第40話 冬と春、二人の同じ記憶
北方施設にいる十三人は、全員が現在も生きている。
そう語った《冬》は、凪の旧名を使わないよう求めた。
しかし別の一人、《春》は正反対に、
冬を信じるな。
凪の名前を使え。
と告げる。
同じ一人から分かれたはずの十三の人生。
同じ過去を持っているはずなのに、なぜ二人は真逆の答えを出すのか。
レインは、どちらが正しいかを決める前に、二人の証言を別々に聞くことにする。
朝。
ネレイス島の海は静かだった。
名前のとおり。
凪いでいる。
レインは共同家屋の窓辺へ座り、聞き書き帳を開いていた。
頁の上。
《冬》――凪の旧名を使用するな。
《春》――凪の旧名を使用せよ。
二つの証言。
結論は正反対。
「まず」
エルナが向かいの席へ座る。
「両者に同じ質問をしますか」
「はい」
「順番も?」
「できるだけ」
「同時ではなく?」
「別々に」
「互いの回答を知らせず?」
「最初は」
証言の汚染を避ける。
相手が何を言ったか知れば。
意識的でも。
無意識でも。
自分の説明を相手へ合わせたり、反発したりする可能性がある。
「質問項目は」
エルナが紙へ書く。
一。
自分を何者だと認識しているか。
二。
十三人の関係。
三。
元の一人について。
四。
凪の旧名が何をするのか。
五。
凪の旧名を使う、あるいは使わない理由。
六。
他の十二人をどう扱いたいか。
七。
現在何を望んでいるか。
「七項目」
バルドが言う。
「海鐘守みたいだな」
「意図的ではありません」
「増えるかもしれません」
『増える』
ミラが即答した。
「たぶんな」
◇
問題は。
どうやって冬と再接続するか。
昨日は。
閉じたレオの航海日誌へ。
向こうから文字が現れた。
こちらから呼ぶ仕組みではない。
「名前を呼べば?」
バルドが言う。
「《冬》は本人が現在使っている呼称です」
レインが答える。
「ただし、呼び出し術式として使ってよいかは別です」
「では」
『私が聞く』
ミラが北へ顔を向ける。
『昨日みたいに』
「距離は」
『すごく遠い』
「負担は?」
『少し』
「長時間は?」
『嫌』
「では短時間」
ミラが目を閉じる。
北。
雪。
遠い。
死者ではない。
生者の声。
普通なら。
ミラが聞ける距離ではない。
だが。
レオの航海日誌。
ネレイス島。
北方施設。
古い記録網。
それが細い糸のようにつながっている。
『冬』
ミラが呼ぶ。
『聞こえる?』
返事。
すぐにはない。
数十秒。
やがて。
レオの航海日誌表紙に。
文字が浮かんだ。
聞こえる。
「今」
レインが言う。
「話を聞いてもいいですか」
春もいるか。
「今は冬さんだけへ聞きたいです」
なぜ。
「それぞれの証言を混ぜないためです」
少し間。
分かった。
「この会話を記録しても?」
一部。
「公開範囲は質問ごとに確認します」
面倒だな。
「よく言われます」
文字が。
一瞬止まり。
レオに似ている。
「俺が?」
違う。
面倒なところが。
ミラが笑った。
◇
「では」
「最初の質問です」
「冬さん」
「現在、自分を何者だと認識していますか」
文字。
冬。
「それは呼称?」
そうだ。
「元の一人の一部?」
長い沈黙。
その言い方は嫌いだ。
「では、どう表現しますか」
私は私だ。
ただし。
私の人生の最初の部分は。
他の十二人と同じだ。
「途中までは同じ人生?」
そうだ。
「どこから分かれた」
十九歳。
エルナが書く。
「十九歳以前の記憶は」
ほぼ同じ。
「十三人全員?」
少なくとも。
私が確認できた範囲では。
「十九歳以降は」
違う。
「どんな違い」
私は北方施設へ残った。
春は逃げた。
レインの目が細くなる。
「春さんは施設外に?」
一度。
「今は」
戻っている。
「十三人全員が同じ場所に?」
身体は。
ほぼ。
「ほぼ?」
二人は施設外。
「誰」
今は答えない。
「理由は」
本人に確認していない。
レインは少し驚く。
「分かりました」
◇
「二つ目」
「十三人は、どういう関係ですか」
同じ人間から作られた。
「作られた?」
生まれた、ではない。
「元の一人を複製?」
違う。
「分割?」
近い。
「記憶を十三に?」
人生を十三に。
「もう少し具体的に」
しばらく。
十九歳までの一人の人間。
その時点で。
十三通りの将来予測を作った。
「予測?」
そうだ。
「未来の可能性を十三種類?」
そうだ。
「それを記録人格として?」
最初は。
「その後」
身体を与えた。
全員が黙る。
「どうやって」
生体複製。
