劇場の悪魔
ぱち、ぱち、ぱち、と。
寂しく響く拍手の音で、クオンはぱちりと目を開けた。
拍手はクオンの後ろから鳴り響いている。
音は一つ。
手を打っているのは、一人だけのようだった。
「だ、誰なのです!?」
クオンがいたのは、鄙びた劇場のような場所だ。
いつの間にか観客席の椅子に座っていたクオンは立ち上がり、暗がりの広がる後ろを振り返った。
薄い暗がりのような観客席の側。
煤けた紅いカーペットの道筋に一人、背の高い男性が立っていた。
男性はぴしりとのりの効いたカッターシャツを下に着て、黒い燕尾服を纏っている。
黒いシルクハットを被り、柄の曲った黒いステッキを肘にかけていた。
手の指を掌に打ち付ける拍手の音は、鄙びた劇場に虚しく響くだけだ。
こつ、こつと革靴の底を打ち鳴らし、クオンへとゆっくり歩み寄っていた。
「いやぁ、心がぁ、打たれますねぇ。」
ぽつり、と声が聞こえた。
何処か軽薄にも聞こえる、おちょくったような男性の声だ。
「あ、あなたは何なのです!? ここは、わたしの夢のはずなのです!」
戸惑いながらも警戒するようにクオンは身構えた。
あまりにも、怪しすぎる人物だった。
クオンの記憶をひっくり返しても、こんな男性は何処にも登場していない。
すると、男性は華麗な仕草でシルクハットを外してお辞儀をする。
長めの黒髪をした、男性だった。
「これは失敬でしたねぇ。申し訳ぇ、ありませぇん。あなたをどうこうしようという考えはぁ、ワタクシにはございませんのでぇ。」
お辞儀から戻した顔つきは、だいぶ整っている。
年の頃は二十代そこらだろうか。
狐のような細目から覗く赫い眼とその目つき、そして立ちふるまいからは何処か拭いきれない胡散臭さが醸し出されていた。
詐欺師と言われればクオンも納得してしまったかもしれない。
そんな似非紳士ぶった男性に、クオンの警戒心は非常に昂ぶっていた。
だが、この場にはクオンの身を守るものもなければ、クオンと男性以外には誰もいない。
クオンは身体を抱え込むように、身構えながら男性を注視する。
そんな中で、目の前の男性はわざとらしく肩を竦めた。
「おやおやぁ、警戒されてますねぇ、ワタクシぃ。」
「と、当然なのです! いきなりずけずけとわたしの夢を覗き見るなんて……なんなのですか!?」
「デリカシーにかけていたことはぁ、お詫びいたしましょうかぁ。……ワタクシぃ、通りすがりの者ですのでぇ、気にしなくて結構でございますよぉ。」
「し、信じられないのです! で、出て行ってくださいなのです!」
胡散臭い笑顔を貼り付け、恭しい口調で話す男性に、クオンは声を荒げた。
翡翠の瞳で睨みつけるクオンに、胡散臭い男性は人差し指でシルクハットをくいっと持ち上げ、わざとらしくにやりと口元を上げた。
「おやまぁ、あまり歓迎されている訳では無いようですねぇ。」
「あ、当たり前なのです! わたしの夢に入ってくる時点で怪しすぎるのです!」
「それはその通りでございますねぇ。ぐうぜぇん、散歩している時にぃ、であってしまったものですからぁ。クククッ。」
何処が面白いのだろうかとクオンは内心思いながら男性を睨みつけた。
飄々とした男性の仕草に、クオンは心をかき乱されるような感覚を覚えた。
しかし、男性は貼り付けたような笑みのまま、クオンに視線を向ける。
やれやれと言わんばかりに、掌を上に向けた。
「まぁ、長居は無用と申しますしぃ。それではワタクシぃ、退散させていただきますねぇ。……そうですねぇ、夢にお邪魔してしまったお詫びという訳ではありませんがぁ、一つだけお教えいたしましょうかねぇ。」
「な、なんなのです……?」
「貴女が死ぬことは許されませんよぉ。……彼がこの世にいる限りはぁ、の話ですけれどぉ。……どんな世界であってもぉ、彼が貴女の主人だということはぁ、変わらぬ事実ですからねぇ。貴女以外にもぉ、六にぃん、おりますけれどもぉ。」
胡散臭い男性は白い手袋をつけた手で、両手で指を六本立てて示した。
背筋を伝う気味の悪さを堪えながら、クオンは警戒を緩めない。
だが、その胡散臭い男性の言葉が、何処か引っかかっていた。
「それは……どういうこと……なのですか……?」
「例え神でも魔王でもぉ、宿命というものは変えることは出来ないのですよぉ。彼は貴女を見捨てられないですしぃ、貴女も彼から離れることは出来ないのですよぉ。それはぁ、後の六人も同じですけどねぇ。……彼はぁ、どんな世界であろうとぉ、「楔」なのですよぉ。「|我が心に、一点の曇り無し《クリアー・ザ・スカイ》」はそういうものですからねぇ。」
