知らぬ部屋、知らぬ想い
「……レクス。これからレクスはお兄ちゃんだ」
「おにい、ちゃん?」
記憶の中の若い父親に手を引かれ、幼子は診療所のベッドある唯一の病室に足を運んでいた。
見せられたのは、翡翠の長い髪をした女性に抱えられた赤ん坊。
赤ん坊は白いおくるみに包まれ、心地よいのかすやすやと規則正しい寝息を立てていた。
白いベッドの傍で赤ん坊を抱えた女性は木の丸椅子に座り、慈悲を携えた眼差しを赤ん坊に向けて、優しく撫でさすっていた。
側にある丸テーブルの上で、一輪挿しに生けられた白い花が揺れる。
訳もわからず、幼子は父親の顔を見上げる。
父親は何時もと変わらない優しげな表情を浮かべているが、何処か嬉しそうな表情のようにも思えた。
確信があった訳ではない。
ただ幼子なりになんとなく、そう思っただけだった。
「……おにいちゃんって、なあに?」
「あー、そう、だね……。うーんと……。」
幼子の問いかけに、父親は顎に指を当てて悩む素振りを見せる。
目を伏せた後、うん、と頷くと、幼子と視線を合わせるように父親はしゃがみ込んだ。
目を合わせる。
映っていたのは、父親の赤い瞳だった。
「そうだね。……おにいちゃんっていうのは、弟や妹を守って、面倒も見てあげる、立派なひと……かな? まあ、僕が言えた義理じゃないんだけどね…。」
後ろめたそうに頬を掻き、苦笑を浮かべる父親。
幼子は訳もわからず、きょとんとした表情を父親に向けるだけだった。
「……おとうと、いもうとって、なに?」
「うーん……レクスより歳下の家族って言えば良いのかな?」
父親のその言葉を聞いた途端、幼子の真赤な瞳は大きく見開かれた。
「かぞく」
幼子は、その言葉には聞覚えがあったのだ。
一緒に家で過ごす存在であり、温かいもの。
それは、無意識に幼子が感じていたことだった。
「かぞくが、ふえるの!?」
喜色が混じった幼子の言葉に、父親は微笑みながら、こくん、と首を下ろした。
「うん、まあ……そうだね。……だからレクスにお願いがあるんだ。」
「なあに、おねがいって?」
父親は、優しい口調で語りながら、両手でレクスの肩を持った。
「お兄ちゃんとして、ちゃんと妹を見守るんだよ。」
父親から言われた、「家族を守る」という言葉。
幼子はよくわからなかったが、言葉の響きに肯いた。
「わかった。そうする。」
「うん。約束だよ、レクス。」
幼子に向かって、父親は赤い眼を細めて微笑む。
父親の顔を見た幼子はくるりと赤ん坊の方へ身体を向けた。
ぽて、ぽてと拙い足取りで赤ん坊の側に寄る。
翡翠の髪をした女性は柔らかく笑み、幼子を迎え入れた。
「そうか。お前も見たいのだな。私の子が。」
「うん。」
女性の言葉に頷き、幼子は赤子の顔を覗き込んだ。
うとうとと舟を漕ぐ、黒い髪が生え揃ったあどけない顔が幼子の紅い瞳に映り込む。
幼子が赤子をもう少しまじまじと見ようと、身を乗り出した。
瞬間。
ぱっ、と、赤ん坊が目を開いた。
幼子の目に映った赤ん坊の瞳は、女性の髪と同じ翡翠。
何処までも透き通るような翠色に、幼子は目を奪われた。
無垢な表情と濁りない瞳に、心を鷲掴みにされたのだ。
それは、幼子が初めて「守らなけばならない」という思いを自覚した。
瞬間、だったのかもしれない。
◆
初めに感じたのは、白く眩しい光だった。
瞼を貫通し、その下にある眼球を光が刺激する。
「……う、ん……?」
煩わしく思い、目を開こうとした。
だがべっとりとした眼脂で瞼がくっついているのか、なかなか開かない。
やっとの思いで、ゆっくりと瞼を拡げていく。
白く眩しい魔導灯の光が、目を突き刺すように振り注いでいた。
染みるような光が、目に痛かった。
よくよく見ると、何か、が自身の目の前にいるように光を遮り、影を作っていた。
「あ、レッくん起きた。」
聞こえた声と共に目に映ったのは、浅葱色の髪と玉蜀黍色の瞳を携えた、ワンピース姿の妖精。
見覚えのある姿に、朧気ながら頭を覚醒させていく。
どうやら何処かに寝かせられているらしい。
そう気がつくのに、あまり時間は掛からなかった。