「完全な複製体?」
違う。
元の身体を。
十三へ分けた。
「物理的に?」
説明が難しい。
施設では。
《生命履歴分岐》と呼んでいた。
エルナが筆を止める。
「生命履歴」
「つまり」
「十三通りの未来を」
「十三の身体として現実化した?」
そうだ。
「十九歳から」
「それぞれ別の人生を実際に生きた」
そうだ。
海では。
複数人を一つへ。
王都では。
一人の中の要素を分け。
北では。
一人の未来を。
十三へ。
◇
「三つ目」
「元の一人について」
「その人は現在も存在しますか」
文字が止まる。
長い。
非常に長い。
分からない。
「十三人のどれかが元本人?」
それを決めるための施設だった。
「どういうこと」
十三の人生を実際に生かし。
最後に。
最も望ましい人生を一つ選ぶ。
「誰が」
管理者。
「選ばれた一人が」
「元の一人として扱われる?」
正式な本人として。
「残り十二人は」
廃棄。
バルドの顔が険しくなる。
「廃棄って」
そう記録されている。
「本人たちは知っていた?」
最初は知らなかった。
「いつ知った」
二十六歳。
「現在年齢は」
四十二。
十三人。
二十三年間。
それぞれ別の人生。
その末に。
一人だけ本物として残す。
「冬さん」
「あなたは」
「自分が元の一人だと思っていますか」
思わない。
「では誰が」
誰でもない。
「十三人全員?」
今は。
十三人全員が。
元の一人から生じた別人だと思っている。
「全員同じ意見?」
違う。
「春は」
自分が元だと思っている。
だから。
正反対。
◇
「四つ目」
「凪さんの旧名は」
「北方施設で何をしますか」
冬。
第十三人生室を開く。
「それだけ?」
長い沈黙。
違う。
「何を」
十三人生統合命令を起動する。
「どう統合する」
十三人の記憶。
身体履歴。
感情。
選択。
すべてを一つの人生へ再構成する。
「十三人のうち一人へ入れる?」
施設はそう説明する。
「実際は」
分からない。
「試されたことは」
一度だけ。
「誰に」
私たちより前の世代。
「結果は」
一人も残らなかった。
全員が息を止める。
「全員死亡?」
身体は一つ残った。
「人格は」
反応しなくなった。
「なぜ」
十三人生すべてを。
一人分として矛盾なく成立させようとした。
「できなかった?」
できるはずがない。
「だから凪さんの名前を使うな」
そうだ。
◇
「五つ目」
「では」
「なぜ凪さんの旧名が」
「統合命令の鍵なのです」
凪は。
海側で。
複数人格を統合するために作られた。
「共通統合核」
そうだ。
「北では」
十三人生を一人へ戻すため。
「本人は知っていた?」
一部だけ。
「どこまで」
自分の名前が。
複数施設で鍵になっていること。
「統合後に何が起きるかは」
知らない。
「冬さんは」
「凪さんへ伝えないでほしいと」
「昨日言いました」
そうだ。
「なぜ」
名前を思い出した直後だから。
「それだけ?」
違う。
「では」
文字が。
しばらく出ない。
凪は。
自分の名前を。
誰かを壊す鍵だと知れば。
また消そうとする。
レインは黙る。
「あなたは」
「凪さんを守りたい?」
そうだ。
「本人へ知らせないことで?」
今は。
「それは」
「あなたが凪さんに代わって」
「知るべき時期を決めていることになります」
文字が止まる。
分かっている。
「それでも」
そうしたい。
「理由は」
私は。
一度。
春に真実を全部伝えた。
「何が起きた」
春は。
施設を壊そうとした。
「被害は」
三人死にかけた。
「死者は」
出なかった。
「だから」
情報を早く与えることが。
必ず本人のためとは思わない。
「でも」
「隠すことが本人のためとも限らない」
分かっている。
「では」
「あなたの希望として記録していい?」
いい。
ただし。
《冬は正しい》とは書くな。
「書きません」
◇
「六つ目」
「他の十二人を」
「あなたはどうしたいですか」
統合したくない。
「全員?」
全員。
「春も?」
少し間。
春も。
「春が統合を望んでも」
自分だけなら好きにすればいい。
「しかし十三人全部を巻き込むなら」
拒否する。
「冬さん自身は」
「現在どんな生活を」
北方施設で。
設備管理。
「自分で選んだ?」
半分。
「半分?」
施設から出ると。
身体が不安定になる。
「施設依存?」
そうだ。
「治療を望む?」
望む。
「施設外へ出たい?」
一度は。
「一度?」
今は。
分からない。
◇
「最後」
「現在、何を望んでいますか」
冬。
長い沈黙。
十三人を。
