9 再婚するの?
夕食は千夏の好きな豚の生姜焼きだ。豚肉を見ると、ついアイシャを思い出してしまう。
「焦がしちゃったから、にがかったらよけてね。ねえ千夏、食べながら聞いてほしいんだけど」
「すごく美味しいよ。なに?」
「明日のこと。会ってもらいたい人がいるって言ったでしょ。実はね……」
ママの口ぶりはいつも通りだった。とくに気負ったようすもなかったので、千夏の耳にはエアコンの冷気のようにすうっと浸透した。
その人はママが付き合っている人で、最近プロポーズされた。みんなで一緒に住みたいと思っている。
予想していたのでいまさら驚きはしない。真帆とした会話が緩衝材になっていたせいもあって、妙に落ち着いて聞くことができた。
「再婚するの?」
「まだ決めてない」
「うそ、したいくせに」
「決める前に千夏には相手の男性とその家族にあってもらいたいの」
「家族って?」
「あちらには小さなお子さんがいらしてね。一緒に住むには相性もあるし。だから結婚は急がないつもり。なんなら、千夏が成人してからでもいいと思っているの」
一瞬声が出なくなって、千夏は水の入ったグラスを取ろうとしたが、誤って倒してしまった。
「あ……」
こぼれた水をママが布巾で拭う。まるで慌てた様子はない。
千夏はますます動揺した。マラソン大会のときみたいに胸が苦しい。ママの再婚が具体的な輪郭を取り始めただけで、千夏の心臓はぽんと弾けてしまう。
テーブルの上で丸くなっていた千夏の手を、ママはポンポンと叩いた。まるで幼い子供をなだめるような仕草だった。
「み、水欲しい」
ママは冷蔵庫から冷えたペットボトルを出して千夏のグラスに注いでくれた。
その顔には柔和な笑みが浮かんでいる。
ママとパパが離婚して以来、こんな表情のママを見ていなかった。厳かな自信に満ちた、たくましい花のようだ。ママの気持ちはとっくに固まっているのだ。
反対する気はさらさらないけれど、たとえ千夏が反対しても、最後にはママの希望通りにことが運ぶのだろうことは予測できた。
「ママはその人が好きなんでしょ」
「ふふ。もちろん、そうね」
千夏は息を吐いた。敗北感に似た思いが湧きあがる。降参するしかない。
「いいよ、ママが選んだ人を見てやるから。じっくりとね」
「あちらさんには7歳の息子さんがいるの。了解しておいてね」
ともかく、一度会って人物を吟味するまでは、これ以上何も言えない。祝福もできない。たとえ反対しても、千夏が成人するまで待ってから結婚する気なのだと思えば、虚しくもなる。




