8 悪口
金曜日。明日はママの恋人に会う日。気負わずに成り行きにまかせるしかない。
というか、真帆のことで頭がいっぱいでほかのことを考える余裕はない。
放課後、いつもどおりに真帆と帰るつもりが、なぜか真帆が黙って席を立つ。
「待って真帆。一緒に帰ろうよ」
「いいけどさ、千夏、ちょっと……どうかしてるよ」
真帆はうっとうしそうに千夏を見やる。
思い当たることがあったので、千夏はわざとへらへらと笑った。
「だって別に、花柄のスカーフで怒ることないでしょ」
絹のヒジャブが目立ちすぎると誰かに言われたのか、今日のアイシャは小花柄のピンクのスカーフ姿だった。材質はポリエステルの安そうな生地だ。前髪が少しはみ出ていて、それがくるんとカールしていて顔を縁取って、柔らかな印象になっていた。かえって人目を引いた。
真帆はそれが気に入らないのだ。
「パーマ禁止なのに! 布で隠してたんだよ!」
「地毛だと思うけど。校則違反だったら前野くんのブリーチとか立花さんのスカート丈だって……」
「千夏。ノリ悪い」
「ごめん。でも不必要に意地悪く言うのはノレない……かな」
「じゃあ、ポンのこと悪く言ったら?」
千夏の取り巻きだったポンという子は、今日、アイシャに声をかけた。とくに真帆に断りもなかったらしく、それもいら立ちの種のようだ。
「どっちともいい顔しようとして、あーいうの信用できない。もうポンと仲良くするのやめよう。無視しようね」
「え、うん。いいけど……」
「ふふ。やっぱりね。千夏はわたしの味方だと思ってた。じゃ、ポンの悪口大会しながら帰ろうか」
昨日まではまさにポンのような取り持ちをするつもりでいたから、真帆の反応にはひやりとなった。その一方で、ポンはわたしの次に真帆と仲が良かったから、ライバルが消えたと喜ぶ自分もいる。
しかし雲行きは怪しい。ポンの悪口はすぐに尽きて、またアイシャの悪口が復活したのだ。
「浅黒い肌はしかたないにしても、せめて目立たないようにしたらいいのに。なんで派手なかっこにすんの。どうしたらあのスカーフを剥ぎ取れるかな?」
千夏はどうやったら理解してもらえるかと悩んだ。真帆自身はひどいことを口にしている自覚はないようなのだ。行動に移す前に気づいてもらいたかった。
「……隣のクラスにオーストラリアからの交換留学生の男の子がいるじゃない?」
「ああ、トマスね。けっこうかっこいい」
真帆の口ぶりに、胸がちりと焦げる。
「彼、十字架のネックレスつけてる」
「……だから、なに?」
「誰もなにも言わないよね」
「……十字架はいいんじゃないの。日本で言うお守りみたいなもんだもの。それにこれみよがしに見せてこないでしょ」
「わたしはイスラム教のこと、よくわかってないけど、真帆が嫌いなのはなんで? なんか嫌な目にあったことあるの?」
「あ、ちょっと見て」
真帆が前方の児童公園に目を凝らした。植栽のあいだから二つの人影が覗き見えた。
「あ」
アイシャとトマスだ。英語で会話をしているようだ。
日本語がたどたどしいトマスは学校では手振り身振りが多い。なのに、今はのびのびとリラックスしたようすで笑顔で会話をしていた。
真帆は千夏の制服をぐいぐいと引っ張って、その場から離れた。見えない距離になってから真帆は勝ち誇ったような表情で千夏を見た。
「ドン引きした。ねえ、ドン引きしたでしょ。アイシャはやっぱり男好きなんだよ。化けの皮が剥がれたね」
「化けの皮って……」
熱心に話しかけているのはトマスのほうだった。
はたして真帆と同じものを見ていたのかと不思議に感じた。
「なに言ってるのか聞き取れたの?」
「わかるわけないでしょ。外国人同士でわかんない言葉で話してるのは、ちょっとやなのよ。そうね、わたし、外国人が嫌いなのかも」
真帆はなにか思い出したようだった。
「……なんか嫌な目にあったことあるの?」
「わたしさ、中学一年まで別のところに住んでいて、そこは在日が多かったの。在日って在日コリアンのこと。ママのお使いで近所のキムチ屋さんに行ったんだ。中には数人のコリアンのおばさんがおしゃべりに夢中でさ、扉を開けてわたしが入った瞬間に、それまで日本語で話していたのをやめて、急に韓国語で話し出したの」
そこで真帆は言葉を切り、千夏の反応をうかがった。
「ちょっと感じ悪いね。それは」
思わずおもねるような言い方になった。きっと子供に訊かせたくない話だったのだろう。誰かの悪口で盛り上がっていたのかもしれない。
しかし真帆は意地悪をされたのだと言う。
そういうこともあるかもしれない、とも思う。
知り合ったころ、真帆から聞いた。中学生のときはいじめっ子だったと。
いじめの方法はいろいろあるが、無視や仲間はずれは定番だ。その場にいないかのように無視する、仲間内でしかわからない言葉を話す。おまえの存在には価値がないと仕草で示す。
真帆はおばさんたちにいじめられたと感じたのだろう。
「そのおばさんたちが嫌い、ならわかるけど、外国人全員にまで広げることないんじゃない? わたし、韓国のアイドルグループ好きだし……」
「それはいいよ。彼らはいつも日本大好きって言ってるでしょ。うーん、じゃあ、日本を嫌ってる韓国人朝鮮人とムスリムと中国人が嫌い。これならわかるでしょ」
真帆は顔を寄せてすがるような目を向けてくる。いつも強気なくせに傷だらけのうさぎみたいな真帆。感受性が繊細すぎるのかもしれない。
「わかる。日本嫌いとか日本人嫌いとか言われたら気分良くないよねえ」
真帆は満面の笑みになる。
アイドルグーループのメンバーがもし「日本嫌い」と言ったとしても、わたしは気にしないだろうとは言えなかった。だって、彼らのダンスと歌唱とプロ意識をリスペクトしているからだ。日本と自分はイコールじゃない。
「やっぱり、千夏はわたしのこと好きよね」
「え」
心臓がどくんと踊る。
「わたしが嫌だなと思うこと、千夏も嫌なんだよね。だからわたしは千夏が好きだよ。これからもずっと友達でいてよね」