今のまま残したい。
「永遠に?」
それは違う。
「では」
各自が。
それぞれ自分の人生を続けられるようにしたい。
「施設依存を解く」
そうだ。
「凪さんの旧名は使わず」
そうだ。
「春さんとは」
話したくない。
「なぜ」
あいつは。
私を臆病者と呼ぶ。
「それが嫌」
それも。
「ほかには」
春を見ると。
私も。
統合したほうが楽なのではと。
思う時がある。
レインの目が動く。
「あなたも?」
ある。
「なぜ」
十三人でいるのは。
疲れる。
「何が」
誰かが結婚した。
誰かが子どもを持った。
誰かが人を殺しかけた。
誰かが施設へ残った。
誰かが逃げた。
全部。
同じ十九歳から始まっている。
「比較してしまう?」
する。
私が選ばなかった人生を。
十二人が生きている。
「それが苦しい」
そうだ。
「だから」
「一つになれば」
比較しなくて済む。
「でも」
消えたくない。
矛盾。
統合したくない。
でも。
一つになれば楽かもしれない。
両方。
冬の現在の意思。
「記録していいですか」
長い間。
いい。
そこは。
書け。
◇
冬との聞き取りを終える。
レインは。
本人の許可範囲だけをまとめる。
《冬》。
十三人生の一人として現在存在。
十九歳までの共通人生を持ち、その後は北方施設へ残ったと証言。
十三名のうち一人だけを《元の本人》とする考えを否定し、現在は十三名すべてを別人として扱うことを希望。
凪の旧名による十三人生統合を拒否。
ただし十三人で存在し続けることへの疲労から、統合すれば楽になるのではないかと感じることもある。
本人は、それでも現在の自己が消えることを望まない。
「大事ですね」
エルナが言う。
「統合を拒否する人が」
「一度も統合を望んだことがないわけではない」
「はい」
「本人の意思も」
「一枚岩ではない」
◇
「次」
春。
だが。
ミラが首を横に振った。
『少し休みたい』
「もちろん」
「どれくらい」
『昼まで』
「では、昼から」
無理に。
同じ日に両方へ聞く必要はない。
◇
昼までの間。
十二人の統合者記録。
二人目の対応が始まった。
身体へ戻りたいと希望した存在。
浜婆と。
セシリア。
エルナ。
本人。
北の白い木。
その下。
小さな地下室。
寝台。
そこに。
一人の女性が眠っていた。
三十九歳ほど。
髪は長く。
痩せている。
だが。
呼吸している。
「三十年」
バルドが呟く。
「どうやって」
「島の維持術式」
浜婆。
「身体だけは」
「生かしてきた」
「本人の意識は?」
セシリアが確認する。
「ほぼない」
「反射はあります」
「では」
「完全な空の身体ではない」
「はい」
貝殻の中の子どもの声。
『これ』
『私?』
「元の身体と記録されています」
『怖い』
「戻らなくてもいい」
『でも』
『触っていい?』
「身体へ接続せず」
「感覚だけ共有する方法があります」
『やる』
本人の希望。
少しずつ。
また。
別の話が進んでいる。
◇
午後。
ミラが再び北へ耳を澄ませる。
『春』
すぐ。
今度は。
レオ航海日誌ではなく。
レインの聞き書き帳の空白頁へ。
文字が浮かんだ。
遅い。
「春さん?」
そうだ。
「俺の帳面へ直接書く許可を」
もう書いている。
「今後も使っていいですか」
一瞬。
聞くのか。
「はい」
いい。
「会話を記録しても?」
全部。
「公開も?」
全部。
冬とは。
最初から違う。
「冬さんの回答は」
「今は伝えません」
いらない。
「理由は」
だいたい分かる。
「それでも」
「本人の回答を推測として扱います」
好きにしろ。
◇
「最初の質問です」
「現在、自分を何者だと認識していますか」
春。
「呼称として?」
そうだ。
「元の一人との関係は」
私が元だ。
即答。
「なぜ」
一番最初に施設を出た。
「それが元の証拠?」
違う。
私だけが。
元の一人が最後にしたかったことを覚えている。
「何を」
逃げること。
「十九歳時点で?」
そうだ。
「元の一人は」
「分割される前に逃げたかった?」
そうだ。
「冬もその記憶を持つ?」
持っている。
「ではなぜ」
「春さんだけが元」
あいつは。
その意思に逆らった。
「施設へ残ったから?」
そうだ。
「選択が違えば」
「元ではなくなる?」
元の意志を継いだ者が。
元だ。
「では」
「元の一人が十九歳の時」
「複数の矛盾した願いを持っていた可能性は」
文字が止まる。
何が言いたい。
「逃げたい」
「でも怖い」
「真実を知りたい」
「家族を守りたい」
「施設へ残る選択肢も考えていた」
