第十話 夜の狩人、酒を知る
もう日が暮れかけている。斜陽が王都をオレンジ色に照らしていた。
ノクトとトロントの二人は報告書作成を明日にまわし、打ち上げのために大衆酒場に来ていた。
ノクトは、仕事で何度か来たことがあったが、酒場に客として来るのは初めてのことだった。
「おやトロント、今日は随分若くて美人な相方連れてるじゃないの」
酒場の女将が、元気に大量のジョッキを運びながら話しかけてくる。
ノクトは軽く頭を下げた。
トロントは、女将のその言いようにちょっと吹き出した。
「こいつ、男だぞ。やーっと仲間が一人成人したんでな、飲み仲間ができて嬉しいぜ。ノクト、そこの壁際に座ろう。早い時間だから、いい席があいてて助かる」
トロントは慣れた様子で席を指定する。円のテーブルに、それを囲うように円状のソファがある。ゆったりとできそうな特別な席だった。
ノクトは柔らかい綿が仕込まれたソファに腰掛けた。
トロントは、ノクトの最初の酒のために何がいいか少し悩む。
「最初だから、なんか飲みやすいやつがいいだろうな……なんか、飲みたいのあるか?」
「よく知らないんだ。トロントに任せる」
「そっか、じゃあ……女将、注文たのむ!」
忙しなくやってきた女将に、トロントは自分のための麦酒、ノクトのためのザクロとラムのソーダ割り、そしてとりあえず串焼きと野菜の盛り合わせなどを頼んだ。
そして、飲み物とお通しだけは即座にやってくる。相変わらず、酒飲みの気持ちがよくわかっている店だと、トロントは思っていた。
「ザクロとラム?赤くて綺麗だな……」
置かれた真っ赤なソーダを、ノクトは興味深そうに見ていた。
トロントはそれを見て、笑って言った。
「そうだろ。飲みやすいし、最初の酒としてはぴったりなんじゃないか。
オレのは麦酒ってやつだ。こいつは苦いからな……まあ、酒を飲み慣れてきたら挑戦してみるといい」
「イメージ的にみんな麦酒ってやつを飲んでいるもんかと思ったが、最近は綺麗な酒が色々あるんだな」
「そうだな。客の好みも千差万別だし、人気のある店ほど酒の研究に余念が無い。ま、ともかく、乾杯しよう。今日はお疲れ!それから、お前の初酒に乾杯だ」
二人は互いの杯を軽く打ち付け、最初の一口を飲む。
ノクトは初めての酒を飲んだ感想を思わず口にした。
「なんだ、ジュースみたいだな。甘くて、飲みやすい」
「そいつは飲みやすいが、けっこうアルコール入ってるからな。気をつけろよ」
トロントは苦笑しつつ、一応注意喚起する。
「まあ、このぐらいなら、全然問題なさそうだ」
「お、いけるクチかぁ?これは飲み仲間が増えそうで嬉しいぜ」
満面の笑顔で言うトロント。
そうしている内に沢山の串焼きと野菜の盛り合わせも届き、必要に応じて食事を追加しながら宴を楽しむことにした。
ちゃっかり、ナイトスコーピオンのアイリーンも水をもらっていた。彼女は水がありさえすれば継続的に活動ができる。器用にグラスの中に頭をつっこんで水を飲んでいた。
「それにしても、今日の地域交流会は色々と心配もあったが、結果的には大成功だったな」
熱々の串焼きを頬張りながら、トロントは満足そうに笑う。
ノクトは肩をすくめながら言う。
「面倒ではあったが、何も心配なことはないだろ」
「いや、オレはお前が子供たち相手に暴走するんじゃないかと心配だったね……色々と……」
「暴走などしないが?」
ノクトは澄ました顔でザクロとラムのソーダ割りをすいすいと飲んでいる。
「……この酒はうまかった。他になんか、飲みやすいやつで、おすすめはないのか」
「いけるじゃん、ノクト。じゃあハニーモヒートとかどうだ?ハチミツが入ってて、ミントの風味が爽やかな酒だぞ」
「うまそうだな、それにする。料理も追加しようぜ」
二人とも適度に酒が入って楽しい雰囲気になって、食い気が増してきた。
ナイトスコーピオンのアイリーンにもその楽しい雰囲気が伝わって、嬉しそうだった。
そこそこ食い、飲み、酒がすすみ──
腹も満ち、トロントは、大きな氷の入ったウイスキーをちびちびと飲んでいた。
「ああ、なんか、こういうの楽しくていいな」
ノクトが満足そうに言う。
おや、とトロントは思った。言葉からトゲが抜けている。