身体がじんわりと沈みこむ感覚を背に覚えながら、レクスはおもむろに瞼を開けていった。
「……キュー……?」
「ごめいとーう! ……あのね、レッくん。レッくんがダンジョンから出た瞬間に倒れちゃったんだけど……覚えてる?」
キューの甲高い声に、レクスはぼんやりと覚えている景色を頭の中で掘り起こす。
変な指輪の効果か何かでキューと再会したことまではどうにか思い出すことが出来た。
(……そうか。俺、あの時倒れちまったのか……。)
そう思うと、レクスの中で申し訳の無さが沸き立っていた。
心配などかけさせないと決めたのに、間違いなく心配をかけてしまった事は火を見るより明らかだ。
改めて自分の瞳に映る天井を見やる。
木目の流れるような天板は、レクスにとっては覚えがなかった。
寮の天井でなければ、アルス村の自室の天井でもない。
窓には白いカーテンが掛けられ、外の景色は伺い知る事は出来なかった。
窓は閉まっているらしく、カーテンが靡くこともなかった。
ぐっ、と腹に力を込めて上体を起こす。
身体に痛みなどは感じなかった。
ペンキか何かで白く塗装された木の壁が、レクスの目に映り込んだ。
どうやら着ているものは白く薄い布のようだ。
貫頭衣のようなものだろうか。
頬に手を当てると、手当されたのかガーゼが貼り付けられている。
包帯までは巻かれていない。
頭痛なども特に感じない。
白いシーツごとレクスが上体を起こしたことで、キューも少し下がる。
「ここは……?」
「あー、ここはねぇ。」
キューが口を開こうとした、その瞬間だった。
「レクスさん!? 起きられましたの!?」
「…レクス!? …起きたの!?」
「レクスくん!? 身体は大丈夫なのかな!?」
「レクス様!? 目を覚ましたです!?」
部屋の中で響くのは、聞覚えのある姦しやかな声。
声のした方に顔を向けた。
部屋のベッドのすぐ傍らで、カルティアたちが立っていた。
全員普段着のようで、レインに至っては何時も着ている黒いメイド服を身に付けていた。
カルティアは落ち着いた深い青のロングワンピース姿で、マリエナは少しむちっとした腿を曝け出すような紫のミニスカートを履いていた。
アオイは普段愛用している浴衣に着替えていた。
四人は目覚めたレクスを前に、ほっと安堵し、胸を撫で下ろしたような表情を見せる。
相当心配をかけたらしい。
そう思うと、レクスも何処か悪い気がしてきてしまう。
顔を上げて、四人を見渡した。
「皆……ここは、何処なんだ?」
「王都の病院ですわ。レクスさんが倒れられてから、憲兵隊のマルクスさんが手配してくださいましたの。」
答えたのは、カルティアだった。
優しく語りかけるような声は、寝起きのレクスへ、スッと入ってくるように聞き取りやすかった。
「そうかよ、マルクスのおっさんが……。」
「いきなりレッくんが倒れるんだもん。皆驚いてたよ。そこにいた皆もてんやわんやだしさー。」
「…レクスが倒れて、吃驚した。…心配、だった。」
「レクスくんが倒れたって聞いたから、わたしもいてもたってもいられなくて……。カルティアちゃんと一緒に、急いで駆けつけたの。」
「あちしも心配だったです……。お医者様の説明では、過労と寝不足だろうということだったです。ダンジョンから脱出したことで、緊張が解けたからだろう、と仰っていたです。特に大きな怪我はなかったとのことです。」
「過労と寝不足……か。不甲斐ねぇな。」
四人を見ながら、レクスは眦を少し落とした。
白いシーツを、ぎゅっと握り締める。
シーツに深く、皺が寄った。
レクスにも、心当たりはあった。
クオンを探そうと必死になっていたのだ。
おまけにクオンを見つけてからも、気が抜けない状態が続いていたことは言わずもがなだ。
寝ている余裕もなければ、あとはダンジョンの出口を探して遮二無二歩き続けていた。
休むこともあったが、それでも疲労を抜ききるのには足りていないということは明らかだった。
それらが積み重なり、ダンジョンから抜け出したレクスに限界が訪れたということだろう。
そう、レクスは解釈した。
顔を上げ、四人とキューに頭を下げようと口を開いた。