「複数の意思があったかもしれない」
あった。
「なら」
「一つだけを元の意思と決める根拠は」
強かったから。
「何が」
逃げたいという意思が。
「どう測った」
私が覚えている。
「冬も?」
あいつは弱めて覚えている。
「なぜ違う」
分岐時に。
感情強度を変えられたから。
重要。
同じ十九歳まで。
だが。
分割時。
未来を別々に生きさせるため。
性格。
感情。
判断傾向。
強度が。
調整された可能性。
◇
「二つ目」
「十三人はどういう関係ですか」
私の派生。
「他の十二人を」
「自分から生まれた存在と?」
そうだ。
「十九歳までは同じなのに」
元が私だから。
「それを証明できる?」
できる。
「何で」
第十三人生室。
「そこに」
原初記録がある。
「開くには」
凪の名前。
「だから使えと」
そうだ。
「第十三人生室を開けば」
「誰が元か分かる?」
分かる。
「統合命令も起動する可能性」
知っている。
「それでも?」
止めればいい。
「止められる根拠は」
私が止める。
「どうやって」
原初権限を取る。
「あなたが元だという前提で?」
そうだ。
「もし違ったら」
違わない。
「証拠はまだ見ていない?」
だから開ける。
循環している。
自分が元。
元だから止められる。
証明するために開ける。
でも。
開けば危険。
「冬さんが反対する理由は」
怖いから。
「それだけ?」
あいつは。
十三人でいることに慣れた。
「あなたは」
慣れない。
「二十三年経っても?」
毎朝。
十二人の別の自分が。
どこかで生きていると思う。
吐き気がする。
◇
「三つ目」
「元の一人について」
「名前は?」
言わない。
「なぜ」
原初名だから。
「凪の旧名とは別?」
別。
「使うと」
十三人全員が反応する。
「現在使いたい?」
私は使いたい。
「ほかの十二人は」
冬は禁止している。
「本人たちへ確認した?」
五人は使いたい。
四人は嫌。
三人は保留。
「あなた自身は」
春でいい。
「原初名へ戻さない?」
施設を壊すまでは。
「では」
「春という現在名も」
「あなた自身が選んだ?」
そうだ。
「なぜ春」
外へ逃げた日。
雪が溶けていた。
冬。
施設へ残った者。
春。
逃げた者。
名前。
役割ではなく。
人生の分岐点から選んだ。
◇
「四つ目」
「凪さんの旧名は何をしますか」
扉を開く。
統合を起動する。
「冬さんと一致」
当たり前だ。
「それでも使うべき?」
使う。
「凪さんは拒否しています」
今は。
「今は?」
本当の機能を知らない。
「知ったら同意すると?」
可能性がある。
「同意しなければ」
長い沈黙。
説得する。
「それでも拒否したら」
……別の方法を探す。
初めて。
春が止まった。
「強制は」
しない。
「本当に?」
私は。
十三人生を強制で作られた。
同じことはしない。
「では」
「《凪の名前を使え》は」
「本人の同意を得て使えという意味?」
当然だ。
重要な違い。
冬は。
使うな。
春は。
使え。
だが。
春も強制使用を望んでいるわけではない。
「昨日の言葉だけでは」
「強制でも使えと聞こえました」
言葉が足りなかった。
「訂正しますか」
する。
レインは記録。
《春》の「凪の名前を使え」という発言は、凪本人の同意を得た上で北方施設の第十三人生室を開くために使用すべき、という意味であり、本人の拒否を無視した強制使用を求めるものではないと本人が訂正。
「これで」
いい。
◇
「五つ目」
「なぜ使いたい」
十三人でいることを。
終わらせたい。
「統合したい?」
違う。
「では」
誰が元か。
はっきりさせたい。
「その後」
元以外の十二人は。
春が止まる。
「どうする」
生きていい。
「元ではなくても?」
今は。
そう思っている。
「以前は?」
消えるべきだと思っていた。
「いつ変わった」
七年前。
「何が」
私の娘が生まれた。
全員が静かになる。
「春さんには」
「娘がいる?」
いる。
「何歳」
七歳。
「十三人のうち」
「子どもがいるのは」
三人。
「元でないと決まったら」
「あなたの娘にとって」
「あなたは偽物の父親になる?」
長い。
非常に長い沈黙。
それは。
嫌だ。
「だから考えが変わった?」
そうだ。
「以前は」
元以外は。
間違った人生だと思っていた。
「今は」
間違っていても。
娘にとって私は父だ。
「《間違っている》という言葉は」
……訂正する。
「どう」
元ではなくても。
今の人生が偽物になるとは思わない。
春も。
変わっている。