そして、彼はトロントが飲んでいるものに興味を示して言った。
「その酒、これは何だ……?すごく量が少ない。こんなんで一杯なのか」
「まあ、こいつはな。ウイスキーなんだが、多分お前には無理だから、頼まないほうがいいぞ」
トロントがそう言うと、ノクトは途端にむっとした。
「お前はすぐ、そうやってオレを子供扱いする!あの時だって……!」
突然ノクトが大きな声を出すので、トロントは苦笑しながら、慌ててなだめる。
「いつの、なんの話だ、とにかく落ち着けよ。お前もしかして、酔ってんな?」
「酔ってない」
ノクトは不満そうに、酔っ払いの定型文を口にする。
「酔ってんじゃねーか」
一方トロントも、いい感じに酔いが回って普段よりも口が軽かった。
「そう言えばお前〜、微妙に悪い噂になってんの、良くないぞ」
「噂って、なんのことだよ」
「女癖だよ、女癖」
「おんなぐせ?」
ノクトは何を言われてるのか全くわからないという顔をする。トロントは頭を抱えて声にならないため息のような声を出す。
「お前、何人も女とか何だとか連れ込んでるだろ。風紀的に、マジで良くないぞそういうの」
「連れ込んでる……?よくわからないが、相手にそうして欲しいと言われてしてるだけだ。オレも別に……。本当にわからないんだが、なんで、他の誰かに何か言われなきゃならないんだ?」
「カーッ、マジで悪気なしってか……」
このモラルが崩壊した善人をどう扱えばいいのか、トロントにはわからなかった。
が、どうしても一言いいたかった。
こいつのために、という免罪符が、厳しい言葉を投げさせた。
「……それ、慰めるためのいい道具として利用されてるぞ。それとも、お前が利用してるのかよ?少しは自分の体を大事にしろよな……お前はほんとに……昔からそうだ!」
トロントが芋づる式に過去の色々を思い出し──何に苛々しているのかもよくわからなくなってきて声を荒げた。ナイトスコーピオンのアイリーンは色々思うところがあり、静かに聞いていた。
するとノクトは、びくっと体を震わせ、深く傷ついたように言った。
「利用してるって……そうじゃない、違うよ……なんでそんなこと言うんだ……?」
トロントは言ってしまってからハッとした。
ノクトは下を向いて苦しそうに、独白のようにつぶやく。
「お前にはわからないかもしれないけど……寝る時にあったかいと……誰かに必要とされると、こんなオレでも生きていてもいいと、思えるんだよ……」
その表情を見て一瞬トロントは酔いが全て引くぐらい怯んだが、始まってしまった会話をなかったことにはできなかった。
「お前の本当の意思はどこにあるんだよ。危ういよ、お前……正しくない……
つーか、お前が自分で自分を大事にしてくんねぇと、お前を大事に思っている周りはキツイっつーの……」
それは──つまり、オレがキツイってことだ。
トロントは、よく分からなかった苛立ちの先にある答えにようやく辿りついた。
だったら、最初から素直に、こいつにそう言えば良かったのに。
お前が無自覚に自分を粗末にしているのを見るのは辛いと──それは出会った時からずっとだ。
だが、もう遅い、とトロントは思った。覆水盆に返らず……
言う内に少しずつだが冷静さを取り戻し──謎にヒートアップしてしまったことをトロントは心底後悔した。
彼は思った。オレもそこそこ、酔っ払っているみたいだ。今日が楽しくて飲みすぎた、か……
「いや、すまん。言い過ぎた……悪い。オレがいちばん、お前を傷付けたみたいだ……勘定して、今日のところはお開きにしよう」
冷静になってトロントはそう切り出すと、精算のために立ち上がろうとする。
だが、どういう訳か、うまく立てない。
見ると、ノクトが自分のコート裾を引っ張っていた。
彼は、心底驚いた目でそれを見た。
「な、なに引っ張ってんだ。とりあえず離せ」
「絶対に、嫌だ」
「……は?」
断固とした拒否を示す、ノクトの言葉。
トロントは更に驚いて言う。
「な、なんなんだよ、何が嫌なんだ」
「せっかく初めての酒で、楽しい気分だったのに……つまんない気分で終わらせる気かよ。絶対にまだ帰らないからな!」
それは全力で我儘を言う少年のようで、トロントはあっけに取られた。
こいつ……
酔うと、こうなるのか──




