旧縁の救援
レクスは、その光景を呆気に取られながら見つめていた。
溶岩の上に浮かぶ、浮島のようなステージの上で、それ、は起こった。
黒い姿をした異形の怪物が、クオンの右手を簡単げに伸ばした鎌のようなもので切り飛ばしたのだ。
クオンは眼と肩から血を噴き出し、その場に崩れ落ちた。
”ぼちゃん”と。
鈍い音を立てて、切り飛ばされたものが赤くどろりとした池の上に落ちた。
ずぶずぶと沈みゆくそれと同時に、肉の焼ける臭いがレクスの鼻をつく。
「〜~~~~~~~!〜~〜~!!」
異形が何かを叫んでいる様子がレクスの目に映ったが、その声はレクスの頭を軽く通り抜けて行く。
あの怪物は、クオンに。
何をした?
考えるよりも先に、レクスの身体は動いていた。
隧道の先に延びる道は、踏み外せば一巻の終わりである事など分かりきっている。
人一人分の凸凹道をものともせず、レクスは脚を地面に叩きつけた。
目の前の命が、手折られようとしている。
それも、大切な義妹の命が。
その事実だけで、レクスが飛び込んでいく理由には十分だった。
異形の両腕が大きく振り上げられた。
クオンは血の涙を流しながら、膝を付いて上を見上げているだけ。
押さえても肩口から流れ出す紅い血液が、クオンの服を真赤に染め上げていた。
レクスには想像出来ないほどの激痛を、クオンは抱えているに違いないだろう。
異形が振り上げた腕は、まさに長く伸びる刃物。
蛇腹の鎌が伸び切って撓り、座り込んだクオンを切り裂かんと伸びきって迫っていた。
もちろん、そんなことをレクスが許す筈もない。
クオンの前に飛び出ようとした瞬間、声が聞こえた。
「た……す……け、て……。」
それは、か細いクオンの声。
弱りきったその声に、レクスは唇を噛み締めた。
間に合わなかったが、それでも命の炎は未だ消えていない。
灯火を守る為に、己が身を流し込んだ。
「に……い……さ……。」
クオンが、レクスを求めている。
その事実は、レクスを大きく震え立たせた。
小さく、息を吐き出す。
「ああ。待ってろ。」
安心させるように、声をかける。
不安を覆い隠すように、ばさりとローブでクオンを覆うようにはためかせた。
二振りの蛇腹の鎌は、伸びきってレクスへと迫りくる。
後ろに護らなければならない者がいるなら、レクスに恐怖など微塵もない。
連結させた黒嵐を瞬時に構えた。
軌跡を読み、振り抜く。一本を弾き返す。
手首を返す。二本目。
銃身で刀身を打ち据えた。軌道が逸れる。
レクスの髪を、風圧が撫でた。
紙一重を、刃が過ぎる。
隙と見抜き、ダイヤルを捻る。
引き金を引き絞り、発砲。
三発の光弾が、瞬時に異形へと炸裂した。
異形は仰け反り、姿勢を崩した。
黒嵐を構えたままに、ちらりとクオンに視線を向ける。
痛々しかった。
右腕を喪い、右眼も抉られ潰されていた。
もっと早く来られればよかったという思いも過る。
だが、それよりも。
クオンが生きているという事実の方が、レクスには大事だった。
「あ……。」
遺された左の眼から、ぽろぽろと涙が溢れている。
レクスは再び異形へと視線を戻した。
ぼきぼきと音を響かせ、くねるように異形は立ち上がろうとしていた。
「……ごめんな。遅れちまってよ。」
「な……ん……で……。」
途切れ途切れな声に、レクスは胸が締め付けられるようだった。
だが、クオンの前でそんな顔を出してはならないのだ。
だから、小さく。
口元を上げた。
「決まってんだろ。俺は、クオンの「兄さん」だからな。」
そう言い放ち、正面の異形に対して眦をきつく吊り上げる。
クオンを傷つけた黒き異形を、レクスは赦してなどおく訳にはいかない。
「……てめぇ。……クオンに酷ぇことしてくれたな……。」
「ヒャハハ……。ハ……!?」
ふらふらと立ち上がろうとする異形に向けて、黒嵐の銃口が光を反射する。
異形を睨みつけたまま、レクスは動かない。
レクスの役割は、己が身に燃え盛る怒りに任せて異形を叩きのめす事ではない。
後ろで蹲る大切な家族を、守り抜く為にレクスはここにいるのだから。
「ナンダ……オマエ?」
異形が声を発した。
嗄れた声で、恐怖を煽り立てるように響いた。
レクスもおもむろに口を開く。
「……誰だっていいだろ。……てめぇを地獄に送ってやる。直ぐにでもな。」
自分の口から出たとは信じられない程、底冷えするような声だった。
異形の眼窩に収まった青い焔が僅かにボッボッと明滅する。
恐れか、興奮か。
そんなことは、レクスにはどうでもいい。
目の前を異形を斃し、クオンを護りきること。
それこそがレクスにとって唯一の命題であった。
がらり、と。
背負っていた背嚢を床に落とす。
レクスはフードに収まっている、小さな同行者に声をかけた。
「……キュー。頼みがある。」
「……うん。なに? 戦えっていうのは……ごめん。無理。……アイツが、どうしても怖いんだ。」
返ってきたのは、びくびくと震えたような声だった。
フードにしがみついて、がたがたと身体を震わせているのが、レクスにもわかる程だった。