◇
「それでも」
「誰が元か知りたい?」
知りたい。
「なぜ」
自分の人生が偽物だからではない。
「では」
二十三年間。
それを決めるために。
施設が私たちを追った。
仲間も失った。
家族にも嘘をついた。
何のためだったのか。
知りたい。
「答えが」
「《元は誰もいない》だったら」
受け入れられるか分からない。
「でも可能性として」
ある。
「記録していい?」
書け。
◇
「六つ目」
「他の十二人をどうしたい」
自由にしたい。
「冬も」
あいつも。
「統合せず」
できるなら。
「施設依存を解く」
そうだ。
「では」
「冬と目的は似ている」
文字。
しばらく出ない。
方法が違う。
「冬は」
「第十三人生室を開かず」
「十三人の現状を維持したまま独立を目指す」
「春は」
「第十三人生室を開き」
「原初記録を確認してから施設を止めたい」
そうだ。
「争点は」
「誰が元かという結果そのものより」
「危険な部屋を開けるかどうか?」
春。
それもある。
「ほかには」
冬は。
過去を知らなくても生きられると思っている。
私は。
知らずに先へ行けない。
同じ過去。
違う結論。
記憶の違いだけではない。
今まで生きた人生が。
価値観を変えた。
◇
「最後」
「今、何を望みますか」
北へ来てほしい。
「すぐ?」
できるだけ早く。
「理由は」
施設が動き始めた。
全員の表情が変わる。
「いつから」
昨日。
「凪さんが旧名を思い出した時?」
そうだ。
「統合命令が」
完全起動ではない。
待機状態。
「危険は」
十三人全員の夢が。
混ざり始めた。
「記憶は」
まだ。
「身体異常は」
二人に発熱。
一人に意識混濁。
「生命危険は」
今すぐではない。
「どれくらい猶予」
分からない。
「冬さんは」
隠すだろう。
「なぜ」
お前たちを急がせたくないから。
「それは推測?」
そうだ。
「確認は?」
してない。
「では推測として記録します」
勝手にしろ。
◇
春との聞き取り終了。
レインはまとめる。
《春》。
十三人生の一人。十九歳時点の元人格が強く望んでいた《施設から逃げる》という意思を自身が最も継承していることから、自身を元の一人と認識。
ただし現在、自身が元ではなかった場合でも、二十三年間の人生や家族関係が偽物になるとは考えていない。
凪の旧名については、本人の同意を得た上で第十三人生室を開くため使用すべきと主張。強制使用は否定。
北方施設が前日より待機状態へ入り、十三人生間の夢の混線、一部身体症状が出始めていると証言。
北方へ早期に来ることを希望。
◇
「比較します」
エルナが二つの記録を並べる。
冬。
春。
「共通点が思ったより多い」
バルドが言った。
「もっと正反対かと思った」
「結論だけなら正反対です」
セシリア。
「ですが」
「十三人を強制統合したくない」
「本人の同意なく凪の名前を使わない」
「十三人が個別に生きられる状態を作りたい」
「ここは一致」
「違うのは」
エルナが整理する。
「第一」
「《元の一人》という概念」
冬。
誰も元ではない。
十三人全員が現在は別人。
春。
元は存在する。
自分がその可能性が高い。
「第二」
「第十三人生室を開けるか」
冬。
開けるな。
春。
凪の同意が得られるなら開ける。
「第三」
「過去を知ることの優先度」
冬。
危険なら知らなくても先へ進める。
春。
知らなければ先へ進めない。
「第四」
「現在の危険評価」
冬からは。
緊急性の話は出なかった。
春は。
施設が待機状態へ入ったと証言。
「ここ」
レインが言う。
「確認が必要です」
「冬が隠した?」
「可能性はあります」
「でも」
「春が危険を大きく見せている可能性も」
「あります」
「どちらも」
「今は証言」
◇
「冬へ再確認しますか」
エルナ。
「はい」
「春の回答を伝える?」
「必要な部分だけ」
「待機状態について」
ミラが。
再び北へ。
今度は。
冬はすぐ返した。
春と話したか。
「はい」
何を言った。
「北方施設が待機状態に入り」
「夢の混線と身体症状が出ていると」
「春さんは証言しました」
長い沈黙。
事実だ。
全員の空気が変わる。
「なぜ最初の聞き取りで」
「話さなかった」
聞かれなかった。
バルドが額を押さえる。
「監督官と同じこと言ってるぞ」
「違う」
レインが言う。
「俺の最後の質問は」
「《現在何を望んでいるか》でした」
「北へ来てほしいとは?」
思っていない。
「危険があっても?」
今すぐ来れば。
凪の名前を使う流れになる。
