微風の妖精
「……なんだこりゃ?」
球体は柔らかく白い光を放ちながら、レクスを見下ろしているようにも見えた。
レクスは目を点にしながら、ふわふわと滞空する球体を呆気に取られたように見つめる。
レクスが見てきた魔獣の中に、光輝く球体の魔獣というものは見覚えがなかったのだ。
そもそも魔獣なのか、という疑問すらあった。
理解が出来ないレクスは、訳もわからずその球体を見上げた。
光を放つ球体が、パン、と弾ける。
そこに浮かんでいたのは、小さな人だった。
大きさはだいたいレクスの掌ほどだろうか。
人形が浮かんでいるようにも思えるが、その身体はあまりにも精巧だ。
すらりとした可憐な手足は、大きさに目を瞑ればどう見ても人間でしかなかった。
透き通った蟲のような四枚の翅を生やし、その場でぱたぱたと翅を動かして高度を保っている。
浅葱色のウルフカットの髪に黄色の瞳をしたその人型の何かは勝ち気そうな顔を浮かべて、小さな八重歯が見えていた。
ひらひらとしたワンピースのような白い服を着ており、その胸元が大きく膨らみ弾んでいる。
美人というよりは、可愛らしい印象をレクスは覚えた。
きらきらとした鱗粉のような粉が舞い、ふわふわと浮かびながらレクスの眼前にその人影は舞い降りる。
その姿は光を纏って舞い降りた、天からの使いにも見えるようだった。
そんな可愛らしい印象の小さな女性だが、ムスッとしたように口元を下げ、頬を膨らませていた。
「あのさー! 人にぶつかったら謝るのが筋でしょー! 吃驚しちゃったじゃん!」
神聖な雰囲気を吹き飛ばすかのような口調に、レクスは目を点にするほかなかった。
「わ、悪ぃ……。急いでたからよ。……てか、そもそも誰だあんた?」
レクスはきょとんとしてその小さな女性に目を向ける。
小さな女性も、目をパチパチと瞬かせてレクスを見やった。
本当に人間を模して精巧に作られた人形が、意思を持って浮かんでいると説明されればレクスは納得してしまっただろう。
だが、小さな女性は「え?」と首を傾げるのみだった。
「え? ぼく? えーと……それは…………」
小さな女性は顎に手をやり、うんうんと唸るように考え込んでいた。
そんな小さな女性の様子を、レクスは妙な空気で見つめていた。
小さな女性が魔獣なのか、それとも別の何かであるのかの区別が出来なかったからだ。
すると小さな女性は考え終えたようで、ふぅと溜息を溢し首を振った。
「わかんない。」
「は?」
「しょーがないじゃん! だって、ぼくはさっき気がついたんだもん! 君にぶつかったとたん、眼が覚めたの! だから気がついたら此処にいて、ぼく自身、自分が誰かなんて考えた事もないよ!」
ぷりぷりと怒っているようなその小さな女性のような何かの言葉に、レクスは頭を掻いた。
聞く限りでは、意識が目覚めたのもたった今。
つまり、この小さな女性は、自分が誰なのかもわからないということなのだ。
想像以上に混乱する事態に、レクスは訳が分からないと額に指を置いた。
ちらと女性を目にして、尋ねた。
「……えーと、それはつまり……産まれたばっか、ってことか?」
レクスの疑問に、小さな女性はふるふると首を横に振るう。
「そんな訳……は、ないと思う。だって、それまでずっとこの洞窟で浮かんでただけだったし。」
「どういうこった? そりゃ……?」
レクスは眉を潜め、呆れたような声を出す。
レクスの言葉に、小さな女性も困りきったように口元を曲げた。
「ほんとーにわからないんだよ。……さっきまで、ただ何も考えずこの洞窟の中を飛んでただけだしさ。なんで此処にいるのかもわかんないし、君にぶつかっちゃうし、ぼくは誰だかわからないし、散々だよ。」
「そ、そうなのかよ……。てか、あんた……。」
「ん? なあに? 」
「……なんて呼びゃいいんだ? ずっと、「あんた」って呼ぶわけにもいかねぇだろ……。」
小さな女性は、レクスの言葉にハッと気がついたらしく大きく眼を広げた。
「それもそうだね。……うーん……?」
小さな女性は顎に手を当てて、うんうんと考え出す。
そんな女性の姿を見て、レクスも頭を捻っていた。
(……何なんだ? こいつも魔獣ってことで良いのか……? でも言葉を話して全く敵意のない魔獣なんて聞いた事ねぇぞ? ビッくんでもねぇのによ。)
レクスの経験上、友好的な魔獣というものには出会ったことがある。
