107 / 出過ぎない杭
私の時間は有限である。
今日、5回目のデートの待ち合わせで、5回目の遅刻をしてきた彼氏を振った。
人の時間を何だと思っているのか。
本当に私のことを大事に思っているなら、私の時間を無駄にすることなど選択肢にないはずだ。
ああ腹が立つ。
でもイライラは体の毒だ。
人間はイライラするほどストレスがたまり、その分寿命が縮むのだそうな。
インフルエンサーがティックトックで言っていた。
おそろしい。
でも、私は、なんでもかんでもインフルエンサーの言うことを聞くその辺のZ世代とは一味違う。
私は、自分で着る服は自分で選ぶし、食べるものだって映えなど気にせず、自分の食べたいものを食べる。
そりゃあ、全身コーデや料理の写真を撮ってアップすることは日常茶飯事だけれど、そのぶん、色彩検定やカラーコーディネーターの資格を取ったり、カメラワークの勉強会に参加したりもして、自分なりの力をつけてきた。
もちろん、撮った写真を加工したりはするけれど、それだって、自分のセンスに合うものしかアップしてはいない。
そこが私が「彼ら」と違うところだ。
さきほど、私は時間にうるさいと述べた。
けれど、レジで現金の支払いをする人を待っている時や、病院で待たされている時などにもイライラするのかと問われれば、答えはノーだ。
待つべき時には、私はおとなしく待つことが出来る。
たとえば、スマホをいじったり、鞄に入れていた文庫本を読んだりして。
今時何でもタイパタイパで、みんなせかせかしすぎなのだ。
大人ならば、落ち着いて、時には待つことそのものを楽しむ余裕を持ちたい。
と、最近読んだ本に書いてあり、大いに納得した。
こういう点も、私が「彼ら」とは違うところだ。
私は、「彼ら」が好んで聞くような音楽に影響されることはない。
そりゃあ、流行している歌を聞きはするけれど、それはリズムを楽しんだり話題に乗り遅れないようにするためで、大切な自分の思いを乗せるためではない。
私の思いは、何百万人と共有することが前提のコピペ可能な音楽などには、決して重ねられない、唯一無二のものなのだ。
そんなことを考えているのも、「彼ら」とは違う点だろう。
私が「彼ら」と呼ぶ、同年代の「Z世代」の人々。
同時代を生きていくなかで、私たちは「らしさ」を求める。
「らしさ」って何?
そんなことをAiに尋ねながら、今日も私は最低限の協調性を維持しつつもマイペースを大事に生きていく。