「だから」
来てほしくない。
「身体症状は」
事実。
「生命危険は」
現時点では低い。
「何を根拠に」
医療班。
「記録を見せられる?」
外部送信すると。
施設回線が反応する。
「では口頭で」
二人発熱。
一人意識混濁。
全員。
睡眠時に他者の夢を部分共有。
「進行速度」
不明。
「冬さん」
「危険情報を話さなかったのは」
「俺たちの判断へ影響を与えたくなかったから?」
違う。
「では」
来てほしくなかったから。
明確。
「それは」
「情報を隠して」
「俺たちの選択肢を狭めています」
分かっている。
「それでも?」
そうした。
「理由は」
北へ来れば。
春がお前を使う。
「俺を?」
第十四として。
レインの呼吸が止まる。
「どういう意味です」
北方施設にも。
十四番目がある。
全員が黙る。
海。
十三。
十四。
王都。
十三。
十四。
北も。
十三人生を。
最後に。
一つの《正史》へ決める役。
「正史?」
どの人生が。
本人の本当の人生だったか。
十四番目が決める。
春は。
それを。
言わなかった。
◇
「冬さん」
レインは言う。
「この情報を」
「記録してよいですか」
書け。
「なぜ今は」
もう春が呼んだから。
「それまでは隠すつもりだった」
そうだ。
「あなたが」
「俺に代わって」
「北へ行くかどうかを決めようとした」
そうだ。
レインは。
すぐに責めない。
「その判断を」
「今も正しかったと思う?」
長い沈黙。
分からない。
「では」
でも。
もし戻せるなら。
春がお前へ接触する前に。
回線を切りたい。
「それが冬さんの現在の希望?」
そうだ。
「記録します」
◇
「春へも」
今度は。
同じ質問。
「北方施設に」
「十四番目の役割がありますか」
春。
文字が。
止まる。
ある。
「なぜ最初に言わなかった」
言えば。
お前が来なくなると思った。
バルドが。
低く息を吐いた。
「二人とも同じことしてるじゃないか」
冬は。
来させないために隠した。
春は。
来させるために隠した。
「春さん」
「十四番目は何をする」
十三人生から。
《正しい一人》を選ぶ。
「あなたは」
「俺にそれをしてほしい?」
長い。
最初は。
そう思っていた。
「今は」
話していて。
少し変わった。
「どう」
お前は。
選ばないだろ。
「はい」
だから。
来ても意味がないかもしれない。
「それでも来てほしい?」
来てほしい。
「なぜ」
選ばなくても。
十三人の話を。
聞ける。
「十三人全員が」
「俺と話したい?」
沈黙。
確認していない。
「では」
確認する。
少し。
春の返事が。
以前より遅くなっている。
◇
レインは。
二つの証言の下へ。
新しい一文を書いた。
《冬》と《春》は、どちらも相手および聞き書き人の選択へ影響を与える目的で、北方施設に存在する第十四機能の情報を当初開示しなかった。
エルナが見る。
「重要ですね」
「どちらが嘘つきという話ではありません」
「はい」
「二人とも」
「自分が望む結果へ近づけるため」
「情報を選んだ」
「だから」
セシリア。
「次回から」
「回答内容だけでなく」
「何を話さなかったかも確認する必要がある」
「十三人全員」
「そうなります」
バルドがため息。
「十三人全員に同じ聞き取り?」
「必要なら」
「北へ行く前に全部できないだろ」
「だから」
「今できる範囲で」
◇
そのとき。
ベルナード。
五番の記録窓。
『レイン!』
「はい!」
『凪が起きてる!』
「状態は」
『だいぶ良い!』
凪の声。
『北の話』
「聞いていましたか」
『途中から』
「どこまで」
『十四番目』
「昔の名前の機能については」
レインは言葉を止める。
冬から。
詳細を今は伝えるなと言われていた。
だが。
その情報自体が。
凪本人の名前に関係する。
いつまで。
本人へ隠す。
それもまた。
冬の判断。
「凪さん」
「確認したいことがあります」
『何』
「あなたの旧名について」
「北方施設で追加の機能がある可能性が分かっています」
『どんな』
「その詳細を」
「今、知りたいですか」
五番が黙る。
凪も。
長い。
長い沈黙。
『怖い』
「はい」
『知ったら』
『また名前を消したくなるかもしれない』
「はい」
『でも』
「はい」
『俺の名前だろ』
「はい」
『俺についてのことだろ』
「はい」
『なら』
凪は。
息を整える。
『知りたい』
冬の希望。
まだ伝えるな。
凪の現在の希望。
知りたい。
優先するのは。
「分かりました」
レインは答えた。
