邂逅-1
目を開けると、そこは見慣れた天井だった。ベッドから起き上がって服を見ると、血で染まったワンピースではなくいつもの寝間着姿に変わっていた。汚れた身体も綺麗になっている。エリシアはそのままの姿勢のまま、暫し惚けながら窓の外を見ていた。風でサワサワと木々は揺れ、時折木の葉が村の方へと踊り飛んでゆく。鳥たちは高く囀りながらじゃれ合うように枝を飛び飛びに伝って森の奥へと消えていった。外からは子供達のはしゃぎ声と騒々しい足音や、主婦の井戸端会議の声、桶が蹴られて転がった音などが聞こえてくる。
いつもの風景だ。何でもない、平和な村の風景だった。
(……夢だったのかしら)
昨日のことは、夢だったと、そう思いたかった。
エリシアは気づいたら死体の山の中心に座り込んでいた。それと同時に自分でない人がこの身体を操っている間の記憶が飛び飛びではあるが思い出されてきて、この魔族たちを自分が殺したのだと知り、絶望した。受け止めきれない後悔と絶望と悲嘆によって、エリシアは号泣した。ただひたすら涙を流していた。頭の中でずっと謝りながら、泣き続けていた。泣くことで感情を清算しようとした。そんな折、ふと、温かくて大きな掌で頭を撫でられたのだ。驚いて顔を上げると、そこには黒髪の騎士がいた。美しい漆黒の艶やかな黒髪に、黄金色の瞳をしていた。まるで狼のようだと思った。狼のように鋭く強い光を灯していたその黄金色の瞳は、ひどい顔のエリシアを映して優しげに揺らいでいた。
その人は騎士の鑑のような引き締まった美しい体と、一国の王子のように美しい顔を持っていて、ともすれば冷たい印象を与える相貌をしていた。にも関わらず、瞳には優しく温かな光が灯っていたのだ。それに安心したのかもしれない、私は、彼を利用して懺悔して苦しみから逃れようとしたのだ。急に謝られても訳がわからなかったろうに、彼は何だか辛そうに顔を歪めると立ち上がり、私に逃げるように囁き、そして颯爽と馬で立ち去っていったのだ。
(……綺麗な人だったわ)
顔立ちもそうだが、所作から表情まで、美しかった。貴族様なのだろうか。彼のことを思うと、なおさら夢だったんじゃないかと思えてくる。夢の中で自分が作り上げた人だと言われた方が納得なくらい、人間離れした怪しげな魅力を纏っていた。
それにしても、と考える。私は昨日、どうやってここまで戻ってきたのだろう。どうやって着替え、どうやって眠りについたのだろう。思い出そうとしても全く記憶にないため、エリシアは困惑で瞳を揺らした。
「……叔父さん、」
叔父さん、オーウェン叔父さん。帰ってきて私を見たのだろうか。どれだけ驚いただろう。どれだけ傷ついただろう。私にこびり付いた血が私のものではないことに気づき、どれだけ悲しんだのだろう。
彼のことだ、おそらく一階に居るのだろう。でも、いま顔を合わせるのが、とても怖かった。エリシアは布団の上に乗せた拳を握りしめ、瞼をキツく閉じた。けれど、いつまで経ってもこうしていてはいけない。昨日のことは夢じゃなくて現実で、そして私は紛れもなく魔族をたくさん殺して、叔父をきっと傷つけたのだ。謝らなければ。エリシアは恐怖を隠すように唇を噛み締め、そして前を向いた。
階段を下りていくと、足音に気づいたらしいオーウェンがガタリと音をたてながら椅子から立ち上がったのが見えた。
オーウェンは心配そうな顔でエリシアを見上げている。エリシアは階段を下りていつもの目線になると、叔父の元へ行っていつもしているように見上げた。
「あ、あの、叔父さん」
ごめんなさい、を言う前に抱き締められた。身長が高い彼に覆い被さるように抱き締められては、エリシアは背骨を後ろへ曲げるしかない。苦しい体勢のまま、エリシアは「叔父さん」ともう一度だけ呟いた。
「……よかった」
小さくくぐもって聞こえたオーウェンの呟きは、心なしか震えているような気がした。
「え?」
「もっと、絶望しているかと、能面のようになっているかと、思っていた」
「……」
オーウェンによると、昨日彼が帰ってきたときには、血塗れになった私が脱力したまま椅子に座っていたらしい。彼が幾ら話しかけても揺すっても私はただ眼前の虚空をぼうっと見つめたまま涙を流すだけで、何の反応も示さなかったらしい。そんな姪を見て、叔父は同じように絶望し、途方にくれた。このまま彼女が何も反応しない人形のようになったらどうしようと思いながらも着替えさせ、身体を拭き、何とか寝かしつけたようだった。
その話を聞き、エリシアは悲しんだ。叔父を悲しませてしまったことが、とても辛かった。
「……ごめんなさい」
「良いんだ、お前が無事でさえ居てくれれば。実際、俺はお前が人形のようになったとしても世話をする覚悟を昨日のうちに固めていた」
それは……なんと言えば良いのだろうか。取り敢えず彼はもう少し自分のことも考えたほうがいいと思う。エリシアが抗議の意も込めてオーウェンの背中に回した手で彼の背中を叩くと、苦笑しながらも身体を離してくれた。
「まあ、そうならずに済んで良かったよ」
「……うん、寝たらいろいろ、整理されたみたい」
