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伊香保の祈る先にマウンドがある。少し緊張した面持ちで藤田がマウンドの土を踏みしめていた。
血色の良い顔つきをしている。昨晩、藤田は酸素カプセルを利用して疲れを癒していた。少しでも長いイニングを投げる。胸にしまった御守りを握り締め、大きく息を吐いた。
まばらなスタンドに藤田の母親の姿があった。藤田が呼んだのだ。
「母さん、来週の日曜から地方大会なんやけど、観に来れたりする?」
「あら、珍しいね。日曜休みやから行くよ? どうしたんよ、突然観に来て欲しいなんて」
藤田の母は洗い物をしながら嬉しそうに振り返った。
「いや、もしかしたら本当に甲子園行けるかも……って思っててさ。母さんには今のチーム見て欲しいんよね」
リビングのソファーにもたれる藤田の表情は真ん丸な太陽のように明るい。母はそんな息子の表情が嬉しくて、洗い物を済ませて藤田の対面に腰掛けた。
「そっか、そりゃ楽しみやね。部員集まったのつい最近やのに、すごい子らが入ったわけ?」
「うん、ほんとにすげえんだよ。このチームで投げてるのを母さんには観て欲しくてさ。でも、ほんと先輩たち凄すぎて俺の出番は3回戦までだと思う。やから、それまでに来てくれたらなって」
「それってピッチャーに凄い先輩が入ったってこと?」
「うん、白烏さんはすげえ。ほんとすげえんだ。まだ野球始めたばっかやから、最初は俺が投げるけど、この大会中に抜かれると思う」
自分で抜かれると言うのに、息子の顔はずっと嬉しそうだ。
「分かったわ。来週の日曜絶対行くわね」
グラウンドの土が滾る太陽に照らされている。むしむしと漂う熱気は、立っているだけでも汗を滴らせる。
「拓也ーー、頑張れーー!」
スタンドから藤田の母が叫んだ。
「オッケー、頑張るよ」
藤田はぽつりと呟いて、光るスタンドを見つめた。女手ひとつで母は藤田をずっと育ててくれた。一生懸命働いて、藤田の好きな野球をやらせてくれた。藤田は自分とそのチームが輝く瞬間を母に見せたかった。親孝行になるかは分からないけれど、野球をやらせて良かったと母には思ってもらいたい。
有力校から声がかからず苦しい表情を見せた中学の最後。母はずっと励ましながら心配してくれていた。知って欲しかった。今、無名校でもこうして楽しく投げていることを。そして、その無名校に進んだことが正解だったんだよと母を安心させたい。あなたの息子が進んでいる道は間違っていない、と。
真っ白なボールをぽんっと空に弾いた。くるくると回転して、藤田のグローブに収まる。よしっ、良い子だ。力を、貸してくれ。
プレイッ!!
主審が高らかにコールした。甲賀守備陣の体勢が低くなる。
いけるところまでいってやる。白烏さんのピッチングが完成するまで、僕がチームを勝たせるんだ。滴る汗を指で弾いた。
滝音がサインを送る。そのサインに藤田は笑った。
『とりあえず初球は気持ちよくこれだ。思いきり腕を振ってこい。データは次の球からな』
『了解です』
滑らかなフォームから大きく足を踏み出す。ムチのように藤田の腕がしなり、人差し指と中指がボールを前に押し出す。白球はしっかりと縫い目を指に絡ませた。うん、良い子だ。
パシーーーーン!
レーザー光線のようなストレートが滝音のミットを高く鳴らした。
ストライイィク!!!
藤田の母は大きく手を叩いた。たった一球なのに頬を涙が伝った。嬉し泣きなんて、いつ以来だろう。




