10「エリシアの過去」
「......そのダンジョンのボスであるアンデッドは、私の父なんです」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
「......父親?」
エリシアは俯いたまま、小さく頷いた。
さっきまで腹が減っただの何だの考えていた頭が一気に冷える。
アンデッドって、つまり死んでるんだよな。
「ちょっと待って。そのアンデッドって十年くらい前からいるんだよな?」
「はい」
「エリシア、今いくつ?」
「十六です」
「じゃあ......」
「父がいなくなったのは、私が六歳の頃です。私が生まれてすぐに母は亡くなり、男手一つで育ててくれました」
十年前。
時期まで一致するのか。
フィオもセレスも黙ってエリシアを見ている。
「お父さんは、なんでそんなダンジョンに行ったの?」
フィオが静かに聞いた。
「当時はまだ、『嘆きの巣窟』なんて呼ばれていなかったんです」
「違う名前だったのか?」
「はい。『白晶の洞窟』と呼ばれていました」
「ああ、聞いたことあるわ」
フィオが反応した。
「確か、昔はそこまで危険なダンジョンじゃなかったはずよね?」
「そうです。今のようにアンデッドだらけでもありませんでした」
嘆きの巣窟なんて名前からして絶対入りたくないが、白晶の洞窟なら少し観光地っぽさすらあるな。
名前って大事だ。
「じゃあ、お父さんは普通に依頼で?」
「父は教会に所属する光と水の魔法使いでした」
「エリシアも杖を持っているってことは、魔法使いなんだよな?」
「はい。私も光魔法を得意とする魔法使いです。父の影響ですね」
エリシアの表情がほんの少し柔らかくなった。
「父は優しい人でした。少しだけ、抜けているところもありましたけど」
「抜けてた?」
「よく忘れ物をしては息を切らして家まで取りに帰ってきていました」
「......なんか急に普通のお父さんになったな」
「普通の父ですよ」
エリシアはそう言って、ほんの少しだけ笑った。
そりゃそうか。
S級アンデッドだなんだと聞いていると忘れそうになるが、元々は普通に家族と暮らしていた人なんだ。
「私が初めて治癒魔法を使えた時も、父が一番喜んでくれました」
「六歳で魔法使えたのか?」
「初歩も初歩ですけどね。クオンさんでも使える程度です」
「急に俺を刺すなよ」
「分かりやすいかと思いまして」
こいつ、さっきまで弱ってたくせに意外と口が悪いな。
フィオが少しだけ笑う。
セレスは相変わらず無表情だったが、話の続きを待っているようだった。
「それで、十年前に白晶の洞窟で異変が起きたんです」
エリシアの表情がまた曇る。
「異変?」
「それまでほとんど確認されていなかったアンデッドが、急に現れるようになったそうです。それも一体や二体ではなく、日を追うごとに数が増えていったと」
「不自然だな」
セレスが口を開いた。
「アンデッドが発生すること自体は珍しくない。だが、短期間に同じ場所で大量に発生するなら何か原因がある」
「父たちもそう考えたそうです」
「父たち?」
「洞窟の異変を察した父と仲間たちが調査に向かったんです」
なるほど、アンデッドが巣食う場所に無謀に挑んだわけじゃない。
その時はまだ、そんな危険な場所になっているなんて誰も知らなかったんだ。
「出発した日のことは、今でも覚えています」
エリシアは膝の上で手を強く握った。
「父は、三日ほどで帰ると言っていました。帰ってきたら、魔法の続きを教えてくれる約束もしました」
その言葉を聞いて、誰も何も言わなかった。
「でも、三日経っても帰ってきませんでした」
エリシアの声が少し小さくなる。
「一週間経っても、一ヶ月経っても」
そこで一度、言葉が止まった。
「父は帰ってきませんでした」
店の中は騒がしい。
俺たち以外の客は普通に飯を食って、酒を飲んで笑っている。
なのに、この席だけ別の場所みたいに静かだった。
「父と仲間たちはどうなった?」
セレスが聞く。
「ほぼ全滅です」
「......ほぼ?」
「二人だけ、生きて帰ったそうです」
エリシアは続ける。
「その二人の話では、洞窟の奥で大量のアンデッドに襲われたそうです。父は皆を逃がすため、一人でその場に残りました」
フィオが辛そうな顔をする。
「じゃあ、お父さんはそこで......」
「私も、ずっとそう思っていました」
ずっと?
