第十四話 隠れた崇拝者
──次の日。
何事もなく朝から幻獣調査団本部に出勤したノクトは、いつものように『報告書専用デスク』まで来ていた。
昨日の講演会依頼の報告書を書くためだったが、ペンを握り、珍しくなにか悩んでいる様子だった。
それを気にした青年事務員のセドリックが、彼の元までやってきた。碧眼が心配そうな光をたたえている。
「おはようございます。どうしたんですか、ノクトさん。珍しいですね、報告書で悩んでいるなんて」
「セドか。おはよう」
ノクトは彼に挨拶するものの、冴えない顔をしていた。
「講演会のこと、報告書自体に問題はないんだが、その後酒場に行ったあと記憶があやふやでな……もしかしたら、飲みすぎたのかもしれない」
困惑しているような彼の言葉を聞いて、セドリックはくすっと笑った。
「それはもしかしなくても、飲みすぎですね。というか、ノクトさんて、お酒を飲みすぎるとかってあるんですね。意外です」
その姿を見てみたかったな、という言葉をセドリックはこっそりと飲み込んだ。
ノクトはその表情には気づかない。
「記憶をなくすほど飲んでしまうとは不覚だ……何かおかしな事を言っていなかったか、今度トロントに確認しておかねば」
「講演会の後で、トロントさんと打ち上げに行ったんですね。昔から、仲いいですもんね」
「まあな。あいつとは色々あったから……」
言いながらノクトは昨日の顛末を思い返してみるが、記憶が完全に抜け落ちている。
朝になって彼が目を覚ましたのは、カフェにある自分の部屋ではなく、生まれ育った生家のほうだった。
ノクトは今現在は養父が営むカフェ兼自宅に一緒に住んでいるのだが、思い入れのある生まれ育った家を撤去するようなことはなく、まだ残してある。
自分以外に誰かいたような気がするが、目が覚めた時には誰もいなかった。
頭に残った、二つの台詞が思い出される。
『死なねえって。いなくならねえよ、バカだな』
『お前は沢山傷ついたんだから、もういいだろ。ちゃんと幸せの道に行けよ』
この言い方は、トロントだと思うが……
断片的に覚えてはいても、自分がどういう状況で何を言ったのか全く記憶にない。
記憶を失うという経験が初めてだったので、こんなに不安になるものなのかと思っていた。
昨日を思い返したりセドリックと話したりしながらも、ノクトはさらさらと報告書を完成させ、彼に手渡した。
「さて、面倒な仕事はこなしたぞ。次の依頼はあるのか?」
「小学校での講演会、お疲れ様でした。ありますよ。ノクトさんに是非お願いしたい依頼が」
是非、と言われると、人の役に立ちたい欲求が強いノクトはすすんで仕事をしてくれることを、セドリックは知っている。
処世術なだけではなく、尊敬する彼に対して、純粋に気分よく仕事をしてほしいという気持ちだった。
「どんな依頼だ?」
「持ってきますので、お待ちを」
セドリックはカウンターのほうに戻り、一枚の紙を持ってきた。
「こちらなんですけど」
ノクトは、手渡された紙に書かれた内容をざっと読み込む。
セドリックが内容をかいつまんで説明する。
「実は──書いてある通りなのですが、エリオス王国でも由緒正しいローゼンフェルト家の伯爵令嬢が、魔獣を飼っているんです」
「お嬢さんが、魔獣をね……珍しい趣味をお持ちだな」
ノクトはなんとなく、迷子探しの依頼で出会った少女リリィのことを思い出していた。送った本は無事に届いたようで、そのお礼の手紙が届いていた。
彼女は元気にしているだろうか。
「王都で魔獣を飼育するためには《ビーストテイマー》が必要ということ、ノクトさんはきっとご存知ですよね」
セドリックの問いかけに対して、彼は「無論」とうなずいた。セドリックは話をすすめる。
「そういう訳で、幻獣調査団から毎日、伯爵家へと《ビーストテイマー》を有償で派遣していたんです。ところが、昨日その《ビーストテイマー》が急性の椎間板ヘルニアで全く動けなくなってしまいまして」
ノクトは極めて真面目な顔で、表情筋を動かさずに一言だけつぶやいた。
「腰痛か……」
「はい。で、幻獣調査団の《ビーストテイマー》はあまり人数がおらず、臨時の人員がみつからないんです。そこで」
「……そこで?」
微妙に嫌な予感がする。
「ノクトさんて、歩く図書館って言われるぐらい知識があるじゃないですか」
「……いつどこで、そんな風に言われてるんだ?」
「ご謙遜を……魔獣に対する知識、実地での魔獣との対面経験──現役の《ビーストテイマー》を除いて、魔獣管理を任せられるのは、この幻獣調査団にはノクトさんしかいません」
セドリックの強い推薦に、ノクトは首を傾けて困った顔をする。
「オレはまあ、構わんが……法的には大丈夫なのか、それ」
「幻獣調査団の上官が認めれば、問題ないそうです」
「……で?」
「太鼓判、押してました!」
セドリックの元気なその一言に、「マジか〜」という顔のノクト。
あまり気はすすまないが、次回の依頼はこの魔獣管理になりそうだ。
「何かあると困りますので、一人、回復を持つバディをつけます。二人で行ってきてくださいね」
「支援役か……別にいなくても問題ないが」
「そう言わず。もしもの怪我等の時にきっと役立ちますので、仲良くやってください」
困ったように笑いながら、セドリックは言った。
「──ところで」
ふと気になって、ノクトは尋ねる。
「この前の幻獣の依頼はどうなったんだ?もう、出発したのか」
できれば自分が行きたかった依頼だ。
すると、セドリックはすぐに明瞭に返事をする。
「ええ、この前の幻獣依頼は、北の支部の精鋭たちがフルパーティでがっちり組んで行ったみたいですよ。多分日数はかかるんじゃないでしょうか。情報を楽しみに待ちましょう」
それを聞いて、羨ましい限りだな、とノクトは呑気に思っていた。
幻獣は発見されている数が非常に少なく、依頼が出ても行ける機会は限られている。
そもそもが、選ばれし精鋭でなければ、幻獣探索のようなSSS級依頼に参加希望を出すことすらできない。ノクトはその参加資格を有している。
彼は十七歳の頃に一度、幻獣調査と討伐を成功させたことがある伝説のナイトキラーだった。
──今回は縁がなく、彼は残念に思っていた。
ノクトのその表情を見て、セドリックは穏やかに微笑んでいた。
微笑みの裏で、彼は──
行かせませんよ。
静かに、碧眼の輝きに暗い情念を燃やす。
貴方は、オレが守りますから。
オレの、憧れの英雄──