元々寝たら嫌なことは忘れるかどうでもよくなるといった、ある意味睡眠依存体質なので、今回もそうだったらしい。昨日のうちは、自分が大量に殺人を犯したことを信じたくなかった。信じたくなくて、でも頭ではわかっているから、そんな頭と心のズレで精神がおかしくなってしまいそうだったのだろう。だが、今は自分が殺したのだと受け入れている。魔族を殺してしまったことは酷くショックだったし、自分が許せないが、でも、自分は望まずとも戦争に参加してしまったのだ。一度戦場に出てしまえば、あそこでは殺すか殺されるかしかない。私は、自分が生き残るために相手を殺した。私は、自分が思うよりも生に未練があったらしいのだ。
そして自分の生と引き換えに、罪を負った。これは私が死ぬまで背負わなければいけないものだ。
エリシアは目を瞑り、そしてまたそっと開けた。本調子ではないが、いつも通りのことをしよう。そうすればまた、日常に戻れる気がした。
「叔父さん、朝ご飯食べよう」
そう言うと、彼は柔らかく微笑んでエリシアの頭を撫で、作ってくれていたらしいスープを温めるためにキッチンへと向かった。
*
あの事件から、数日が経った。
エリシアももう、前と同じくらいには元気になっていた。気まぐれに来る新聞に目を通したところ、あの戦いはこの辺りの地方の名前にちなんで「ザルーダ戦」と呼ばれるようになったそうだ。そしてもう一つ、「勝利の女神」と呼ばれている謎の女が紹介されていた。なんでも、遠目でだが謎の女性が敵軍の後方で派手に戦っている姿が騎士達に目撃されていたらしい。彼女が奇襲をかけてくれたために勝利を掴めたのだと書かれており、紙面では彼女の目的は何かやら確実にアギオンであるやらいろんな議論や意見が載っていた。
その面を見た瞬間、エリシアは固まった。そしてその「勝利の女神」と呼ばれている人物は自分であることを確信する。長い銀髪、と書かれていたのだ。そして敵陣の後方にエリシアは居た。そこからの記憶は曖昧だが確かに派手に戦ったし、気付いた時も敵軍の方に居た。間違いない。
スッと目線をズラすと、その下に関連記事が載っていた。
「……『黒騎士』アラン、此度も活躍……」
フルネームは書かれていなかったが、アランという正式な騎士ではない男が今回の戦争でも大いに活躍したことが記されていた。彼は艶のある美しい黒髪に、射抜くような魅惑的な黄金色の瞳をしているらしいーーそこまで読んで、まてよ、と思う。エリシアを助けてくれた騎士も、そのような相貌ではなかったか。
「……ええと、……瞳と同じ色の美しい炎で敵を焼き尽くした……?!」
アギオンですって。それも、戦いの神アレスの!
開いた口が塞がらないとはこのことだ。彼も同じようにアギオンだったとは。でも、確かに彼は炎を出していた。魔法なんかでは到底出せないような美しい金色の、風が吹いても消えないような炎を。
「綺麗だったな……」
ふと、呟いた。黄金色といっても、豪奢な金の装飾品の色とはまた違う。なんと言えばよいのか、それよりももっと強く、そして柔らかい色だった。それを縁取る睫毛は長く、頰に影を作っていた。髪はオーウェンに負けないくらい美しい黒だった。少し目元はつり上がっていたが涼しげで、冷たい印象を受けたが、彼はエリシアを見て優しげに目を細めて頭を撫でてくれた。その手は大きく、指はすらっとしていて貴族のように綺麗だったけど、でも確実に剣を振っている人の逞しい手だった。そんなことを思い出してはため息を吐いている自分に気づき、エリシアは慌てる。
(これではまるで、恋煩いをしているみたいじゃないの)
まさか一度会っただけの、しかもろくに会話も交わしていない相手に。そんなはずがない。しかもあの時エリシアはほぼ放心状態で、ただ泣いているだけだったように思う。何ともお見苦しい姿を晒してしまったのだ。羞恥で消えて無くなってしまいたいくらいだった。
「……」
もう気にしないことにしよう。どうせもう二度と会わない遠い人だ。そもそも、アギオンの姿だったのだ。普段の彼に会っても、わかるわけがない。きっと髪の色も瞳の色も、顔つきだって多少変わるはずだから。
それにしても、とエリシアは思う。彼は去り際に王国軍に捕まらないようにしろみたいなことを言ったけれど、この姿ならわかりっこないだろう。私がうっかりアギオン化しない限りは、その「勝利の女神」と何だか持て囃されている人と私が同じ人物だとは思うまい。そもそも「勝利の女神」という名を勝ち取ったのは私ではなく、……おそらくアテナ様だ。何となく覚えている。なぜかはわからないけれど。
とにかく、とエリシアは新聞を畳んでテーブルの上に置き、立ち上がった。胸元にリボンがある白いブラウスにクリーム色の長いフレアスカートという地味な格好に着替え、必要なものを鞄に詰め込んで、エリシアは家を出た。もちろん、テーブルの上には書き置きがある。鍵もきちんと締めた。バッチリだ。
馬小屋の方に行き一頭、栗毛の小さめの愛馬を外へと出す。そして体をポン、と叩いてから飛び乗り、エリシアはそのまま駆け出したのだった。