「二年後、ギルドが再び高ランクの冒険者を集めて調査隊を送りました」
「S級のダンジョンになった後か?」
「はい、その調査隊も攻略には失敗しました。ただ、一人だけ最深部近くまで到達した冒険者が生還したそうです」
「その人が、お父さんを見たの?」
フィオの問いに、エリシアは頷いた。
「父が使っていた杖を持ったアンデッドがいたと」
「杖だけなら、拾ったとかもあるんじゃないか?」
俺がそう言うと、エリシアはこちらを見る。
「私もそう思いました」
「他にも何かあったのか?」
「......魔法です」
「魔法?」
「高度な水魔法を、アンデッドが使ったそうです」
水魔法、か。アンデッド系の魔物が使うイメージは浮かばない。
「父は光魔法と水魔法を得意としてました。報告にあったものと一致しています。水の龍を操る魔法も、父が得意としていました」
「それで父親だと」
「......はい」
「顔は?」
「確認できなかったそうです。人の姿はほとんど残っていなかったと。その姿は......骸だったと」
エリシアはそのアンデッドを父親だと思っている。
多分、思いたいんじゃなく、そうとしか考えられないんだ。
「間違いだったらいいとは思っています」
エリシアがぽつりと言った。
「知らないアンデッドが、たまたま父の杖を持っていて、たまたま同じ魔法を使っただけなら......それが一番です」
「......でも、確かめたいのか」
「はい」
「だからダンジョンに行こうとしてる、と」
「それだけではありません」
エリシアはゆっくり顔を上げた。
さっきまでより、その目は真っ直ぐだった。
「もし本当に父なら、私は父を連れ戻すつもりはありません。もう父は、死んでいるんです」
十六歳の女の子が、実の父親についてそう言った。
「十年前に死んだんです。それなのに、今もあの場所に縛られている」
エリシアの手が震えている。
「だから......」
一度言葉に詰まり、唇を噛む。
「もう、眠らせてあげたいんです」
フィオが俯き、セレスも何も言わなかった。
俺だって、なんて言えばいいのか分からない。
死んだ人間がアンデッドになる。
この世界に来てから色々あったけど、さすがにこんな話を聞くのは初めてだ。
それに俺は一度死んでいる。
まあ、その後アメーバにもなってもう一回死んだけど。
......今それを思い出す場面じゃねえな。
「同行してくださる冒険者を探していましたが、なかなかいなくて」
「エルムじゃ見つからなかったの?」
「十組以上に断られました」
「まあ......Sランクだからな」
当然と言えば当然だ。
命を賭ける理由が、その人たちにはない。
「一人で挑んだのですが、入り口の付近ですらまともに攻略できず、命からがら逃げました」
「それで倒れたのか」
「......はい」
「無茶しすぎでしょ」
フィオが呆れたように言う。
「反省しています」
エリシアは水を一口飲む。
そして、俺たち三人を順番に見た。
「......あの」
「ん?」
「お願いがあります」
嫌な予感がする。
いや、もう何を言うかなんて分かっている。
エリシアは椅子から立ち上がると、俺たちに向かって深く頭を下げた。
「私を、『嘆きの巣窟』へ連れて行ってください」
少しだけ間を置いて、フィオが口を開いた。
「無理ね」
そう、はっきりと断ったのだ。
フィオが言わずとも、俺も断っただろうな。
「私たちは駆け出しのFランクパーティーよ。とてもじゃないけど、Sランクのダンジョンに挑むなんて考えられないわ」
「そう、ですよね」
「あなたも、無茶なことはやめなさい。もっと腕を磨いて、仲間を作って、万全の体制になってから挑むことね」
「......はい、すみませんでした」
「とりあえず、今日はゆっくり休んだらどうだ? ボルグのおっさんから飯代は貰ってるから、たくさん食えよ」
「はい」
その後はどこか重い雰囲気のまま食事を進めた。
帰り際、俺たち三人はエリシアと別れ、宿に戻る。
「あの子やっぱり心配ね」
「......だな」
「だが、私たちにはどうすることもできない」
本当に心配だ。無茶をしないと良いが。
次の日、ギルドに向かった俺達が耳にしたのは、名を上げたいCランクパーティーとエリシアが嘆きの巣窟に向かったという話題だった。




