琥珀の忍者
薄暗い大空洞で、肌を焼くような熱気が漂う中。
駆け出したアオイの目の前には、数多の屍骨の兵が見渡す限り拡がっていた。
白骨の眼窩に灯った黒い怨念のような炎は、アオイに向けて冥土へと手招きしているようにすら見えた。
多勢に無勢。
普通であればそう思われても仕方のない状況だった。
幾ら強かろうと、圧倒的な物量に囲まれて押し潰されれば命はないからだ。
だが、アオイは。
全く屍骨の兵たちをこれっぽっちも恐れていなかった。
(…練度の低い雑兵と同じ。…全く問題も支障もない。)
屍骨の兵に飛び込んだアオイは、屍骨の兵をそう評価した。
(…これくらいなら、瑠奈の方がよっぽどこわい。)
ふぅ、と無意識に溜息が零れ出る程に、アオイは落ち着き払っていた。
身体を撫でる戦場の張り詰めた空気にも、肌を撫でる熱気の不快感にも、アオイは全く動じていない。
修練の時に只管しごかれたルナと対峙した方が、よっぽどアオイを青褪めさせていた。
そして、アオイの後ろには戦闘で消耗したレクスたちが控えている。
レクスの身体はアオイから見てもふらついていた。
額を伝って赤い血がぽたぽたと垂れている。
浅手の擦り傷や切傷もちらほらと見えている。
ダンジョンに入り、身を挺してクオンたちを守り抜いた傷だ。
(…うらやましい。)
アオイは正直にそう思った。
それほどクオンが大切に思われているという証明だからだ。
だが、アオイはアオイで守られてばかりということは、我慢がならなかった。
アオイ自身も、レクスに助けられた身なのだ。
阿楽祢と戦った時も、止め処ない恐怖心から救い出してくれた時も。
だからこそ、与えられてばかりでは公平ではない。
自らも、レクスの苦しみや悲しみを分けて欲しかった。
(…レクス。…大和の女は、執念深い。…覚悟、してね?)
知らない場所へ派遣され、つまらなかったアオイの日常を鮮やかな暖色に染め上げたのが、レクスなのだから。
だからこそ、全身全霊で恩を返す。
異性として好意を持っている婚約者ならば、尚更だ。
右手に、匕首を逆手で構えた。
左手には、愛用のクナイを逆手で持つ。
構えながら、手近な白骨の核に匕首の刃を添わせた。
◆
「……実は、アオイさんに教えることは殆どないんですよ。」
「…え? …どういう、こと?」
修練を始めた直後。
苦笑しながら答えたルナの言葉に、アオイは目を丸くして固まってしまった。
「…うち。…もうこれ以上は強くなれないの?」
「あ、違うんですよ! そういう事ではありません。気を落とさないでください。」
今にも泣き出しそうなアオイの震え声に、ルナは慌てて宥めるように手を振った。
「…じゃあ、どういうこと?」
「私から言わせて貰うと、アオイさんは基礎基本は既に完成されています。それを壊してまで新しい技法を取り入れようとすれば、以前の基礎基本が邪魔をしてしまいますし、時間がかかる一方です。……よほど大切に忍の技を教えて貰っていたのですね。全てが丁寧で、所作にも澱みがありませんから。」
「…そう、なの? …うちには、才能がなかったから。」
朗らかに笑いながら話すルナに対し、アオイの表情は少し沈んでいた。
妹のことを、思い出したのだ。
アオイの妹は、「忍術士」というスキルを持っていた。
アオイが覚えることに時間をかけた技術も、妹はいとも簡単に、手足のように扱えてしまうのだ。
それ故に、里で妹は天才と持ち上げられた。
アオイも妹に追いつこうと必死であったが、どうしても妹の方がスキルによって上達も早かった。
アオイはその差をまざまざと見せつけられて育っていた。
妹は「アオイ姉さまはムラサキより尊いお方です。ムラサキがアオイお姉様の代わりに出来ることがあれば、全てムラサキが代わりに行いましょう。アオイお姉様は何も出来なくともいいのですから。」と言ってくれることもあった。
だが、それでもコンプレックスは埋まらない。
誰一人、親類以外でアオイに寄り添ってくれる人物はいなかった。
すぐに妹を引き合いに出されてしまうから。
比べられて育ってきたアオイに、シノビとしての自己を肯定することは無理だと言えただろう。
思い出して暗い顔を浮かべるアオイに、ルナは首を静かに横に振った。