マリエナのお友達、ビッくんだ。
ビッくんはマリエナの「ダークネスサーヴァント」という呪文によって召喚された魔獣であるが、目の前の人物は誰かに呼び出された訳でもなければ、レクスが呼べる筈もない。
尚且つビッくんは使役魔獣であり、基本マリエナの傍を離れないのだが、目の前の小さな女性の周囲に使役している人物もいない。
故に、レクスにはその存在が不思議なものに映っていた。
意思疎通が出来る魔獣。
どう扱っていいものか、レクスは頭を悩ませる。
すると、その小さな女性が何かを思いついたように「あっ!」と声を上げた。
「どうした? なんか思いついたのかよ?」
レクスが声をかけると、その人影はこくんと首を縦に振る。
「あのね、ぼくの頭にふっと浮かんできた言葉があって、多分それが名前なんじゃないかと思うんだ。」
「言葉? そりゃ何だ?」
「だけどそれも一部でさ。「きゅー」から先が思い出せないんだよね。」
「きゅー? じゃあ、あんたの名前は「キュー」ってことか?」
「きゅー、キュー、きゅう……うん。多分そうなんだと思う。なんかしっくりくるもん。」
小さな女性、改めキューはにこにこと笑いながら納得したように肯いた。
ふぅ、とレクスは溜息を吐くとそのまま立ち上がる。
「……まあ、ぶつかったことはすまねぇ。俺も急いでるんでな。キューも気を付けんだぞ。」
レクスは手を上げ、その場を後にしようとキューに挨拶を返した。
キューとの出会いに一瞬気が逸れたが、レクスは一刻も速くクオンの元へと向かわねばならないのだ。
走り出そうとした瞬間。
キューがふよふよとレクスの前に飛び出した。
「ちょっと待ちなよー! せっかくぼくが話が出来る人が来たんだから! もっとお話しよーよー! ……一人だと、寂しーじゃん。」
しゅんと顔を伏せ、キューは肩を落とした。
キューの表情が、自然と「女性の寂しげな表情に弱い」レクスの弱点を突き刺していた。
何処となく寂しげに口元を下げるキューの姿に、レクスも困ったように眉を下げた。
「……んなこと言われても、俺は急いでんだよ。さっさとクオンを探し出さねぇと……!」
忙しなくキューの後ろに視線を飛ばすレクスを見て、キューはひょこっと顔を上げた。
小首を傾げながら、黄色い瞳がじっとレクスの瞳へと注がれた。
興味を示しているらしい。
「ねぇ、誰か探してるの?」
「ああ。俺の義妹を……。」
「……ぼく、わかるかも。」
「……は? そりゃ一体……?」
唐突に放たれたキューの言葉に、レクスは驚きを隠せずキューを見据える。
キューはぱたぱたと背中の翅を羽ばたかせ、ゆっくりと頷いた。
「なんかね、魔力の波動を感じるんだ。それが……すごく懐かしいんだよ。もしかして、さっきのぼくもそこに向かってたのかも……。」
キューの話に、レクスは頭を巡らせた。
キューの言葉を信じて良いのか。
キューが魔獣の一種だとするならば、騙る為に言っているのも十分あり得た。
仮に信じたとて、キューの言っている魔力の波動がクオンのものなのか。
ある意味の賭けに等しかった。
(……信じる、しかねぇか。)
現時点で、クオンの手掛かりは何処にもないのだ。
闇雲に探すよりも、俄然キューの言葉を信じた方が良いだろうと。
藁をも縋るような話だが、レクスにはそれしかなかった。
真剣な眼差しで、レクスはキューと視線を合わせる。
「……キュー、俺をそこまで連れてってくれねぇか?」
レクスの視線に応じたのか、キューもゆっくりと首肯を返した。
「うん。……ぼくも、そこにいってみたいから。えーと、君の名前は……?」
「レクス。傭兵のレクスだ。」
「そっか。……じゃあ、行くよ、レッくん!」
「……何だその「レッくん」て。……気が抜けるんだけどよ……。」
「えー!? 良いじゃん呼びやすくてさー! ……行くよ。着いて来て。」
キューが空中でくるりと反転し、レクスに背を向ける。
レクスも、頭を下げた。
「ああ。……道案内を頼んだ! キュー!」
「りょーかい! 逸れないでよ、レッくん!」
ふわりと飛び立つキューを追いかけ、レクスも漆黒に染まった大地を蹴り出した。
奇妙な二人組は、探し求める誰かの元へと隧道の深くへ脚を踏み入れる。
共に探し求めるものが、一緒であると信じて。
お読みいただき、ありがとうございます。