「袋の中に、緑色の液体があるはずだ。……すぐに後ろの女の子にふりかけてくれ。」
レクスの背嚢にある緑色の液体は、レクスが出立する際、レッドから貰った薬だった。
レッドとシルフィが調合した、エルフの秘薬。
効果はレクスの身体で実証済みだ。
四肢の断裂や眼球の損傷は直せないが、それでも止血させることは出来るはずだと、レクスは見込んでいた。
「……わかった。そのくらいならやるよ。」
「すまねぇ。……頼む。」
フードの中からキューが顔を覗かせて、ぴょんと飛び出した。
キューがフードから出たことを確認し、レクスは黒嵐を構えて異形を見据え、腰を落とす。
異形は相変わらず眼窩に宿る妖しい蒼炎を明滅させながら、レクスへと顔を向けていた。
しゅるしゅると、蛇腹の鎌が異形の腕に巻き戻っていく。
両腕の鎌を下げ、腿を張らせた。
「ダレカシラネェガ……コワシテヤル!」
異形が叫ぶが、レクスは無言のまま、絶対零度の極寒の視線で見据えるだけだった。
ひたすら無言で見据えるだけ。
しかし冷ややかな視線の裏で、黒嵐を握るレクスの手の甲には、血管が浮き上がっていた。
異形が今にも飛びかからんと、空気が張り詰める。
だが、凄みを孕んだレクスの闘気を怖気づいたように。
レクスと対峙する異形の鎌はごくごく僅かに揺れていた。
◆
きらきらと鱗粉を舞わせ、レクスのフードから出たキューは背嚢へ飛びつく。
レクスの背嚢を弄り、緑の液体が入った瓶を抱えて引っ張り、取り出した。
透き通った緑色の液体が、人形のように小さな体躯をしたキューの姿を、鏡のように映し出した。
(……ぼくって、こんな姿してたんだ。意外とスタイルいいかも?……うーん、なんか思い出せそうなんだけどな……?)
自身の姿を認識したキューは首を傾げる。
キューは、レクスと出会うまでの記憶が無い。
正確にいえば洞穴の中をふわふわとふわふわと彷徨っていただけで、レクスとぶつかるまで明確な自我がなかったのだが。
レクスとぶつかって初めて、自我を取り戻したと言っていい。
自身の姿をまじまじと見つめるが、キューの頭の中には何も出てこなかった。
何か思い出せる寸前なのだが、あと一歩足りないような、そんなもどかしさがあった。
「……っていけないいけない。早くしないと……。」
レクスの頼みを思い出し、キューは薬を抱えてぱたぱたとクオンの前に飛び立つ。
その様子を、クオンは弱りきった眼で映した。
「……だれ……なのです……?」
息も絶え絶えな弱々しい声に、キューは哀しげに眦を下げた。
傷つき片腕をもがれ、右眼を潰された痛々しい姿を見せる、レクスの妹だという少女の姿。
その姿に、キューも胸が締め付けられるような思いがあった。
キューは、魔力の波動を感知することが出来た。
クオンと面識などないはずなのに、何処かキュー自身が、この少女の魔力の波動を懐かしがっているのだ。
うっすらとした記憶の奥底にある、大切なぼやけた誰かが傷ついている気がしてならなかった。
急いできゅぽん、と秘薬の封を開けると、背中の翅で飛び上がり、クオンの頭上に飛ぶ。
「ぼくはキュー。……なんでか知らないけどさ。ぼくは君に会いに来たの。でも……ほんと、ひっどいことするね、アイツ。女の子に傷を残すとかさ。サイアクなやつじゃん。」
キューはぷりぷりと怒った様子で、抱えた瓶の口をクオンに向けて倒し、上から振りかけた。
いきなり振りかけられる緑の液体に、クオンは目を強く閉じた。
「ぐ……うう…………。」
緑の液体が傷口にしみるのか、クオンは歯を食いしばるように顔を顰める。
しゅわしゅわと煙が上がり、出血する箇所がだんだんと塞がっていった。
その速度はポーションなどの比ではない。
皮膚が再生され、クオンの頬の血色も良くなっていくのが、ありありとキューにも見て取れた。
顔を顰めるクオンに、キューは秘薬を傷口へ満遍なく振りかけていく。
「ガマンして。……大丈夫だから、さ。」
「……ふぇ?」
顔を上げたクオンの閉じられた右眼には、痛々しい程に大きな傷跡が残っていた。
不安そうなクオンを安心させるように、キューはにっこりと口元を上げた。
「レッくんがきっと、何とかしてくれるから。」
ちらり、と。
キューはレクスへ顔を向ける。
黒い異形に、レクスは静かな威圧感で向き合っていた。
あの黒い異形に、キューは何故か並々ならない恐怖を覚えて仕方がなかった。
だが、そんな恐怖から護ってくれる、少年の背中が頼もしかったのだ。
(……レッくん。……不思議な人だね。きみ。)
クオンの魔力の波動もだが、ここに来るまでに剣を振るうレクスの姿にも、キューには何処か既視感があった。
懐かしい、だが思い出せない誰かの姿と重なるのだ。
思い出せない誰かと重なるレクスの剣戟。
それは、キューがレクスを信じるには十分だった。
もうすぐ、張り詰めた糸が切れる。
キューにはそんな気がしてならなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。