「……才能がない? 良いではないですか。」
ルナの言葉に、アオイは驚きとともに顔を上げた。
ルナは朗らかに笑ったままだ。
「それは伸ばし甲斐があるということです。例え才能が全く無くても、そこまで叩き上げた力はアオイさんの才能ですよ。……ここまで来れば、後はどう伸ばしていくかだけです。その方向は、アオイさんが決めるべきですから。」
「…そう、なの?」
「はい。私の戦い方や技術を、全てアオイさんが出来る訳ではありませんし、出来たところでそれが合うのかは話が別です。基礎基本が出来ていないなら私が教えてもいいのですが、アオイさんが自分の方向に気が付くことが大事なんです。方向を見つければ、その方向に進むだけです。……それだけで、貴女は壁を越えられます。」
「…うちの、方向……。」
「ええ。ですから……。」
とん、とルナは修練場の床を蹴り、アオイから離れる。
腰に据えられた匕首をゆっくり引き抜き、横一文字に構えた。
向けられた殺気に、アオイはびくりと身体を震わせる。
だが、それも一瞬。
アオイも太腿に備え付けたクナイを引き抜くと、ルナに鋭い視線を向けた。
その様子を見たルナは、にこやかに微笑む。
「……戦いましょうか。貴女の持ちうる全てを、私に叩き込んでみてください。そうすれば、見えてくるかもしれません。……アオイさんの、行くべき道が。」
「…うん。…行くよ、ルナ……さん。」
「”瑠奈”で構いません。……全力で、お相手いたしますね。」
アオイが、ルナへ駆けた。
同時にルナも飛び出す。
それが、アオイの受けた「修練」だった。
◆
(…今なら、瑠奈の言ってたことがわかる。…うちは、間違ってた。)
地獄のような修練を思い返しながら、アオイは宙に跳んだ。
添わせた匕首の刃を滑らせて、白骨の核を断ち切る。
勢いのままに、宙で回る。
翻した刃で、白骨を核ごと輪切りにする。
もう一方の手に握るクナイも、屍骨兵に差し出す。
握る骨の剣を、クナイで巻き取った。
無防備になった屍骨兵の頭を、脚で引き倒す。
そのまま、脚で核を踏み潰した。
消滅など、確認しない。
じゃらり、と。アオイの袖口から鎖が垂れた。
鎖分銅。グラッパの店で買ったものだ。
下から巻き上げて振り抜く。
絡み付いた。引き寄せて匕首で刈り取る。
硬質な手応えを感じた。再び鎖分銅を振る。
直接的に伸びた分銅。遠心力で伸ばし頭を砕く。
近くの屍骨兵が斬りかかる。遅い。
匕首を振るいながら、跳ね除けた。
蹴飛ばす。棒手裏剣を放った。深々と核に突き刺さる。
ここまで、アオイは屍骨兵に触れられることすらない。
「…今のうちに触っていいのは、レクスだけ。」
冷たい眼差しで、ぼそりと吐く。
向かってくる相手を、迅速に屠ること。
それがアオイの命題であり、求めたものだった。
匕首で切り込みながら、クナイで武器を剥ぎ取る。
棒手裏剣や手裏剣、鎖分銅も使いながら屍骨兵の攻撃を許さない。
アオイが求めた方向性は、一つ。
レクスと共に何者も寄せ付けない、「疾さ」だった。
それに気が付いた瞬間。
アオイのバラけていた部分が、一気に収束した。
何も忍術全てを極める必要はない。
今あるものに、自分だけの強みを足せばいい。
それを、アオイはルナの手によって気づかされた。
早く、速く、疾く、捷く。
動きを簡略化し、大胆に拡がらない。
アオイが目指した強さであり、レクスと共に戦う術。
それが、アオイが壁を超える為の鍵だった。
今アオイが振るう匕首も、着ている着物も。
今までの自分を超えた証として、ルナから餞別という形で受け取った物だ。
幾多もの白い骸骨兵を切り伏せながら、アオイは誇らしげに口元を上げる。
「…これで、並び立って戦える。」
思わず。
嬉しさが、口から零れ出た。
「…いくよ。…これが、うちの本気。…見ててね、レクス。」
アオイが呟いた瞬間。
その姿は、レクスたちや白い骸骨兵には五人に増えたように見えたことだろう。
全て、残像だ。
それほどまでに疾く動き回っている。
斬りつけ、蹴り上げ、砕き、突き刺す。
アオイは、止まらない。
全速力で、骸骨兵の数を減らしていきつつあった。
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