迷宮の救命
「……行くか。」
レクスの声に、アオイとレインは静かに肯く。
土で出来た規則正しい階段を、一歩一歩、レクスたちは踏みしめるように上がっていった。
土くれを踏み、僅かに沈みこんだような感触が、レクスの足の裏へ明瞭に伝わる。
ダンジョンの中は硬い岩盤のようであり、全く異なる土くれの感触によって、ダンジョンから出たという実感がうっすらと湧き上がっていた。
射し込む光は、階段を登るごとにだんだんと強く、光を増していく。
そして。
階段の最後の一段を登りきり、レクスたちは陽の下に出る寸前まで歩を進めた。
あともうほんの少しだけ進めば、光射す出口から外に踏み出す事が出来るだろう。
久しぶりの陽の下の空気に、レクスは少し、心を躍らせていた。
だが、同時にしめやかな気持ちも湧き上がる。
原因は、はっきりとわかっていた。
「……お別れ、だね。」
耳元で、ぽつりと声が響いた。
何処かしんみりとした、落ち着いた口調。
いつも騒ぎ立てる彼女にしては、似合わないとすら思えた。
「……そう、だな。さよならは言わねぇぞ。」
「うん。またね、レッくん。クオンちゃんも。」
「ああ。またな、キュー。」
「……また、なのです。キュー、さん。」
クオンも少しだけ、声を震わせながら返した。
顔を伏せ、その表情は見えない。
だが、クオンもキューに対して、言いようもない思いが溢れているようでもあった。
レクスとクオンの声と同時に、キューがレクスの眼前に飛び出した。
にこにこと笑ってはいるが、何処となく玉蜀黍色の瞳を潤ませて、眦が光っているようにも見えた。
「……だから、これは約束とお礼。レッくん。ぼくのこと、ちゃんと覚えててね?」
ぱちん、とウインクを飛ばしたキューはレクスの口元に近寄った。
目を閉じて、顔を寄せる。
「……ん。」
レクスの口元に、唇を落とした。
ほんの僅かに感じた、柔らかい感触と熱。
だが、それも一瞬のことだった。
すぐに沸騰したように真っ赤な表情で、レクスから飛び退くように離れた。
突然のキス。
レクスは唖然とした表情で、呆けたようにキューを見つめる。
「キュー、お前……。」
「……覚えてないけど、多分ぼくの初めてのキスだから。……絶対に、忘れないでよ? 忘れたら、恨んでやるからね。」
「……忘れたくても、忘れられるかよ。キュー。」
「……そっか。ありがとね、レッくん。」
最後ににこりと微笑んで、キューはレクスとすれ違う様に背後へ飛んだ。
後ろ髪を引かれる気持ちも、ない事はない。
だが、せっかくキューが笑顔で送り出してくれているのだ。
振り向く事は、なかった。
キューの想いを、無碍にしてしまうような気がしたからだ。
ふりふりと手を振るキューを背に、レクスたちは光の先へ一歩。
陽光の導く先へ踏み出した。
レクスたちを出迎えたのは、真夏の光だった。
蒸し暑いが、ダンジョンの中と比べて風もあり、非常に心地よい。
洞窟の外は、羊雲が数匹泳ぐ青空が広がっていた。
青空の下は、広大な荒野。
かなり先ではあるが、目の端にはちらりと白亜の姿を晒した、王都の城壁が顔を見せている。
ひんやりと涼やかな風が、レクスの頬を撫でながら汗を奪い取っていく。
小さく尖った砂利が、レクスの足を靴越しにつついている。
ダンジョンの中にはなかった、青臭いような緑の匂いが、レクスには何処か新鮮に感じてしまっていた。
レクスにとって、久しぶりの地上だった。
「……ようやく、帰って……これたのか。」
「出られ……たのです……?」
「…ふぅ。…暑かった。」
「本当です。あちしはシャワーでも浴びたい気分です。」
胸を撫で下ろしたレクスの声に、傍の二人も安堵したのか。
ふぅ、と溜息を溢していた。
そんなレクスたちの前には、数人の人だかりがあった。
全員、似たようなジャケットを羽織っている。
黒い制服のジャケットを着ているのは、ダンジョンに入る時もその場所にいた人物たち。
憲兵隊だった。
目を丸くして化け物を見たかのように指を指しているのは、レクスもよく知る人物。
帽子を被りなおし、おそるおそるレクスたちに近寄って来ていた。
「お、オメェら……帰って来たのか……!?」
「ああ。ただいま。……しっかりと帰ってきたぜ。マルクスのおっさん。」
