第十五話 地獄の魔獣は今も吠える
「それにしても、魔獣飼育のために、《ビーストテイマー》を毎日派遣させているとは……さすがローゼンフェルト伯爵家、富豪もいいところだな」
ノクトは近隣の詳細な地図を片手に、エリオス王国の貴族街を訪れていた。
王都は美しく晴れ渡り、貴族街の豪華さを彩っている。爽やかな風が、ノクトの銀色の長い髪をさらう。
「しかも、伯爵令嬢のために、か──」
なかなかの曲者が相手になりそうだと、ノクトは予感していた。
その肩に乗るナイトスコーピオンのアイリーンも、今日は微妙に心配そうだ。
「ローゼンフェルト家は、伯爵でありながらやり手の宝石商でな。特に、主のガイゼル・ローゼンフェルトは一筋縄でいく相手ではない……」
そして、ノクトは後ろを振り向いて言った。
「やりとりは、オレに任せておけ……お前は、余計なことを言わなくていい」
「わわわ、わかりました……!」
ノクトの背後からついてきているのは、僧侶、《クレリック》のフィーネだった。
緊張しながらも、青い瞳を輝かせて(がんばるぞ……!)というオーラを溢れさせていた。
ちょうど手が空いている回復魔法持ちが彼女しかいなかったのと、新人研修で一度組んだことがあるからという理由で、今回の依頼同行に白羽の矢が立った。
「わかっていると思うが……今回の依頼は『ビーストテイマーの代役』だ。本来の管理を任されているビーストテイマーの体調が回復するまで、魔獣の管理を行う。対象の魔獣はケルベロスだ」
緊張している様子のフィーネに対して、ノクトは普段通りの冷静さで言う。
フィーネは、ゴクリと緊張で喉を鳴らす。
「魔獣……ケルベロス……!あの、首が三つある、地獄の番犬って言われる魔獣ですね」
「そうだ……今回は戦闘任務ではない──お前の回復魔法が必要になるような局面にならないよう、うまく立ち回るさ」
その冷静な様子は、新人研修のときのノクトと比較して、毛ほども変わることはなかった。
フィーネは思っていた──この前の酔っ払ってデレ放題にデレたノクト先輩は夢だったんじゃなかろうか、と。
そもそも彼本人にはあの騒動の記憶がなく、フィーネと会ったことすら覚えていなかった。
トロントは別の任務で駆り出されていて、あれ以来会えていない。
あの夜のことを覚えているのは自分だけ。ノクトにしつこく確認することもできず、彼女はあれが真実だったという思いが揺らいでしまっていた。
(あれって、私が見た都合のいい夢だったのかなあ……)
あの日嬉しかっただけに、フィーネは少ししょんぼりしていた。しかし、彼女自身は酒を飲んでいなかったし、記憶もはっきりしている。
(本当にあったことだと、今は信じよう。きっと、トロントさんに会えばわかることだし!うん!)
と、フィーネは自分を鼓舞し、今回の依頼に向けて気合を入れた。
エキスパートのノクトと新人の自分が、新人研修以外で一緒に依頼に行けるなんて、奇跡みたいなものだ。
どうしても、この機会を活かしたい。また、頑張って、ノクトに認めてもらいたい。フィーネはそう思っていた。
二人はローゼンフェルト伯爵家の門前まで来ていた。
兵士に幻獣調査団のバッジを見せると、スムーズに招き入れられた。
二人は、兵士に案内される。
白い大理石の門構えを通り、赤い豪奢な絨毯の上を歩き、応接室へと招かれた。
そこに待っていたのは、貴族然とした二人。
──ひと目見てわかる、この屋敷の主と、その娘だ。
「お前が噂に聞く《ナイトキラー》か!猛者の証、サソリも連れているようだな」
そう、威圧的で大きな声で言ったのは、体躯ががっしりした髭面の偉丈夫。彼は宝石を各所にあしらった豪華そのものの黒いマントを羽織っている。
「ほう、精鋭の男であると聞き及んでいたが、これはこれは……その見目、素晴らしいな……」
偉丈夫は、自身が名乗る前であるというのに、ノクトを値踏みするようにじろじろと見る。何か思いついたような表情をするが、それについて何も言わなかった。
ノクトは気にする様子もなく言う。
「お褒めに預かり、光栄です。私は幻獣調査団より派遣されました《ナイトキラー》ノクト・アシュベルと申します。こちらは神職の《クレリック》フィーネ・ランカートです。お見知りおきを」
ノクトは最大限の礼を尽くして、幻獣調査団の敬礼をする。フィーネも慌ててそれに続いた。
その様子を見て、偉丈夫は大容に笑った。
「そのように畏まらずとも良い。儂はこの屋敷の主、ガイゼルだ。人は《宝石烏》などと呼びおるが──まあ、楽にせよ。
これは、娘のアリアだ。挨拶せい」
ガイゼルは、娘の方に目をやる。
天鵞絨のドレスを身にまとった、美しき伯爵令嬢。彼女は、亜麻色の髪を複雑に結い上げ、陶磁器のようになめらかで美しい肩を見せていた。
「お初にお目にかかります。ガイゼルの娘、アリアです。この度は私の魔獣のために、ありがとうございます」
はっきりとして、凛とした美しい声だ。
ノクトとフィーネは頭を垂れた。
「私のケルベロスなのですが、暴れん坊で……手を焼いておりますの。来ていただいてすぐで申し訳ないのですが、対応をお願いできますか?」
暴れん坊と聞いて、フィーネは身構えた。そして、やっぱり回復役が必要だから自分が派遣されてきたんだと、思いを新たにした。
「わかりました。すぐに参りましょう」
ノクトはアリアの翡翠色の目を見て頷くと、案内を頼んだ。
「今は、いつも来て下さる《ビーストテイマー》の方が体調不良でお休みなので……私の自室でケルベロスが放し飼いになっているんです。荒れ果ててないか、心配で……」
自室の前まで来て、アリアはそう打ち明けた。
ノクトもフィーネも、我が耳を疑った。ノクトは言う。
「魔獣を放し飼いに……お嬢様、それはあまりにも危険です。失礼ながら、私がお部屋を開けてもよろしいですか」
「すみません、お願いします」
許可を得たノクトはぴたりと体をドアにつけ、室内の気配を探る。
今回はケルベロスにナイトブレードを振るう訳にはいかないので、対魔獣用の鞭を所持している。腰に丸くまとめて吊るしてあり、準備は万端だ。
意を決して、カチリとドアノブを回し、ゆっくりとドアを開ける──
『キャンキャン!キャン!』
甲高い子犬のような声が響いている。
しかも、三重に。
ノクトは一瞬、想定外のことに目を見開いた。
ドアを開けて、そこにいたのは──
千切れんばかりに尻尾を振りまくった、小さな小さなケルベロス。
ふわふわとした可愛い頭が三つ、ついている。
「ポメち~!ああーん、もうこんなに散らかしてぇ!」
伯爵令嬢アリアの絶望的な声。
ポメち……
それがこの魔獣ケルベロスの名前だと気付くのに、ノクトでさえ数秒を要した。
魔獣ケルベロス属、ポメラニアン種……?
そんなん、いるのか……?
ノクトはまた一つ、自分の知らない知識を更新した。




