥しいように目を細めながら、キューは頭を掻く。
レクスの中にも、心当たりなど一切なかった。
キューを迷宮の外に出す方法など、誰に聞けるわけもなければ、ついぞ思いつく事も出来なかったのだから。
レクスの前を飛ぶ精霊に気が付いたのか。
驚きを隠せない目つきをして、アオイとレインもレクスの傍へと歩み寄った。
いるはずのないものを目にして、じっとキューを見つめていた。
「…キュー。…出られたの……!?」
「キューさん!? だ、ダンジョンから出られないのではなかったです!?」
「い、いやー。それがぼくもわかんないんだよね。てっきりそうだと思ってたんだけどね……。」
「たはは」と笑うキューが、恥ずかしげに左手で頬を掻く。
その時、ふとキューの指を見たレインが、可怪しそうに首を傾げた。
「キューさん。……左手に何か付いてるです?」
「……え? 左手? そだっけ?」
掻いていた左手を、キューはおもむろに顔の前で拡げる。
レクスたちも、キューの視線の先にじっと目を凝らした。
レクスたち、普通の人間と比べてものすごく小さな掌。
その左手の薬指。
ぐるぐると乱雑に巻き付いた、鎖のようなタトゥーが見えた。
タトゥーをその瞳に映した瞬間、キューが怪訝そうに目を細めた。
嫌そうに顔を引き攣らせている。
「……え。何これ? うわぁ、趣味悪……。というか、気持ち悪……。ぼくの手にこんな変なのあったっけ?」
「…うちも、知らない。」
「あちしが見た時、そんなものはなかったです。」
キューの声に、レインはふるふると首を横に振った。
レインが言うのであれば、間違いないだろう。
レインはキューを見て妖精だとはしゃぎ、その身体をじっと観察していたからだ。
怪訝な顔を浮かべるキューにレクスはずいっと近づいた。
視線を細め、眦に皺を寄せて、レクスはキューの左手を注視する。
「そんじゃ……いつ付いたんだ、それ……?」
「……さぁ? ……もしかして、僕がレッくんと一緒に行きたいって言ったから……?」
「それでダンジョンから出れるのか……? あまりにも簡単すぎんだろ……。」
「で、でも僕がしたことなんて……あ!? も、もしかしてレッくんと、き、キスしちゃったから……?」
顔をトマトのように紅潮させたキューが手で顔を覆い、ちらちらと指の間からレクスの顔を伺う。
レクスも何処か気恥しくなって、頬を紅く染めた。
「な……そ、そんな訳!?」
「で、でもでもそのくらいしかないよ!? ぼ、僕の初めてがきっかけ……!? はっ!? なら、これはレッくんとの婚約指輪!? て、手が早いよレッくん! ちょ、ちょっとデザインが性に合わないけど……ぼ、ぼく、まだ心の準備が……。」
「お、おいキュー!? そんな突拍子もない事……。」
慌ててレクスが言葉を言いかけた瞬間。
レクスの背筋に、ずぞぞっと極寒の寒気が走る。
「…レクス? …説明、して?」
「……あちしたちに黙って、お嫁さんを増やすです……? カルティア様とマリエナかいちょーに黙って、現地妻とは……良いご身分です……。」
背後から、突き刺すように鋭い、氷河の中にいるような声が響いた。
本当にいるわけではないが、少なくともレクスにはそう聞こえた。
顔を引き攣らせ、ギギギギ、と油の切れた扉のように首を後ろに向ける。
そこには。
目の色を変えて、絶対零度の視線を携えた二人が、レクスの目をじっとりと見据えていた。
あまりの怖気に、レクスはごくりと唾を呑み込む。
ダンジョンの中にいた屍骨龍と対峙した時よりも、レクスにとってはよほど恐ろしかった。
「お、おい……? 二人共……?」
「…言い訳、聞くよ?」
「分かるようにご説明を願うです。」
「ちょ、ちょっと待ってくれって! 俺もまだ整理がついてねぇんだ! ……てか、そもそもキューって魔獣じゃねぇのか?」
「…例え魔獣でも、キューは可愛いから。」
「……レクス様、知ってるです? 世の中にはドラゴンと結婚する話もあるです。キューさんも……。」
ずいっと顔を近づける二人の剣幕に、レクスはたじろぐことしか出来なかった。
言い訳など思いつく筈もない。
キューと別れ際に口付けを交わした事は、れっきとした事実なのだから。
そうしてじっとりとした顔でレクスに顔を寄せた二人だったが、何かを見つけたのか、アオイがひょこりと首を傾げた。
「…? …レクス。…それ、なに?」
「ん……?」
アオイがおもむろに人差し指を向ける。
アオイが指を差したのは、レクスのズボンにつけられた、腰ポケットだった。
よくよく目を凝らして見てみると、レクスのポケットから、極わずかに見えるか見えないかと言えるくらいに細い、一筋の赤い光が真っ直ぐのびていた。
一筋の光の先を追って行くと、光はキューの奇怪なタトゥーへと繋がっているようだった。
(……ポケットになんか入れてたか?)
