2 ママはずるい
エアコンの冷風が肌に刺さる。目をつぶって想像する。濡れた体が霜柱に変化していくさまを。霜柱になった自分を思いきり踏んづけてぐちゃぐちゃの泥まみれにしたら気持ちいいだろう。
自分で自分を踏んづけるのはどうやったらいいのかわからないけれど。
「ただいま。あら、エアコンつけてんの?」
「……ちょっとカビくさい……」
エアコンの風がカビくさいのか、自分がカビくさいのか、わからない。
「風邪ひくから着替えなさいよ。雨に打たれたんでしょ。服が湿ってるじゃない」
仕事から帰ってきたばかりなのに、休む間もなくキッチンに立つママ。
だらしない自分には居場所がない。親のいうことを素直に聞く娘を演じて「よいしょ」と立ちあがる。
ママのお気に入りのソファ、濡れたところだけ色が濃くなっていた。
パパと会ってきた日、パパが元気だったかを最近のママは訊かない。
関心がなくなってるのだ。
ずるい、と思う。わたしだけがパパと縁が切れない。繋がっていないといけない。
成人するまでの我慢だ、とわかってはいるけど。
部屋に戻ってバッグをベッドに投げる。カサと乾いた音がして封筒が飛び出した。封筒の口から小さくたたんだ紙片が見えた。
『千夏へ
もしかしたら海外に赴任することになるかもしれない。
そしたらしばらく会えなくなる。
千夏は考えたことないか。パパと一緒に暮らすことを。
海外に留学すること、考えてみないか。
来月、詳しい説明をするよ。ママの説得はまかせてくれ』
夕食は美味しかったが、最近和食が続いているなと思った。ママの好みが変わったのかもしれない。それとも、わたしがもうナポリタンやハンバーグではしゃぐ子供ではないからなのか。
「ママは和食のほうが好き? それとも洋食のほうが好き?」
千夏はポケットにしのばせた紙片から意識をひきはがした。
「そうねえ。一番好きなのは炒飯と餃子だから、中華かしら」
「いいね。炒飯と餃子は最高。ニラ焼餅も酢豚も大好き」
ふと友人の真帆の顔が浮かんだ。クラスメートで親友。だけど、それだけじゃない。
なぜだか二人ともお腹を空かせていた帰り道にコンビニによって、なぜだか二人とも持ち合わせが寂しくて、中華まんをひとつしか買えなかったことを思い出した。半分ずつ分け合って、美味しいねと笑う真帆の笑顔を、かけがえのない宝物だと気づいたのは三ヶ月ほど前のことだ。にちゃあと緩みそうになる口元をごまかそうと、ふざけた調子で口を開く。
「ねえねえ、ママは再婚しないの?」
「なあに、突然。千夏はまだ子供なんだからそんなこと考えてらんないでしょ」
「だってママには幸せになってもらいたいんだもん」
いつか真帆を紹介したい。友人ではなく恋人として。ママは偏見を持ってないと思うけど、いきなりだとびっくりしてしまうかもしれない。
「アジの南蛮漬け、すごく美味しいね。卵焼きも出汁が効いてる。今度、作り方教えて」
「千夏、今度の土曜日、一緒に出掛けない?」
「いいけど……」
「会ってもらいたい人がいるの」