「……悪かったよ。皆。……ごめんな。勝手な事しちまってよ。」
「……レクスさんの気持ちも、わかっているつもりですわ。わたくしたちのことも考えておいでなことも。……ですが、わたくしたちも貴方と歩むことを決めた身ですもの。……少しは、わたくしたちを頼って欲しいですわ。」
「…カルティアの言う通り。…うちらも強くなった。…足手まといに、なりたくないから。」
「わたしたちはレクスくんに敵わないかもしれない。でも、わたしたちもレクスくんと一緒なんだよ。守りたい人が違うだけ。レクスくんがわたしたちを守りたいのはすっごく知ってる。だけど、わたしたちが守りたいのは、レクスくんなんだよ?」
「あちしも、足手まといが嫌だったから力を身に付けたです。レクス様のお傍にいるなら、何処だってお供するです。」
彼女たち四人の言葉に、レクスは胸の中に熱さが込み上げた。
嬉しいと同時に、申し訳のなさもあった。
カルティアたちの想いを、甘く見ていたのだ。
凛とした彼女たちは、レクスを想い、レクスの為に変わろうとしてくれている。
応えない訳には、いかなかった。
(……しっかり、しねぇとな。)
シーツから右手を離し、ぎゅっと握り締める。
改めて、目の前にいる四人に目を向けた。
答える言葉は、謝罪ではない。
それは、アオイとレインにも散々いわれたことだった。
真剣に四人を見つめ、頭を下げた。
「……ありがとうな。皆。……俺は、皆がいるから頑張れる。皆の力が必要になる時は、頼りにさせてくれ。」
それが、レクスなりの言葉と態度で示す、婚約者への誠意でもあった。
レクスの言葉を聞き届けた四人は、仕方がなさそうに。
けれど満足した表情で、微笑みを浮かべた。
「……もちろんですわ。わたくしの力はレクスさんの為、ですもの。」
「…言った筈。…旦那さまを助けるのは、大和の嫁の務め。」
「わたしは、レクスくんの力になりたいんだよ? 頼ってくれることが、うれしいんだから。」
「あちしもいるです。何処へなりと、お供するです。」
「……本当、感謝してる。アオイにも、レインにも助けられたし、カティやマリエナの想いも受け取った。……だから、その……ありがとう。皆。」
少々照れくさそうに頬を染めながら、レクスは口に出した。
視線を泳がせ、気恥ずかしさから四人に視線を合わせられなくなっていた。
そんなレクスの様子が可笑しく映ったのか、マリエナが「ぷっ」と吹き出した。
他の三人も、つられて笑いだす。
ぽりぽりと頬を掻くレクスを、キューがにやにやと歯を出して、小さな肘でレクスの頬をつんつんと小突いた。
「愛されてんじゃん。レッくーん。このすけこましー。やっぱり女誑しだったね。ぼくもそのつもりなんでしょ? ぼくはそんな軽くないよ?」
「……うっせぇ。茶化すなよ、キュー。」
キューの軽口に、ムッとした表情をレクスは向ける。
だがその時。
キューの薬指が、ちらりと目に留まった。
気を失う前と同じく、鎖を雑多に巻き付けたような、不気味なタトゥーが刻まれていた。
どうやら幻ではなかったらしい。
「……あ、そうだ。」
ふと、指輪のことが気になった。
思い出したように、レクスは右手を見つめる。
右手の薬指には、間違いなく銀色のリングがはまっていた。
おもむろに、レクスは右手を四人の前に差し出した。
「なぁ……この指輪、なんだか分かるか?」
レクスの右掌を、四人が見つめる。
すると、待っていたかのようにカルティアがコホンと咳払いを挟んだ。
「アオイさんとレインさんからお伺いしておりましたわ。……わたくし、その指輪は王宮の宝物庫で見かけたことがありますもの。」
「……価値の高ぇ、ものなのか?」
レクスの疑問に、カルティアは首を横に振った。
「いいえ。価値の高いもの……というか、曰く付きの代物、ですわね。」
「曰く付き……?」
「ええ。その指輪の名前は、「魔獣の指輪」。……魔獣と契約するための指輪ですわ。…契約期間は、一生、ですけれど。」
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