「「|我が心に、一点の曇り無し《クリアー・ザ・スカイ》」……!? それは一体何の話なのです……!?」
訝しみ、若干睨むようなクオンの目つき。
クオンには、意味が分からなかった。
「彼」とは誰なのか、自分以外の六人とは誰なのか。
肝心な部分が伏せられており、想像もつかなかったのだ。
それを目の前にして、胡散臭い男性は「ククク」と意味深に笑いを溢すのみだった。
「もちろぉん、彼の話ですよぉ。決して侵されることのない、防御壁とでも言いましょうかねぇ。防御壁であり、封印でもありますけどねぇ。それはつまり、愛されるからこそ前に立つという「想い」ですよねぇ。素晴らしい愛だとは思いませんかぁ?……おっとぉ、少々ぅ、喋りすぎましたかねぇ。」
男性はステッキをくるりと回し、踵を返した。
シルクハットに手を当てて、こつ、こつと革靴の音を鳴らしながら、クオンに背を向け遠ざかっていく。
歩く姿も背筋が伸び切っており、貴族のような振る舞いのようであった。
胡散臭い雰囲気を醸し出しているのだが、クオンの頭の中に男性の言葉はするすると入っていった。
まるで、全てを知っているかのような態度で語る男性の背中を、クオンはじっと見つめていた。
「……あなたは、誰、なのです?」
クオンがぼそりと尋ねると、男性は脚をぴたりと止める。
くるり、と顔だけクオンに向けた。
その顔は、やはり胡散臭い、貼り付けたような笑顔だった。
「そうですねぇ。ワタクシぃ、ただの通りすがりの悪魔ですのでぇ。」
「あく……ま……?」
その存在を、クオンは知らなかった。
「魔王」という存在は古くからの言い伝えとして誰もが知っている話であるが、「悪魔」という存在はクオンの知りえる知識の中には存在しなかった。
言葉としては「悪い魔王の眷属のよう」というようなニュアンスで、罵ったり、批難するときに使う言葉ではある。
だが、決して自分自身に呼称として使う言葉ではない。
訝しむクオンの顔を見てか、男性の口元がさらに吊り上がる。
「……まあぁ、知らなくてもいい話ですけどねぇ。知らない方がぁ、幸せなのかもしれませんがぁ。あぁ、この世界の「魔王」とは一切の関係もございませんのでぇ、ご心配なくぅ。……ワタクシのぉ、名前は「ベル」と申しますぅ。また機会が有ればぁ、お会いいたしましょうねぇ……。クオン、さん。」
妖しげに呟かれた自身の名前を聞き、クオンは身を強張らせながら目を見開いた。
「わ、わたしの名前をなんで……知っているのですか!?」
「細かいことはぁ、抜きにいたしましょうかぁ。……それではぁ、お目覚めのようですねぇ。」
シルクハットに指を引っ掛けて深々と被り直し、男性は顔を正面に向け直した。
再びこつ、こつと音を立てて、男性はクオンから遠ざかっていく。
クオンは、ただただベルと名乗る男性の背中を見送るのみ。
何故か近寄ってはならない、と。
にじみ出るような不気味さを、じわじわと肌で感じ取っていた。
その時、男性が右腕を横に拡げた。
「それではぁ、ご機嫌よぉう。……クオン・アンブラルさん……いやぁ、クオン・ヴェルサーレさんでしたねぇ。今後のぉ、ご活躍に期待ぃ、させていただきますよぉ。……まあぁ、目覚めれば忘れてしまうでしょうけれどぉ、ねぇ。」
男性の声に、クオンははっと目を向ける。
クオン自身は平民であり、名字はない。
「アンブラル」も、「ヴェルサーレ」という家名すらも初めて聞いたものだった。
しかし、男性は当たり前のようにその「名」を口に出した。
「え? それは……。」
「それではぁ、おはようございますぅ。」
クオンの声を遮るように。
パチン、と。
男性は指を鳴らした。
瞬間。
クオンの目の前がぐにゃぐにゃと粘土をかき混ぜるように歪んで行く。
戸惑いを顕にしながら、クオンはきょろきょろと辺りを見渡した。
座席も、幕も、舞台も、壁も。
全てが歪にかき混ぜられていた。
「な、なん……なのです……?」
脚を竦ませて怯えながら、クオンが一歩下がった途端。
パリン、と。
ガラスが弾けるような音が鳴り響き、クオンの周囲は一瞬で暗闇に染まった。
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