109 / 夫婦の物騒な昼下がり
「ねぇねぇ、阿部定事件って知ってる?」
コインランドリーで洗濯が終わるのを車の中で待ちながら、彩音は大輝にそんな話をもちかけた。
「なに、いきなり。怖いこと言うなよ」
「あ、やっぱ知ってたか。すごいよね、あの事件。いまあの事件のwiki読んでるんだけどさ」
「なんで今読むんだよ」
「いや暇だったから」
車内に沈黙が落ちる。
「じゃあ旧日本軍の人体実験の話とか知ってる?」
しばらくして、彩音は再び大輝にそんな話をもちかけた。
「だーかーらー。なんでそういう物騒な記事ばっか読んでんの」
「いやあ、人生、何事も勉強かなーって」
彩音は大真面目に答える。
「そんな勉強しなくてよろしい」
大輝も大真面目である。
「ね、ね。当時は世界中で人体実験が行われてたってホントかな」
またしばらくして、彩音は大輝にそんな話をふった。
「お前まだそんな記事読んでんの?しかも今度は陰謀論じみてんな」
「でも特定の国だけがそんなことしてたって明らかにおかしくない?非常事態になったら人間、どこの国でもそういうことってこっそりしちゃいそうじゃない?」
昼の十二時過ぎ。
さきほど時報の音楽が、近くの公園から流れていた。
ゴールデンウィーク前の、おだやかな土曜の昼である。
「そりゃあ、多かれ少なかれ、似たようなことはしてたでしょうよ。どこの国でも。ただそれが表に出るか出ないかだけの違いでさ。そう考えるのが自然じゃね?」
二人の乗った赤い車が、ランドリーの大きなガラス戸に反射して光っている。
「だよねぇ。怖い時代だよねぇ」
彩音はそう言うと、
「そういやお隣の田口さんとこ、赤ちゃん生まれたんだよ」
と話題を変えた。
その様子があまりに自然で、あまりに不自然に感じられたため、大輝は笑って「切り替え早ない?」とつっこむ。
「あたしたちも、そろそろ第一子、どうよ」
と、彩音はスマホを眺めながら言う。
「どうよってお前、誰だよ。しかも第一子って。第二子おりこみ済みじゃん」
「経済的に可能なら、産むよ?あたしゃ」
「たくましいな」
狭い車内で、大輝は大げさにのけぞってみせる。
「あ、そろそろ終わる頃じゃない?洗濯」
「あほんとだ」
二人はそう言って車を降りてコインランドリーの中へ入って行った。
心地の良い風が吹き、真上からは太陽の日差しがさんさんと降り注ぎ辺りに濃い影を落としている。
ランドリーの中では、二人のぶっそうなかけあいが再び始まっていた。




