第十六話 毛玉は今日も跳ねる
ポメちは、小型の成犬ケルベロスだった──白ポメラニアンらしく真っ白で、ふわふわしている。
だが、地獄の番犬ケルベロスの最大の特徴である三ツ首を備え、それぞれの首がキャンキャンと甲高い声で鳴いている。
室内は激しく荒らされ、カーテンが破かれたり、宝石箱がひっくり返されたりしていて、元は美しく上品な室内だろうが見る影もない。
「ポメち〜、カーテンはやめてって言ったのにぃ!」
伯爵令嬢アリアは泣きそうな声で叫んだ。
ノクトの背後にアリアの姿を認めると、ポメちは全力で喜んで飛びかかってきた。
「危ない!」
部屋を覗き込んでしまったアリアの、すぐ後ろにいたフィーネが叫ぶ。
ノクトはアリアの前にスッと立ち、自分の身を盾にしてポメちと激突した。
ドン!と鈍い音がなる。
流石にただのポメラニアンではない、魔獣ケルベロスのタックル──それは到底小型サイズとは思えない鋭い威力の攻撃だったが、ノクトは衝撃に備えて全筋力を腹に集中させていた。
当たる場所が事前にわかっていれば、ノクトにとって単純な衝撃はどうという事はない。
彼は涼しい顔で魔獣ケルベロスを見下ろしていた。
ポメちは、激突したはずの相手が全く怯まないことに驚いていた。しかもノクトの身体は十全に鍛えられてはいるが、体躯のよい戦士などと比較したら、華奢で体が薄い。
さっきのタックルで倒れないのはおかしいと、ポメちはノクトの周囲を落ち着かない様子でうろうろし始めた。
ここからが、肝要なところだ。
ノクトはふいと横を向いて、ポメちのほうを全く見ない。
彼は完全に、毛ほども、ポメちを相手をしていない。
悪い行動をしたケルベロスに対しては、徹底して無視をする。絶対に視線をあわせてはいけない。
『きゅ〜ん……』
三つの頭が、全く相手にされていないのを不安に思って、同時に情けない声を出す。
そして、ポメちが立ち止まり、四本の足を大人しく座る姿勢にした瞬間、
「よし、えらいぞ」
と、彼はしゃがみこんで、ポメちを撫でた。
するとポメちは、喜んで尻尾を千切れんばかりにふわふわと振り回す。
ノクトは一筋の表情筋も動かさず、厳しい真顔のまま言った。
「いいか、ポメち。オレは、しばらくお前の主となる、ノクトだ。オレの命令には絶対服従だ……わかったな」
ノクトのラベンダー色の瞳が、ギラリと彩度を上げて輝く。
彼は《ビーストテイマー》ではないので、魔獣を支配する特殊能力を持たない。
しかし、過去経験において眼力には多少の自信を持つ、幾千の場数を踏んだ猛者でもある──
眼力だけで動物を威圧する能力、ノクトの固有スキル《魔眼》の開花の瞬間でもあった。
ポメちは大人しく座って、『キャン!』と鳴いた。
「よし……いい子だ」
ノクトは、腰に装着した小さなポーチから餌を取り出して、三つ首に対して一つずつ与える。
ポメちは狂ったように喜んでキャッキャとそれを食べた。
とりあえず《ナイトキラー》対魔獣ケルベロス、ノクトの勝利で決着がついたようだ。
フィーネは彼が怪我をするようなことがなくて安堵し、一方アリアは──
驚いて、ノクトのほうを見ていた。
この人は、何も言わずに自分を庇った。
そしてその手柄を誇ることすらなく──もはや当然すぎて庇ったことなど忘れてしまったかのように、職務を全うしている。
彼女は、心から感動していた。
「ノクトさん、すごいです……!ポメちはなかなかの暴れん坊で、本職の《ビーストテイマー》の方でも、ここまでスムーズにはいきませんでした」
ポメちはこの一瞬でノクトを完璧に主人であると認め、何だったら自ら頭を擦り付けにいって撫でてもらおうと必死になっている。
その様子は、飼い主のほほえみを誘った。
「どうして、初対面なのに、ポメちがこんなに懐くのでしょうか…?」
アリアは不思議そうに言った。
彼は《ビーストテイマー》ですらないのに──
「いえ、お嬢様……たまたま、うまくいっただけです」
一方のノクトは、本当にそう思っていたので、謙虚な言葉を紡いだ。
再びノクトが畏まってしまった様子を見て、アリアはむっとして頬を膨らませた。
「そんなに畏まらないでください。というか、本来はポメちに対してみたいに、もっと砕けた話し方をされる方なんでしょう?ポメちだけでなく、私にも、普通に接してほしいです」
「え……」
ノクトは驚いて、伯爵令嬢アリアを見る。
ポメちと同じように接する……?
いや、それは無理だろう。
「いえ、お嬢様……あの、令嬢との距離感を誤った結果、拷問された末に魔道へと堕ちたという『堕ちた白き鷹の物語』がございまして……つまり警護対象との距離感は大事という……」
ノクトらしくもなく、少ししどろもどろ答える。それに対して、さも心外といったアリア。
「知ってます。でもそれは、物語の中での話ですわ」
アリアはノクトの右手を自分の両手で掴み、包み込んだ。
フィーネは大胆な行動の伯爵令嬢に驚きつつ、しかしどうにもできなかった。
心の中で叫ぶ。このナチュラル罪作り男〜!
「あなたを、ずっと雇ってもいいわ。ポメちも気に入ったみたいだし」
心からの笑顔で、伯爵令嬢はそう言う。
ノクトは困ったように返事をする。伯爵令嬢の手は暖かい。
「それは……その、最初の依頼内容と相違がありますので、幻獣調査団とのやりとり次第で、私にはわかりません。それと、私の本分は隠密戦闘で……」
アリアはノクトの表情が鉄面皮から動揺に変わったことがとても嬉しかったようで、いきいきとした笑顔で話す。
「あら、そんな危険な任務、行かなくて済むのでしたらそのほうがいいでしょうに──でも、わかりました。貴方を困らせるのは本意ではないのです」
にこにことしたアリア。
途方に暮れた顔のノクト。
前途多難な表情のフィーネ。
そして、ノクトに撫でてほしくて頭をぐりぐりと擦り付けるポメちの姿があった。