特に何も思い当たらなかったが、おもむろにレクスはポケットに右手を入れ込む。
ポケットを探ると、こつん、とレクスの指先に冷たいものが当たった。
指先で摘み、ポケットから引き抜く。
それは、金属で出来た指輪だった。
装飾の類もない、ただの指輪。
レクスの指先は、シンプルなデザインの銀色に輝く指輪を摘んでいた。
「にいさん、それは……?」
「…何、それ? …指輪?」
「何処にでもありそうな指輪です。何処で拾ったです?」
三人はレクスの手の中にある指輪をじぃ、っと覗き込む。
「こりゃ……あの時の……。」
レクスはその指輪を目にすると、ふっと記憶が蘇った。
アキナたちと行動していた時、宝箱のような魔獣から出て来た指輪だ。
あのときは結局使い道がわからず、ポケットに入れっぱなしであったのだ。
キューの指から伸びた赤い線は、真っ直ぐこの指輪に繋がっていた。
「これが……原因か?」
そう呟いた瞬間。
ふわ、とレクスの手の中にあった指輪が浮かび上がる。
一人でに浮かび上がった指輪はそのまま、導かれるように、レクスの右手の薬指にはまった。
指にはまった途端に、赤い線はぱっと消え失せた。
「……は!? どうなってんだ!? これ!?」
いきなりはまった指輪に驚き、レクスは指輪に手をかけた。
掌の力を込め、思いきり引っ張る。
だが、括りつけられたかのように、指輪はぴくりとも動かない。
「あ゛あ゛っ!? なんだ、これっ……!? びくともしねぇ……!?」
抜けない。
どれだけ力をかけても、その場にしっかり結いつけられたように、レクスの指から動かないのだ。
「ぬ、抜けねぇ!?」
「…もしかすると、それ。」
「呪いの装備……ってやつ、です?」
呪いの装備。
それはまことしやかに王国で存在を囁かれている、手放せない曰く付きの武器の総称だ。
「……嘘、だろ? おいおい……!?」
口元を引き攣らせ、焦りを感じたレクスがどれだけ力を強く引こうと、指輪は全く動かなかった。
そんなレクスの首筋を、誰かがつんつんと突く。
顔を向けると、少し言い淀むように目を泳がせているキューが、すぐ傍まで来ていた。
「……ね、ねぇねぇ、レッくん。」
「ん?どうしたんだキュー?」
「あ、あのさ、なんかレッくんからぼくに魔力が流れ込んでるんだけど……。これって……何?」
キューは魔力の流れを目で追うことが出来る。
それは屍骨龍との戦闘や、クオンの捜索に役に立ったことから、その正確性はレクスの疑いようも無かった。
レクスはキューの言葉を受けて、まじまじと指輪を見つめる。
陽光を反射し、見てくれは何の変哲もない指輪は金属特有の光沢を放っていた。
引き抜く事も出来ずどうしようもない指輪に、レクスは困惑して眉を顰めた。
「……本当かよ。それじゃ、つまり……どういうこった……?」
不可解な出来事の連続に、何が起こっているのかもわからず、レクスは頭を抱えた。
心なしか、頭痛までしてきているような気さえあった。
「…うちも、全く見当がつかない。…カルティアやマリエナなら、何か分かるかな?」
「確かに、カルティア様なら、王国の宝物を知ってるはずです。マリエナかいちょーもビッくんがいますし、もしかすると知ってるかもしれないです。」
「……はぁ。まあ、とりあえず、だ。」
考える事が面倒になったレクスは、煤まみれの頭をガシガシと掻きむしりながらも、傍にいたキューに視線を向ける。
どうしたらいいのか分からないのか、キューはおろおろと視線を彷徨わせていた。
不安なのだろう。ダンジョンで潰えると思っていた命が、突然の出来事によって繋がってしまったのだから。
そんなキューに向け、にっ、とレクスは歯を出して微笑んだ。
「……また会ったな。キュー。……おかえり。」
レクスの言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべるキューだが、すぐに満面の笑みへと移り変わった。
「……うん。……ただいま、レッくん!」
大きく肯くキューの眦には、再び輝くものが浮かんでいた。
レクスが手を差し出すと、キューはレクスの指をとって握る。
とても小さな掌には、確かな温もりをレクスは感じていた。
どちらともなく握手を離し、レクスは踵を返そうとした。
瞬間。
ぐわん、と。
レクスの視界が、大きくブレた。
(……なん、だ……こりゃ……?)
同時に、みしみしと締め付けられるような頭痛がレクスを襲う。
頭を金属の輪っかで締め付けられているような気さえしていた。
あまりの激痛に、レクスは右手で頭を押さえた。
身体が、ふらりと揺れた。
倒れ込もうとする身体を、踏ん張ってどうにか抑える。
「…レクス!? …どうしたの!?」
「レクス様!? しっかりするです!」
「れ、レッくん!? どしたの!?」
「に、にいさん!? しっかり!」
四人それぞれの声が耳元で響くが、レクスは頭の中をぐわんぐわんと揺さぶられるような不快感が勝り、返事すら返せなかった。
(……やべ……、また、しんぱい、かけちまう……。)
激しく伝う頭痛と不快感で、レクスの足元はふらふらと覚束ない。
そして。
(……だめ、だ。)
ふっ、と。
一瞬のうちにレクスの意識は、宵闇に刈り取られた。
お読みいただき、ありがとうございます。