「…ただいま。」
「ただいま帰ったです。」
憲兵隊長のマルクスが、これ以上ないほどに驚愕した顔をレクスたちに向けていた。
「……偽物じゃねえよな?」
「……なにいってんだ? マルクスのおっさん。」
眦をぴくりと動かすレクスに、マルクスはふぅぅと長い溜息を零していた。
「まさか……オメェが無事だったとは……。嬢ちゃんたちはともかく、レクス。オメェは勇者のガキが帰って来てから、三日も経ってんだ。悪いが、とっくに死んだもんかと思っちまったぜ。」
「勝手に殺すんじゃねぇよ。おっさん……。」
「……まあ、生きてて何よりだ。……これで俺も、ヴィオナの野郎にどやされなくて済む。」
「婆さんにも心配かせさせちまったな……。」
「いいや? アイツは「レクスが死ぬ訳ないだろう?」と高笑いしてやがった。……全く、心配する俺の気にもなれってんだ。」
「……悪ぃな。マルクスのおっさん。」
「でも、ま、結局はヴィオナの野郎の言う通り、オメェは帰って来れたんだ。胸を張れ。勇者の野郎が仲間を連れても出来なかった事を、オメェがやったんだ。……ようやく、俺たちも元の仕事に戻れそうだぜ。」
帽子に手をかけ、ふぅと肩の荷を下ろしたようにマルクスは息を吐く。
ぽん、と、マルクスがレクスの肩を叩いた。
にやり、と口元を上げたマルクスに、レクスもにやっと笑いを返した。
その瞬間。
レクスたちの立っている地面が、ぐらぐらと大きく揺れ始める。
「……な、何だ!?」
「こりゃ……地面が揺れてんのか!? ……全員伏せろ!」
「…地震?」
「な、何が起こってるです!?」
震え始めた地面に、レクスは脚を拡げ、クオンを抱く腕の力を強めた。
クオンは目を閉じ、ぎゅっとレクスの服を握っていた。
憲兵隊の面々はというと、すぐさましゃがみ込んで転ばないように耐えていた。
アオイとレインも憲兵隊と同じ様に姿勢を低くしている。
「…!?…レクス、後ろ!」
ちらと後ろを見たアオイの声に、レクスは首を後ろに回した。
がらがらがらと、先程までレクスが入っていた岩山が、中心を沈めていくように窪んでいく。
地響きを鳴らして、崩壊していっているのだ。
転がり落ちる岩の欠片と、地を這う砂煙がレクスたちに這い寄る。
(本当、碌でもねぇ場所だったな……。)
何人もの冒険者の命を踏み躙ったダンジョンの最期を、レクスは難しい顔で眺めていた。
ばらばらに崩れ落ちながら形を失っていくその最期は、あまりにも呆気ないとすら思えた。
(……キュー。)
崩落する岩山に取り残した仲間を、レクスは思った。
出会いこそは唐突だったが、レクスと共にダンジョンを連れ添い、確かな信頼がそこにはあった。
騒ぎ立てる事やうるさいような仕草もあったが、レクスにとってはキューの存在が非常に心強いものであった事は間違いなかった。
短い間ではあったが、仲間としてずっと連れ添ったような気すらしていた。
浅葱の髪を揺らし、少々煩い位の彼女を思うと、何処か虚しいような気持ちすら湧いてくる。
眦が、自然と下がった。
少しだけ、唇を噛み締める。
無意識だったが、声が口から漏れ出た。
「……ごめんな。キュー。」
「……え? なんで謝られたの、ぼく? ……あのさー、謝りたいのは、ぼくのほうなんだけど……。」
「………………は?」
聞こえる筈のない、さっきまで共にいた声が響く。
あり得ない声に、レクスは眉を顰めた。
声が聞こえた途端、理解が追いつかなかった。
声のした頭上に、レクスは目を遣る。
そこには。
ふよふよ、ふよふよと。
透き通る翅を羽ばたかせ、輝く鱗粉が舞い踊っている。
浅葱色の髪を踊らせ、くりくりとした玉蜀黍色の眼を輝かせながら。
別れた筈の妖精が、眩い陽の下で浮かんでいた。
あり得ない姿を空中に見つけ、鳩が豆鉄砲を喰ったようにレクスは目をぱちぱちと開閉した。
「ダンジョンから出ることは出来ない」。
そう言った筈のキューの姿が目の前にあることに、レクスは理解が追いつかなかった。
キューも、「あはは……。」と気不味そうに苦笑を浮かべながら、人差し指で頬をぽりぽりと掻いていた。
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