「凪さん本人が知りたいと選んだので」
「伝えます」
冬が。
遠く北で。
何か叫んだように。
ミラが顔を上げる。
『冬が』
「何と」
『やめろって』
レインは。
それでも。
凪へ話す。
「あなたの旧名は」
「北方第十三人生室を開く鍵であると同時に」
「十三の人生を」
「一つへ統合する命令の起動鍵でもある可能性があります」
沈黙。
記録窓の向こう。
誰も。
声を出さない。
『……俺が』
凪。
『名前を言ったら』
「条件次第では」
「北方の十三人へ」
「統合処理が始まる可能性があります」
『名前そのものが』
「はい」
『俺が』
「あなたが決めた仕組みではありません」
『でも』
「はい」
『俺の名前で』
「そうです」
凪の呼吸が。
荒くなる。
「医師を呼びますか」
『まだいい』
「話を止める?」
『止めない』
「では」
『冬は』
「この情報を」
「今はまだあなたへ伝えないでほしいと希望していました」
『なんで』
「あなたが」
「再び自分の名前を消そうとする可能性を心配したから」
凪は。
笑った。
乾いた。
小さな笑い。
『当たってる』
「消したい?」
『今』
『すごく』
「すぐ決めますか」
『……』
五番が言った。
『凪』
『何』
『俺』
『怖いから島に行かなかった』
『うん』
『でも』
『怖いからって』
『決めるのを急がなくていいって』
『レインに言われた』
凪は黙る。
『名前』
『今すぐ消さなくても』
『使わないまま持っててもいいんじゃないか』
『……』
『嫌なら』
『明日また考えれば』
五番。
恐怖を持つ存在。
恐怖を。
急いで消す理由にしない。
今は。
別の人へ。
同じことを言っている。
『五番』
『何』
『お前』
『少し嫌なやつだな』
『なんで』
『正しいこと言うから』
『レインみたい?』
『かなり』
「聞こえています」
『聞かせてる』
◇
「凪さん」
「旧名を」
「今すぐ消す処置を希望しますか」
長い沈黙。
『今は』
『しない』
「使う?」
『使わない』
「記録する?」
『名前そのものは書くな』
「分かりました」
『でも』
「はい」
『俺が』
『自分の名前を』
『危険だから消したいと思ってること』
『それは書いて』
「いいんですか」
『うん』
レインは。
本人の言葉として。
凪。
自身の旧名が北方十三人生の統合起動鍵として利用される可能性を知り、旧名そのものを再度消去したい強い衝動を感じている。
ただし現時点では消去処置を行わず、旧名を使用しないまま保持することを本人が選択。
旧名そのものの記録・開示拒否は継続。
『それでいい』
◇
北。
冬。
文字。
突然。
レオ航海日誌へ。
なぜ伝えた。
レインは答える。
「凪さん本人が」
「知りたいと選んだからです」
壊れたら。
「その可能性もあります」
責任を取れるか。
「全部は取れません」
ならなぜ。
「本人の情報だからです」
本人が。
自分を傷つける選択をしてもか。
「今」
「凪さんは自分を傷つける処置を選んでいません」
結果論だ。
「はい」
私なら隠した。
「それも」
「冬さんの選択です」
お前は。
残酷だ。
レインは。
少し考える。
「そうかもしれません」
「でも」
「本人へ何も知らせず」
「俺が代わりに安全な答えを選ぶことも」
「別の残酷さがあります」
冬から。
しばらく返事がない。
◇
春からも。
文字。
冬が怒っている。
「聞こえるんですか」
夢が混ざっている。
「冬の感情が?」
少し。
「では」
「今」
「春さんの感情も冬へ流れている?」
たぶん。
「何を感じている」
春。
長い。
嬉しい。
「何が」
凪が知った。
「それだけ?」
それと。
怖い。
「なぜ」
凪が。
名前を使わないと決めたから。
「あなたは使ってほしい」
そうだ。
「本人の同意が必要とも言った」
言った。
「では」
分かっている。
でも。
残念だ。
「両方?」
両方だ。
冬。
凪を守りたい。
でも隠した。
春。
凪の同意を尊重したい。
でも使ってほしい。
誰も。
一つの感情ではない。
◇
その夜。
十三人生事件の予備記録に。
レインは。
新たな整理を書いた。
《冬》と《春》は、十九歳までほぼ同一の過去を持つと双方が証言。
しかし分岐後二十三年間の経験により、現在の価値観は大きく異なる。
冬は《過去を知らなくても、安全に現在を続けられるならそれを優先する》。
春は《危険があっても、過去を知らないままでは現在を確定できない》。
両者とも十三人の強制統合は拒否。
両者とも凪の旧名の強制使用は否定。
一方で、冬は《使わない》、春は《本人同意の上で使う》を希望。
さらに。
両者とも、自身が望む結果へ聞き書き人を誘導する目的で、第十四機能について当初情報を開示しなかった。
「証言者は」
レインは筆を止める。
そして。
嘘をつかなくても、情報を選ぶ。
書く。
よって、語られた内容だけでなく、語られなかった内容、語る目的も確認する。
◇
翌朝。
北方から。
第三の声が届いた。
ミラが。
食事中に。
突然顔を上げた。
『また』
「春?」
『違う』
「冬?」
『違う』
「誰」
ミラは耳を澄ませる。
『女の人』
「十三人の一人?」
『たぶん』
「何と言っている」
声。
遠い。
弱い。
『冬も』
『春も』
『大事なことを』
『言ってない』
レインが帳面を開く。
「話せますか」
『少し』
「今の呼び名は」
長い間。
『《夏》』
冬。
春。
そして。
夏。
「何を二人は言っていない?」
夏の声が。
震える。
『私たち十三人は』
『一人から』
『分かれたんじゃない』
全員が。
止まる。
「どういう意味です」
『最初から』
『十三人だった』
エルナが立ち上がる。
「冬も春も」
「一人から十三人生へ分割されたと」
「そう証言しました」
『そう思ってる』
「夏さんは違う?」
『私は』
『見た』
「何を」
『十九歳の』
『分割前の部屋』
声が。
途切れる。
「夏さん?」
『一人じゃ』
『なかった』
「何人」
長い。
長い沈黙。
『十三人』
レインの背筋が冷たくなる。
『元の一人を』
『十三へ分けたんじゃない』
『十三人の記憶を』
『一人だったことにした』
冬と春の前提。
一人の人生から十三へ。
それ自体が。
作られた記憶?
「では」
「十九歳までの共通人生は」
『誰か一人の人生じゃない』
『十三人分を』
『混ぜて作った』
北方実験。
一人を十三の人生へ。
そう思わせるために。
最初に。
十三人へ。
同じ偽の過去を入れた。
「なぜ」
夏の声。
『十三人のうち』
『誰が』
『自分の本当の過去を』
『取り戻すか』
『比べるため』
さらに。
残酷な実験。
春は。
自分が元だと思っている。
冬は。
誰も元ではないと思っている。
しかし。
夏は。
そもそも元の一人など。
最初から存在しなかったと言う。
「夏さん」
「この証言を」
「記録しても?」
『して』
「冬と春へ伝えても?」
夏。
しばらく。
『今は』
『まだ』
「なぜ」
『二人とも』
『壊れるかもしれない』
「それを」
「夏さんが代わりに決める?」
沈黙。
『……そうだね』
「本人へ伝えるか」
「今すぐではなくても」
「後で本人の希望を確認します」
『うん』
「夏さん自身は」
「なぜ今、俺へ話した」
遠く。
女の声が。
泣いている。
『私だけで』
『持ってるのが』
『もう嫌だから』
証言。
共有。
救済とは書かない。
ただ。
一人で持ち続けた情報を。
誰かへ話したかった。
「分かりました」
「聞きます」
夏は。
最後に。
言った。
『第十三人生室を』
『開けても』
『元の一人は』
『見つからない』
「では何がある」
『十三人の』
『本当の出生記録』
北方の事件は。
また。
前提から。
崩れ始めた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
《冬》と《春》は、同じ十九歳までの過去を持ちながら、二十三年間の別々の人生によって異なる価値観を持つようになっていました。
冬は、
「危険なら、過去を知らなくても現在を守る」
ことを優先。
春は、
「危険があっても、過去を知らないままでは先へ進めない」
ことを優先しています。
しかし二人とも、十三人の強制統合そのものは望んでいません。
また凪も、自分の旧名が十三人生の統合鍵であることを知りましたが、旧名を再び消す処置は今すぐ行わず、《使わずに保持する》ことを自ら選びました。
そして最後。
第三の人生《夏》から、北方実験そのものを覆す証言が届きます。
十三人は、一人から分かれたのではない。
十三人の別々の過去を消し、全員へ《一人だった記憶》を与えられた。
もし夏の証言が事実なら――
《誰が本物か》という問いそのものが、実験側によって作られた罠かもしれません。
次回、第41話「十三人目の本当の過去」。
レインは夏から、十九歳以前に存在した《十三人それぞれの出生》について聞き始めます。
そして第十三人生室に残されているという出生記録が、本当に本人たちへ返すべき記憶なのか。
北方へ向かう前の、さらに重要な確認が始まります。




